福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

高崎真介さん拙宅訪問記

2014-01-01 15:47:09 | レコード、オーディオ
昨年末の1日、作曲家・高崎真介さんと過ごしました。
女声合唱団 KIBIのために「イマジン」をアレンジして頂いたばかりですが、今後の構想の夢を育てているところ。

さて、後日、高崎さんが拙宅への訪問記をFacebookにアップしてくださったので、それを転載します。



福島章恭さんのオーディオルームで軽く(のつもりが結構聴いた)、アナログレコード鑑賞。



レストランで今日はボルドーをと言うような調子で、ブラームス4番から聴きたいと言った。それではこれを、とソムリエのように福島さんがアナログのレコードを棚から取り出してくれる。

クーベリック指揮のウィーンフィル。たちまちにして楽友協会の響きとブラームスのスコアで世界が一杯になるが、クーベリックは速いテンポと精緻なサウンドを求めて、思い出や感傷に浸ることを拒否する。

僕は第一楽章の終結は古今のシンフォニーの書法の頂点にあると畏怖している。今日はその線的対位法は、まるで悲しみの大きな波がやがて順に白く砕けるように感じられて、つうっと涙が出て、その後に悲しみがきて、最後に音楽が残る。そう言えば本当に切ないときは涙が先で悲しみは後である。

次はモーツァルトの25番。福島さんはクリップス指揮、コンセルトヘボウを選んだ。少し遠くに美しく音が投影されるあのホールの音を思い出した。このオーディオ機器の値段は聞いていないし、聞かない方がいいような気がする。ケーブルだけでベンツが一台買えるほどだというのだ。もう笑うしかない話であるが、ホールとオケを買うよりは安いともいえるか・・・、この比較計算、成り立っているのだろうか?

次はピアノ。リリー・クラウスでモーツァルトの変奏曲。モノラル版。※良い曲だったけど題名は忘れてしまった。いつも思うのはモーツァルトは知っているつもりの枠よりいつも少しはみ出している。あの曲良かったな。もう一度聴きたい。
※パイジエッロの歌劇「哲学者気取り」の「主に幸あれ」による6つの変奏曲 K. 398 (416e) - 6 Variations in F Major on Paisiello's Salve tu, Domine, K. 398




次もピアノ。リパッティでバッハのパルティータ1番。33歳で死ぬ前の最後のリサイタル。端正で背筋の伸びたバッハはしかしわずかに乱れがあるが、それがかえって耳を離さない。乱れは病気のせいなのかどうかは知らない。



次はソムリエにシューマンの1番を所望。ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団。これはパーヴォ・ヤルヴィのSACD(ドイツ・カンマーフィル)と聞き比べた。弦の人数の違いによる音色やテンポの変化について興味深く話をした。それにしても、シューマンをもっと演奏しなくてはいけない。



最後にヤルヴィつながりでベートーヴェン全集(オケも同じ)、アナログの新盤。8番の第一楽章をさらっと聴いて帰ろう。しかしこれは、ところどころ爆発してしまっているような激しい刺激に満ちたもの凄い演奏、そしてそれが余すことなく録音されている。どうもアナログのレコードというメディアも進化しているらしい。

帰りに、町田の名店、アサノのカツカレーを食べて福島さんと別れ、僕は少し飲みに行く。福島さんは飲まない。もし飲んだら、自宅には地下2階が作られ、そこに大変なワインセラーが作られていたに違いない。
高崎真介


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