福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

クルト・トーマスのクリスマス・オラトリオを聴いて

2015-10-20 12:56:17 | レコード、オーディオ



メンゲルベルクの「マタイ」を再生するためのモノーラル・カートリッジがわがシステムに装着されたままだったので、今朝はモノーラル・レコードを聴くことにした。選んだのはクルト・トーマス指揮聖トーマス教会合唱団、ケヴァントハウス管による「クリスマス・オラトリオ」第1部である。

手許にあるのは旧東ドイツ時代のエテルナ盤2種。レコード番号は同じだが、ひとつはオリジナルのフラット盤(写真下↓)、もう片方は後年リリースのグルーヴガード盤(写真上↑)である。後者は先日、沼津のオーディオ・ショップにて僅か1,000円で購入した掘り出し物(もちろん全曲盤)だ。

アナログ盤といえば、一般に初プレス、初リリースのオリジナル盤が良いとされ、事実、オリジナル盤優位の確率が高いのであるが、この旧い東ドイツ盤については後発のグルーヴガード盤が断然素晴らしい。音の分離、輝き、なによりエネルギー感がまるで違うのである。製盤技術の進歩など、何らかの理由があるのだろう。

もともと1958年のステレオ録音なのだが、リリース当時、東ドイツ国内にステレオ再生装置が普及していたとも考えにくく、モノーラル・プレスの方が手には入りやすい。いずれ、ステレオ・プレスも手にしたいところだが、それまでは、ナクソス・ミュージック・ライブラリで楽しむことにしよう。



ところで、音質以上に感動したのがトーマス・カントルであるクルト・トーマス指揮の演奏そのものであることは言うまでもない。古楽の台頭もなく、さらには情報の閉ざされた東ドイツに前世代より受け継がれ、育まれた謹厳にして実直なバッハ!

この余りにも美しく、強いバッハを聴いて、ラミン~マウエルスベルガー~トーマス~ロッチュと伝承されてきた聖トーマス教会の音楽的伝統の核心部分がビラー時代に失われてしまったのを知るのである。聖トーマス教会で営まれる音楽に古楽器的な歌唱法や奏法は本当に必要だったのだろうか?



かくいうわたしも、2013年の聖トーマス教会でのロ短調ミサ演奏は、ザクセン・バロックオーケストラという古楽器オーケストラと共演し、来る3月の「マタイ受難曲」も同じではあるが、わたしの肩にトーマス教会の伝統がの担われているわけではないから責任の外だ。だが、古楽器オーケストラによりながらも、ビラー時代に失われた佳き音楽の伝統を胸に抱きつつ指揮したいと心から願っている。それはきっと聖堂に集うライプツィヒの会衆の心にも届くことであろう。

J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ BWV.248

 アグネス・ギーベル(ソプラノ)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)
 ヨゼフ・トラクセル(テノール)
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
 ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 クルト・トーマス(指揮)

 録音時期:1958年12月
 録音場所:ライプツィヒ、聖トーマス教会
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

 

追記

当記事アップ後、一番上の写真と同じBOXのステレオ・プレスを独eBayにて発見。1969年リリースとのこと。出品者はハンブルクのレコードショップ。衝動的にポチった後からコンディションがイマイチっぽいことに気付くも後の祭り・・。旧西ドイツのオイロディスクプレスもあるけれど、やはりエテルナで聴きたいところ。


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