昨日は、大阪フィル会館にてシモーネ・ヤングさんのオーケストラ稽古を見学させて頂いた。
「運命の歌」をコーラス抜きで聴く機会というのはそうそうあるものでなく(本当を言うとコーラス付きでも滅多に演奏されない)、それだけでも有り難いのに、シモーネ・ヤングさんの描く作品像の美しさに、聴きながらの至福を味わった。テキストの内容を楽員と確認しながら、そこに鳴る音が徐々に映像化されてゆく様は壮観であった。
「悲劇的序曲」に於いても、意図する音楽表現を具現するためのボーイングや奏法、音の軽重や音価の扱いの指示が徹底されており、さらには楽器間のバランスに細心の注意が払われ(とくにピアノやピアニシモへの強い要求)、見通しのよい音楽となる。それでいて、ブラームスらしい渋い響きの生みだすあたりがシモーネさんの非凡なところだ。
そして、何より尊いのは、そこにシモーネさんならではの熱い情熱と卓越した造型感覚があることであろう。その良さが存分に生かされていたのが「第2交響曲」ということになる。
昨日の練習を聴きながら、なぜ自分が東響との「4番」にあれほど感激したのかを確認することができた。音楽的に重要なフレーズをしっかり鳴らしたかと思うと、経過句のような場面では鮮やかに加速する。その加速と減速その塩梅が往年のドイツの巨匠たちに通じているのである。
いよいよ本夕はオーケストラとコーラスの合わせとなるが、シモーネさんの棒の下、どのような化学反応が生まれるのか楽しみなところである。
「運命の歌」をコーラス抜きで聴く機会というのはそうそうあるものでなく(本当を言うとコーラス付きでも滅多に演奏されない)、それだけでも有り難いのに、シモーネ・ヤングさんの描く作品像の美しさに、聴きながらの至福を味わった。テキストの内容を楽員と確認しながら、そこに鳴る音が徐々に映像化されてゆく様は壮観であった。
「悲劇的序曲」に於いても、意図する音楽表現を具現するためのボーイングや奏法、音の軽重や音価の扱いの指示が徹底されており、さらには楽器間のバランスに細心の注意が払われ(とくにピアノやピアニシモへの強い要求)、見通しのよい音楽となる。それでいて、ブラームスらしい渋い響きの生みだすあたりがシモーネさんの非凡なところだ。
そして、何より尊いのは、そこにシモーネさんならではの熱い情熱と卓越した造型感覚があることであろう。その良さが存分に生かされていたのが「第2交響曲」ということになる。
昨日の練習を聴きながら、なぜ自分が東響との「4番」にあれほど感激したのかを確認することができた。音楽的に重要なフレーズをしっかり鳴らしたかと思うと、経過句のような場面では鮮やかに加速する。その加速と減速その塩梅が往年のドイツの巨匠たちに通じているのである。
いよいよ本夕はオーケストラとコーラスの合わせとなるが、シモーネさんの棒の下、どのような化学反応が生まれるのか楽しみなところである。