福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ああ大阪の人間になってゆく・・

2016-09-27 13:05:23 | 日記


およそ半世紀ぶりに散髪に行く。

幼少期に大阪在住だったため、家庭では「散髪」と呼ぶのが普通であったが、横浜への移住後は周りの友だちに合わせて、「床屋」と言うようになった。なんだか少し大人になったような気がしたものだ。ただ、父親は未だに「散髪」という。これ、鹿児島弁ではないと思うのだが・・。

その後、桐朋学園在学中に仙川の美容院に通い始めてからは美容院ばかり、男性専科の床屋を含めても30余年ぶりである。

散髪と床屋。
呼び方が違うだけで中身は一緒ではないか? との声も聞こえてきそうだが、昨日行ったのは、断じて、床屋ではなく大阪ならではの散髪屋だ。

驚くべきは、合理的な分業制である。
1.受付の会計係、2.座席まで案内する人、3.椅子を整えて前掛けをかける人、4.髪の毛を切る人(当店のマスター)、5.洗髪とひげ剃りの担当者、6.最後にブローしながら髪型を整える人、店に入ってから出るまでに、6人もの人が代わる代わるボクの身体を通り抜けていったことになる(笑)。こういうシステムのお店が関東に存在するのかどうかは知らないが、カルチャーショックではあった。

日頃、馴染みの美容院では、担当者と世間話をしたり、家族の近況を話したり、人と人との触れ合いを楽しんだりするが、ここの散髪は非情なまでに人間性を切り捨てている。例えばブローと仕上げ担当の方は、朝から晩まで、人の頭とドライヤーにしか触れていないワケで、これでは人情の芽生える暇もない。甚だ合理的ではあるが、ボクにはできないお仕事だな、と思った。

しかし、不意の空き時に予約なしで飛び込むことができ、30分未満で全てが終わるというのは、わたしのような移動の多い人間には大いに助かる存在ではある。今後も利用する機会はありそうだ。

宿に戻り、鏡をみる。
心なしか東京とは違うテイストの髪型となったような・・。最近、地元のエスカレーターでも無意識に右側に立ってはハッと我に返ることもあるように、また少し大阪の人間になり近づきつつあることを感じ、慄然としてしまった。

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