この度のウィーン滞在、実質最終日。
まずは、午前11時より、ムーティ指揮ウィーン・フィルのブルックナー「9番」を聴く。前プロはハイドンの39番ト短調。
座席はGalerie正面の2列目。日本でいえば3階席ということになるが、音響はともかく、前列の方に視界を遮られて舞台を見ることはできない。もう少し、良い席を確保する努力をするべきであったと後悔しても後の祭。席の悪さを嘆くよりは、この場にいられる幸運に感謝するほかない。
ムジークフェラインザールの2階席、3階席の2列目以降の客への配慮は皆無。庶民への扱い方については、飛行機のエコノミークラスと発想は同じだろう。
ハイドンの演奏中は、すこしでもムーティの指揮姿を見ようと、椅子の左右の端に寄ってみたり、首を傾けてみたり、あらゆる姿勢を試したが目覚ましい効果はなく、疲れきってしまった。聴くことより、見ることに神経を使ってしまっては本末転倒。というわけで、後半のブルックナーは目を閉じたり、天井を見上げながら聴くことを決意した。
視界ほぼゼロという悪条件の中でなお、ムーティのブルックナーの素晴らしさは享受できた。奇をてらったところのないのは、ウィーンに着いて最初に聴いたヤンソンス&バイエルン放送響と同じだが、ヤンソンスがひたすら万人向けに、最大公約数的なアプローチに終始するとき、ムーティは孤独にひとつの真理を追求する。
そこに現出した音は、ウィーン・フィルならではのブルックナーの音。弦の艶、溶け合うホルンとワーグナーチューバ、魅惑の木管・・、どこを切り取っても、青春時代から聴き続けているシューリヒトと同様の響きがするのだ。あの伝説的録音から半世紀の時が経ち、プレイヤーはすっかり代替わりした筈なのに、その伝統の音は確実に受け継がれている。それがとても嬉しかった。
となれば、如何にシューリヒトの名演をオリジナル・プレスのアナログで聴こうとSACDやハイレゾで聴こうと、ムジークフェラインという器をも楽器として響き渡る生の音に、受け取る感動の重さは叶わない。
誠に美しいブルックナーであった。
♪アムステルダム・スキポール空港にてトランジット時間を利用して記す。