井上陽水は、中学生時代に「氷の世界」「二色の独楽」ふたつのアルバムを聴いてから、いつもボクの人生の近くにある存在だったが、その生のステージに接するのははじめてである。
だいたい、ぼくらの世代で、フォークギターを弾くのに、最初にさらう曲は「夢の中へ」と相場が決まっていたものだ。
この度、オーチャードホールに出掛けたのは、せっかくこの天才アーチストと同じ時代に生きていながら、これまで一度もコンサートに足を運んでいなかったことを反省してのこと。
陽水の声は健在で、力の抜けたトークも絶妙。曲も名曲揃いなのだから、感動しないはずはない。実際、大いに愉しんだことは事実であるが、それでも魂を揺さぶられるほどの感動、とまでは至らなかった。
その理由は簡単だ。
バックのバンドの音量が上がると、歌詞がまったく聞き取れないのである。特にバスドラムとベースの音がウワンウワンとループしてしまい、陽水のヴォーカルを打ち消していた。あの独特の感性による詩あってこその陽水の世界なのであって、それが聞こえないのでは魅力が半減してしまう。昨年、同じホールでZAZを聴いたときには覚えなかった不満である。
「今日のお客さんは静かですね」と陽水は語っていたが、コンサートの序盤で聴衆がいまいち盛り上がれなかったのも、おそらく歌詞が聞こえないことに関連していよう。
確かに、オーチャードホールはクラシックのコンサート向き(とはいえ、クラシックを聴くには音が悪い)のため、一般の多目的ホールよりは残響が多くポピュラー音楽の音作りは難しいのかもしれない。しかし、もっと各マイクのリバーブをカットするなど、ホールに適したサウンド作りは出来なかったのかという恨みは残る。PA技師の居る位置が1階席の一番奥、即ち2階席の真下のため、前方席よりは残響がなく、そのことに気付かなかったのか? それとも、あのあたりが限界だったのか? それはボクには分からないのだが・・・。
本日の公演は別としても、日本のポピュラーコンサートでは、PAの音質には疑問を覚えることが多い。
もっと音量を絞って、音質に気を使ってほしい、というケースがままるのだ。音が大きなだけでなく、歪んだり汚れていることも多い。
ヴォーカルへのリバーブのかけ過ぎも、下手な歌手にはよいが、上手い歌手にはその美点をぼやけさせて逆効果だったりする。
数年前、くるりをライヴハウスに観に行ったときなど、あまりの音量の大きさに耳がボーッとなり、三日ほど聴力の戻らなかったことがある。これには焦った。自分の仕事に関わるので、それ以降、ライヴハウスでのイベントへは怖くて行けないでいるほどだ。ライヴハウスのスタッフは、毎日毎晩、大音量の中にいて難聴になっているに違いない。
音響スタッフには、もっと「良い音とは何か?」を学んで欲しいと願う次第である。