明鏡   

鏡のごとく

月にある光

2024-04-15 08:12:33 | 詩小説
月を見ていた。

言論統制が布かれている。
SNSでは、都合が悪いサイトを見せないようにされている。
制限がかかっている。

イスラエルがイランの大使館を攻撃しても、国連では何も問題提起しなかった。
ガザの虐殺もまた同じように殺戮は続いている。
大きな拒否権を勝手に持っていると思っている国が、いつも人人の平和を壊している。
誰もが平等だとうたうのならば、全部の国国が同じ一票の重みであるならば、まだ、国連は今よりもマシな機関となるかもしれないが。

この世は、国という名の、金を無から作るものたちの、優遇措置をされているものたちの世界ではないのだと。
月を見ていた。

月は暗かった。
丸い月ではなかった。
下弦の月のような、刃物のような、何かを断ち切る月。
何も聞こえない世界。
嘘を断ち切る。
長年の怨念を断ち切る。
きょうきを持ってきょうきをうつのだと。
武器よさらばと書いたものは、武器で自らを撃って逝った。
嘘を断ち切ったものは、嘘で自らを断ち切るのだろうか。
嘘で塗りかためた戦争をあおるものは、戦争で逝ってしまうのだろうか。
パンデミックで、世界を統制しようとするものは、パンデミックの渦に飲み込まれるのであろうか。

ユダヤの民であったあるものは、民族の心の奥にあるものを踏まえて、夢を分析しながら、精神分析を打ち立てた。
その学会は、自分たちの民族のものばかりで構成されていったが。
その中に、異端者が入り込み、夢と向き合っていったが、狭いとも言える、決めつけられた性的な病の解釈の束縛から、解放されるように性の病を超えようと生死の昇華の一つの形、創造するものを夢見たのだろうが。
異端者が、一つの夢を解釈するだけでなく、ただただ現していったのだとするならば、夢は死の病から解き放たれるのだとしたら。

月にある光は、太陽の光であったと、暗闇で思い出すようになるのだと。





ガザの虐殺をやめること

2023-11-04 07:46:46 | 詩小説
https://twitter.com/MuhammadSmiry/status/1720426930091053404

ガザの虐殺をやめること
ヤハウェが与えたというものは
土地ではない
虐殺ではない
奴隷制度ではない
金ではない
支配ではない
生贄ではない
命そのものだということ

健康保険の害悪

2023-10-26 00:59:39 | 詩小説
健康保険の害悪として、ワクチン接種の大罪を、まず政治屋が償うこと。
そもそも、健康なものから搾取することが目的であり、予防も何もできていない、結局は、あまりにも多い突然死のことを知らぬ存ぜぬにして責任を取っていない政治屋たちを、国民は不審に思っているにもかかわらず、健康保険だけ上げようとする、人を健康にしていないただの、害悪であるにも関わらず。
刷れば刷るだけお金は増えるので、国民は一銭たりとも払わなくてもいい筈の税金の仕組みと全く同じことである。
政治屋には機密費というものがあるということは、お金を作る仕組みは、実のところ、ブラックホールということでもあり、機密といえば、いくらでも金を作ることができる、打ち出の小槌を持っているものたちが、政治屋であり、厚労省であり、役人である。
国民にツケを払わすという前提の機密費で、ただの搾取する道具としか思っていない。
形だけのお札に形だけの電子マネーに、国民の声を聞くという形だけのアンケート。
何も考えていない。自分たちは、湯水のように、税金という名の無限の奴隷制のチケットを使うことを、何とも思っていないものたちのやることは、馬鹿としか言いようがない。
コロナワクチン接収を無理やり決めて、その上、コロナワクチンを受けたものだけ、旅行した時に補助を出すなどという、あまりにもコロナを打っていない国民を愚弄し馬鹿にしてきたのに、輪をかけて、そのばかげた政策のツケを、また、国民全体に払わせようとする、国民を全くもって、見くびった、愚策であり、奴隷制度でしかない。
それをごまかすために、上乗せしているだけの搾取である。
医療関係者が潤うだけの政策をすることは許されない。

これを、ごまかすために、どんぱちを始めるものたちは、必ず亡くなったものたちから呪われるであろう。

巡礼

2023-10-17 03:54:52 | 詩小説
巡礼の旅に出ようと思っていた。

茅葺の職人の仕事は、言ってみれば、巡礼であった。

色々なところに残っている茅葺、杉皮葺の屋根を巡ることによって、自分の中のなんだかわからない、コロナ禍に似た、見えないようで見えている悪露のような渦のようなものの中にあって、その核にのっぺりと回ってはいるが回りきれずに一ところにあるものの本性を知りたかったのだ。

コロナ化されていくように、世界は回っていた。
二、三年は、渦の中で、そののっぺりとしたものの正体を見ようと、皆がテレビの中からがなりまくられる死を意識させられていた。

今日は、何人死亡しました。入院すらできない状態です。自宅で待機してください。救いの手が来るまで、誰にも会わないでください。大切なものを守るためです。

戦時中のプロパガンダ。のような。
第2次世界大戦の常套句。のような。
欲しがりません。勝つまでは。
お国のために。勝ってくるぞと勇ましく。

そうは言いながら、神州島国日本は八紘一宇を最初は望んでいたのではなかったのか。
少なくとも、それまでは、奴隷状態であった東洋の人々を平等に手をつないで、奴隷貿易で人を人とも思わなくなったものたちを、見返すつもりでいたのではなかったか。
途中から、いやもしかして、最初から、自分たちのルールを作り始める時点で、それを押し付けることになるのは、火を見るより明らかなこととなっていったが。

今も無言の圧力を溜めている。
見えない手は、大きなわたあめの芯を回しているのだ。わたあめをくるくると巻き取っては、わずかのザラメから空気を含んだ大きなふわふわとした、中身は、空っぽに限りなく近い、甘い甘い目の前で溶けていくのを、必死で見ないように、巻かれたものを、無言で喰らい続けないといけないように。

ああ、そうだった。そうだった。我らは語りを語る無だ。

といっていたのは、ペソアの分身である詩人のリカルド・クレイスであった。

私も、茅葺職人をしている時と、詩を書いている時は名前が変えている。人格が変わってしまったわけではないが。分身のような、ドッペルゲンガーのような、出会ってしまったら、分身に存在をすり替えられてしまうような、心持ちではあるのだ。

ああ、そうだった、そうだった。我らは語りを語る無だ。

ああ、そうだった、そうだった。
私は、つい数ヶ月前、中学生の前で、戦争体験を語ったのだった。

イランとイラクが戦争を始めた時に、父親の仕事の関係でイランに住んでいた時のことであった。今は、アメリカに殺されていない、フセインが戦争を始めたのだった。

コロナが収束しつつある今、今度は、ネタニヤフが戦争を始めるという。アメリカから来たブリンケン国務長官は「ユダヤ人」としてきた。と心も体も老いてしまった元新聞記者の小説家が語っていた。

アメリカのユダヤ人がイスラエルのユダヤ人に会いに来たと言ったというのだ。

それは、どういう意味なのだろうか。

割り箸の芯をくいくいと回して、台風の目のように一点に止まっていながら、静かに笑っているのは、一体、何なのだろうか。

子供の頃から、ずっと、考えていた。訳も分からずに、戦争が目の前で始まった時から、ずっと。

割り箸の芯を持っているものは、甘いわたあめを食べるまでは、しつこく、回し続けようとする。原料は砂糖であった時も、絹であった時も、金であった時も、石炭であった時も、石油であった時も、スパイスであった時も、人であった時もあるが、基本は、総なめしていくものが、最初にコマとなって、戦争を仕掛けた、その土地のものを、いうことを聞かなくなったら、殺すと言う、甘くはない結末まで付いてくるのだから、始末に負えない。

ロシアの民間軍事組織を担っていたものも、反旗をひるがえした途端に飛行機が落ちたと言って、死んでしまった。それを見ていたものたちは、もう、そこにいて、そこで殺し合う意味をなくしてしまっていることであろう。勝っても、負けても、殺されるのだから。殺し合うのは、無意味であるということ。
彼らのコマにならないということ。

自分の綿菓子は、自分で回すということ。

回らない魂と出会う巡礼の旅に出るということ。


長崎に行ってきた。大村でゆきこさんと会うために。
ゆきこさんは、大切な分身のような人と離れ離れになってしまった。突然の死。コロナワクチンを5回打ったそうである。関係あるのではないか。前日までピンピンしていた人が、寝ている間に、息をしていなかったという。彼女も、同じように5回打っているという。ゆきこさんが言った。

考えていた方がいいよ。

死の準備のことであろうか、それとも、生きる準備のことであろうか。

近所のおばあちゃんが、ニコニコしながら、今日、インフルエンザの予防注射を受けてきたよ。と言っていた。のを思い出していた。少なくとも、生きるために注射を打っているのだろうが、死の準備をしているようような。

インフルエンザの注射を打ちましょう。老人から。なんだったら、子供まで。

帯状疱疹のワクチンを接種しましょう。中高年対象。

子宮がんワクチンは、これから産もうとしている若い子中心。

コロナワクチンには、ウイルスと非常に異なる、スパイク蛋白質をどのように生成するかという情報が非常に異なっているので、ワクチン接種は危険であると。
MITで人ゲノム計画に参入し、人遺伝子の全配列決定を完成させた、全米最大の商用DNA配列決定会社のケビン・マッカナンが、そういう疑問を持っているのだと言う。

それを知らせないで、ワクチンを打たせ続けるというのは、おかしいと、誰もが思っているのだ。それを聞いたものは、少なくとも。
それを知らされず、テレビの中のラジオの中の、ワクチンを打ちましょうというワンフレーズを毎日刷り込まれ続けることに疑問を持つことで、その渦の正体が見えてくるのだということ。


インバウンドも然り。最初は小さなゾウが鎖に繋がれている絵を見せる税理士がいた。鎖に繋がれたまま大きくなっていくゾウは、インバウンドのルールそのものなのである。

税金というルールそのものが、本当は、割り箸を持ってクルクル回らせている手のものの、言ってみれば、打ち出の小槌なのであり、お札はすればするほど、無限に増え続けるもので、そのルールを作ったものは、本当は紙切れでしかない中身のない、空っぽのものを、さも自分達で、中身のない空っぽのものを支えているように見せかける罠、なのである。

税金でまかなえるようなもので、この世はできてはいないが、国民の借金に見立てて、なんとかごまかしているのが、政治屋というものである。自分たちの分け前は、税金以上に潤沢になるのだから、片腹痛いというものである。

銀行には、そういう無からお金をクルクル回しているように見せるカラクリが詰まっているが、アメリカの連邦準備銀行は、国の紙幣を刷っているのだから、規模が違う。
日本昔話に出てくる、葉っぱがお札になってドロンとタヌキにばかされるというものは、まったくもって、それらのお札のできる過程を皮肉ったもので、江戸時代から明治になって、欧米の真似事をしだした、政治屋たちへのアイロニーだと思わずにはおれないのだった。

そうして、それが、バレそうになると、どんぱちを始めたり、不審火をつけて回るのが、習わしなのだと。

潤沢な資金を刷ればできるシステムを習っているのは、どの国も同じである。

支配者と思い込んでいるものたちは、黙って、お札を作り続けている。

だから、お札を循環させることで、自分たちのルールに取り込むことで、何もしないで、人を奴隷にさせることを今現在もしているということである。

少なくとも、インバウンドも、税金もいらないのは、はっきりしている。
奴隷解放は、まずは、そこからである。

橋川文三の超国家主義の本の中に残されたテロリストのように抹殺された農本主義でもあった青年将校たちのやるせない気持ちを綴った文章を見ていると、そのお札のルールこそが、戦争に駆り立てる動機となっているようでもあり、今は、お札すら刷らなくてもいい、電子の世界を統べて行こうとしているものの電子マネーのカラクリをも見直す時期に来ている。

戦争が起こりにくくなる可能性を探る手立てになるための。

巡礼の旅。のような。



保田与重郎と山下惣一の「農」と草屋根

2023-09-25 18:40:01 | 詩小説
 保田与重郎の本が、前にここに住んでいらした平山さんの奥さんが残しておいてくださった本棚にあったので読むことにした。 三島由紀夫にも少なからず影響を与えたということもあり、やっと、そこまで辿ることができたような気がしていた。
 戦前、戦中、戦後を通して、日本とは、何なのか。を考え続けた人でもあった。


〜民間私の祭祀祈願において、生産に携わる者の祭りと信仰と、直接生産にあたらず生産者の上に臨(のぞ)み、支配の生活に携わるものの祭りと信仰との間に、事実観念の両面で大差があることを思ひ、祭りといふことについての土俗の中に、如何なる形で神州不滅の信念が生活としてあるかを考えたいと思ふ〜(保田与重郎選集第五巻「鳥見のひかり」より抜粋)


 保田与重郎のいう祭りとは、生産に携わるものの身体の中から、魂の中から毎日育まれて生まれてくるものが根本にある。

 豊穣を祈りながら生産し、生産したもの(「農」作物〜稲等)を、祭りにおいて捧げ物として捧げながら、その捧げたものを、自らも食すことによって、捧げられたもの(神)と一体化しながら、その「年」の収穫に心より感謝するという行為であり、決して、生産しないものの支配のためのものではない、搾取されるために生産しているのではない。

 それは、大規模な、農薬を使わざるをえないような農業ではなく、農薬に頼らずに、大企業が推し進める遺伝子組み換えの作物の特許などで搾取されず、山下惣一の言う、家族が自分たちのためにも、いいものを作り、周りの生態系の環境をもいいものにしていくような、身近なところを大切にしながら耕し育む「農」いわゆる「小農」と、目指すものは大きなところにおいては同じように思う。

 保田与重郎のいう「神州」とは、小さいところから、微生物のような、見えないところから、土を肥沃に変えていくような、目には直接見えない神のような小さな小さな微生物が生きている農地で、祈るように地道に一人一人が生きて、何かを耕す毎日を過ごしている人々のいる国とも言える。

 微生物がいなくなると、土は死に、死米となる。
 生物もまた土地が死ぬことによって、死を迎えることとなるのは時間の問題である。

 見えないものこそ、すべての始まりであり、すべてを育んでいるのだ。
 
 草屋根も、見えない菌が育まれ、屋根になった茅や杉皮も朽ちながら土に帰っていく。

「農」と繋がって、草屋根も生きているのだということ。

 屋根を作ることもまた、田を耕すことにも通じる、お天道様のもとで行われる祈りの一つなのであると。

 伊勢神宮の屋根が式年遷宮において稲科の植物でもある茅が葺き替えられることも、祈りの形として、意味を持っていると言える根拠である。

 屋根を葺き替えることは毎年のようにはできないが、二十年ほどで葺き替える時期になるという自然の成り行きをも与した大きな祈りの形であると思われる。


 



 









 



 






大安吉日の家族

2023-09-13 21:48:37 | 詩小説
大安吉日であった本日
我々は家族のようなものから
紙の上での家族となった

我々には茅葺という純愛があった
文学に熱愛が
音楽に愛浴があるように 

茅葺の屋根の下でねころびあい
茅のたましいとゆらゆらしながら
杉皮の面を作るのだ

コロナワクチンについて

2023-08-30 10:43:03 | 日記
コロナワクチンに関して、転載させていただきます。

以下転載〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



【バイオコンスピラシー】ゲノミクス専門家マッカナン氏が新型コロナワクチンの汚染と毒素の説明
2023年 08月 21日
みなさん、こんにちは。

またまた知人から新型ワクチンに関する興味深い情報が送られてきた。それをメモしておこう。

アメリカは上に行くほど頭が鋭利でござる。

日本は、副作用を発症しないと目覚めない人と、発症しても目覚めない人ばかりになってしまった。


 これは、コロナワクチンが、実態は生物化学兵器であるが、名称がワクチンとなっているので治療薬と勘違いして解釈している日本人が大部分なためである。


これに対し、アメリカでは、この25年間で、DNAの改変技術が非常に進んだので、国民の分子生物学に対する理解力が日本人より格段に向上し、ワクチンに対する警戒心も大いにあったようである。


2023年8月時点で、アメリカにおける一般人のコロナワクチンに対する理解度を示すビデオを最近見つけ、その内容が大変興味深かったので、コロナワクチンに関する部分を日本語で字起こししてみた。


夏休み期間中なので、一人でも多くの小中学生が、英語の勉強がてら、日本語訳を参考にして、4本に分割されているビデオを見ることを強く薦めたい。

以下のその日本語訳である。
https://gnews.org/m/1550010
ゲノミクス専門家マッカナン氏が新型クラウンワクチンの汚染と毒素を検出 要約:もちろん、ケビン・マッカナン博士の測定方法は、反人類虐殺に関与したすべてのワクチン製造業者と、FDA、EMA、その他の医療機関、およびそれらに同調する政治家に直接有罪判決を下すための最も重要な根拠を提供することになる。
【バイオコンスピラシー】ゲノミクス専門家マッカナン氏が新型コロナワクチンの汚染と毒素の説明_b0418694_10315357.png
日本語訳;

ケビン・マッカナンは1996年にMITで人ゲノム計画に参入し、数年かけて人遺伝子の全配列決定を完成させ、そこで開発された技術を基にAgencourt社を設立し、全米最大の商用DNA配列決定会社になった。

ゲノム分野での25年の研究を通じて癌、微生物、ウイルスの検出に関する多くの研究をした。


遺伝子生物学の世界で、ケビン・マッカナンがコロナワクチン瓶の内容を分析する分野へ参入する様になったのは、どうしてですか?


そのきっかけは全くの偶然からだった。2021年にケビンとピーター・マッカロー博士は、スパイク蛋白を生成するウイルスのmRNA配列とワクチンに混入されたmRNA配列とが異なっている調査論文を発表した。

というのは、ウイルスとワクチンで、スパイク蛋白質をどのように生成するかという情報が、実際に、非常に異なっていたからである。


そこから多くの人がケビンに遺伝子配列を決定するためのワクチンを送ると提案してきたが、ケビンはこうした提案を実際は決して受け入れなかったが、匿名の人がワクチンをとにかくケビンに送り届け、彼は何かの時に将来使用することがあるかもしれないと考え、その時は冷凍庫に保存した。


その後ケビンは、現在サンゴ礁を破壊している特殊なビブリオ菌の病理研究をしている過程で、実験がうまくいかなかったので、うまくいかない実験の中で何が進行しているのか調査するため、実験に投入できるmRNAが必要になった。

それで、ネットでmRNAを注文する代わりに、冷凍庫に保存していたmRNAワクチン瓶はこの時までに有効期限が切れており、我々の仕事に多少の問題はあるが、他の人たちから繰り返し別の瓶でこの仕事をするように勧められていたが、自分達の持っていた瓶で仕事をすることにした。


しかし、この様ないわくつきのmRNAを投入して反応を調べたところ、ファイザーがEMA(欧州医薬品庁)に提供したワクチンのベクター配列―ベクター図と呼ぶべきかもーと比較すると、説明のつかないこの問題のDNAプラスミドがワクチン中に存在することに直ぐに気が付いた。


ファイザーは全ての配列要素を提供しなかった、ファイザーが提供したのは全体図の中のごく一部分図だけだった。この部分図の中で、2,3の構成要素は我々が発見したものと一致し、同じ長さであり、スパイク蛋白質の配列も含まれていたため、ケビンはそれが実際に発現プラスミドであることを知るのに十分な特徴があった。我々は、患者に注射される最終製品にこれが現れるとは予想していなかったので、非常に驚いた。


The Highwireには素晴らしい視聴者がいるが、その中の多くの人々はべクタープラスミドとはどのようなものか理解できないかもしれないので、解説して頂けますか。


OK!プラスミドとは何か、べクタープラスミドとは何か?を解説すると、EMAはファイザーと実際に臨床試験を実施し、PCR法でスパイク蛋白質をエンコードするDNA片の増殖を試みたが、PCR増殖法は、うまく実用化できるほど大規模化が期待通りに進展しなかったため、大腸菌の環状DNA(プラスミド)に目的のDNA片を挿入して、複製増殖する方法に切り替えた。


そのためには、大腸菌が増幅できるようにする構成要素を幾つか追加する必要があり、そうすると効率的に目的DNAをゼロックスできる。

その結果、プラスミドは元の長さの約2倍の約7800塩基となり、アミノグリコシドレッド耐性の抗生物質耐性遺伝子であるカナマイシン、ゲンタマイシン、ネオマイシン、及び、SV40ウイルスの一部成分が上記追加要素に含まれる。



プラスミドの追加成分には、SV40ウイルスの成分もあるが、SV40ウイルスすべての成分ではなく、該当する成分として、約466塩基があり、これらはプロモーターとエンハンサーの機能や、複製起点、ポリ(A)信号があり、更に、T7プロモーターとその他の様々な構成要素が含まれる。


 かくして、大腸菌のプラスミド増殖の場合には、目的DNAの増殖を支援する様々な構成要素が背後に控えている。

この事が重要である理由は、細菌内で目的DNAを増殖させた場合、人々に目的DNAを注射する前に、細菌から目的DNAだけ取り出さなければならないからです。人体は細菌を一緒に注射されたくありません。


所で、細菌から目的DNAを取り出す工程は、ある種の汚染の影響を非常に受けやすく、特にアナフィラキシーショックを引き起こす悪名高いエンドトキシンが問題です。


このエンドトキシンに対しては監測するのが非常に難しく、どの程度汚染されているか測定する有効な試薬は無いが、こうした試薬は一般的に非常に狭い動作範囲にあり、較正するのが難しく、屡々使用されるのはLAL試薬として知られており、実際にはカブトガニの血液から採集しなければならず、米国では毎年50万匹以上のカニがこの為に飼育されているが、このエンドトキシンが存在すると血液が凝固する傾向にある。


その結果、エンドトキシンを測定するには非常に曖昧な試薬である。従って、プラスミドDNAを観察する時は何時も少し心配になり、一抹の不安がある。


プラスミドDNAには独特の臨床的注意点があり、エンドトキシンが注意すべき最優先物質で、プラスミドDNAを使用する時には何時でも注射可能な程度以下で汚染が納まっていないか、改めて確認のため戻って、確実に、一貫して基準値以下であることをエンドトキシン資料で実際に確認しなければならない。


エンドトキシンになぜ多くの注目点があるかというと、スパイク蛋白質はエンドトキシンの影響を悪化させ、スパイク蛋白質が存在するとエンドトキシンを収集し、エンドトキシンの存在下でより攻撃的な免疫反応を誘発し刺激する傾向があるという論文が数多くあるからである。


それでは、エンドトキシンとスパイク蛋白質の結合が許容されるレベルとして、FDAが実際に設定する閾値以下の駆動レベルとはどのようなものなのか。彼らは、この問題を悪化させる傾向を示す他の物質と一緒に、エンドトキシンとスパイク蛋白質を注射するとした場合、現行のガイドラインの再検討を迫られるかもしれないが、これは今は別の話題である。今は検出されたエンドトキシン問題を扱っている。



しかし、プラスミドDNAの話題に戻ると、DNAの問題は、今は継続して検討するのが恐らくより適切であろうが、注射されるプラスミドDNAにはリスクが伴う可能性がある。


このリスクは、インターフェロン反応を刺激し、やはりある種の凝固反応を引き起こす可能性があるということを示唆する論文が幾つかある。


この件に関してはFDAのガイドラインがあり、1回の投与当たり10ナノグラム以下である。

人々はこの様な注射を1回以上受けており、こうしたガイドラインは恐らく再改定されるべきである。


しかし、業界も又現行の10ナノグラム以下への改定を望んでいた理由は、それ以前の基準値が10ピコグラムであり、これは改定値よりも1000倍低い値であったので、これは基準値を増加させるために、長年に亘る製薬業界による業界ロビー活動の結果である。


しかしここで再改定を問題にしている理由は、FDAのKeith Peddenが発表した論文に示される様に、大量のバックグラウンドとして含まれるプラスミドDNAもmRNAと一緒に人体に注入されると、ある種のゲノム統合事象が発生する可能性があり、FDAの最大の懸念は、この様なゲノムの統合と、これによって引き起こされる異数性事象が発生すると、こうした緩い基準のプラスミドDNAから発生したゲノム統合事象の結果として、生物形態の異常な細胞集合体の発生を主導してしまうという事である。



ちょっと待って、少し話を戻すと、私が視聴者に理解して頂きたい先ず第一番目のことは、ファイザーがした事は、一種の細菌である大腸菌を使用した、そして、大量の大腸菌は、彼らがワクチンに使用するmRNA用に変換するための大量のプラスミドDNAを生産する完全な大量生産基盤であったという事です。


 そして、ケビンあなたが発見したことは、ワクチン瓶の中に、問題のDNAプラスミドがあることを見つけた。

 

それで、2つの重要事項がある:

1つ目は、あなたが無傷のDNAプラスミド、それから、製造過程で使用された大腸菌由来の大量のプラスミドDNAを見つけたという事実は、恐らくワクチンを汚染しているLPS(リポ多糖)エンドトキシンを体内に持ち込むことになり、これは危険因子であり、警報信号である。

 人によっては、ワクチン接種がアナフィラキシーの原因となり、多数のアナフィラキシー事故が発生している。


そうです、正解です。我々はLPSが存在したという証拠は持っていないが、注射直後に体内にあったのではないかと疑わざるを得ない、アナフィラキシーに至る非常に重篤な反応があったという事は知っている。

しかも、周辺にプラスミドが浮遊しているという事は、警報が鳴り響いているという事です。


ああ、そして、この問題を理解するために、あなたに説明を要求するのは、お門違いである。

その様な事は、公共衛生健康機関が、規制したり、監視すべきことである。


この様な事実を公開したのは、ケビン、あなたが初めての人です。

これは実際非常に微妙な問題で、雇われ人でない独立した科学者の様な人でないとできない。


更に、この仕事は、あなたの経歴を紹介した時の話で分かるように、あなたの資金で賄われたと、敢えて報告したい。


そして、2番目は、プラスミドDNA含有量が報告されている数値よりも高い事に気が付いたので、公的LPS数はどの程度に設定されているか疑問になり、念のため、これを測定しているか調べた。


その結果、EMAやFDAは推奨ワクチンのエンドトキシン測定を実施していないと私は推測する。


 ファイザーが、製薬会社側がエンドトキシン測定をした、公的機関は、ファイザーの数値をそのまま受け入れた。

その結果、既にみたようにファイザーの提出したワクチンのプラスミドDNAデータが不正確であるため、LPSエンドトキシン汚染を疑う十分な理由がある。


はい、まったく同感です。

我々は密室の中で実施されているファイザーの仕事は受け入れられない。ファイザーの資料は随時公開されているが、彼らはすべての作業を公開していないことが分かっている。



私の理解では、あなたが発見した結果と同一の結果を報告している独立した分析をする複数の実験室があると思うのですが、これは正しいですか?


そうです。他の研究機関で同一結果が得られている事が、このデータ論文に関しての最重要の事項です。

本格的審査を経た論文の半分は再検証されていない。最重要事項は再現性です。

通常、本格的審査には6カ月から1年程かかる。現在はこの審査過程が非常に政治問題化されている。より良い方向性は、絶えず、実験できる方法を編み出し、他の科学者が簡単に実験で論文を再現できる方法を考案する事です。


それで、この様な定量PCR分析方法の設計に少し時間はかかったが、別途100$以下の費用と数時間の時間をかければ、誰でもこの論文を別の環境で多くの人が再現出来る様にしたのです。


此のことが実際非常に肝心な点で、本論文の様な非常に物議を醸す予稿を公開しようとすることは、元々再現性を予定していない本格的論文の様に、再現に10000$も掛るような本格的論文と同様の机上の論争を招く様な事は、本来我々の意図する所では無い。


この様な評価分析方法を組み込むためには、余り経費を掛けずに再現を可能とするため余分な努力をしなければならないが、あなたも分かるように、本格審査論文で評価されるよりも迅速に誰でも再現作業を実施できる。


それで、これまでの所、ミルフォード分子研究所のシン・レー博士がケビン・マッカナンの論文の全てではないが、一部を再現している。しかも、彼は、自分が入手したワクチンから別のPCR増殖方法を利用して、Sangerシーケンスを実施した。

その結果、BNT162b2ワクチンのプラスミド増殖を独自にSanger検証することが出来たが、我々もSanger検証は実施している。


Sangerシーケンスは、遺伝子シーケンシングに於ける最も標準的黄金手法であり、これが実施されたことは重要な意義がある。我々は作業する場合、自社開発の次世代イルミナ・シーケンサーを使用するが、別の遺伝子解析会社が同一の結論に達したという事は、非常に喜ばしいことである。彼の分析は定量的にどの程度存在するかという事を示すものでは無いが、プラスミド・ベクターがワクチンの中に実際に存在している事を示している。


第二番目の研究者は、癌の研究者で、南カロライナ大学のフィリップ・バックホールズ博士で、薬局から直接ワクチンを取り寄せていて、我々のワクチンの起源では、誰がどのような素性のワクチンを送り付けたのか我々は実際に特定できないので、我々の実験結果に多少批判的であった人もいると思うが、我々が実験に使用したワクチンが改竄防止瓶であったので、ワクチンには何も手をつけていない事は断言できる。


そして、ワクチンの完成度が劣化していないかを我々は測定できる。

しかしながら、ワクチン瓶の由来は実際特定できない。


バックホールズ博士のワクチン瓶は、完全にその素性を検証可能であり、彼は我々の定量PCRデータを再現できると共に、彼のデータは完全な透明性有している。


彼は我々の主張を検証するのには、うってつけのひとである。


mRNA作成用DNAプラスミドでファイザー・ワクチンに含まれている量は、彼の場合約10ナノグラムの様であり、我々の結果は彼より多かった。

我々のCt値(増殖回数)は彼よりも少しだけ低く、PCR値が低いという事はより多量のDNA断片が体内に入ることを意味する。そして、ワクチン瓶にはDNAの変形体も存在し、このことは当然である。


この件に関してEMAのデータを調べると、彼らはファイザーから10本の瓶データを取り寄せ、10本の間には815倍の開きがある。それで、この測定を再現すると、又異なる数値が得られるが、とにかくすべての実験においてDNAプラスミドは検出できる。


バックホールズ博士は又Oxfordナノポア・シーケンシングにも挑戦し、その結果、プラスミド分子の平均断片長を確定するシーケンシング・データを獲得することにも成功した。


我々も同様の作業を実施しており、我々のシーケンシングでは平均分子長は約214塩基であるが、プラスミド断片長はシーケンシング内では約3500塩基であり、より詳細なシーケンシングは実施しておらず、せいぜい866程度までの分析であった。


然しながら、我々はDNAプラスミドの非常に長い断片が存在している事にも気が付いた。

ファイザーはこうした長いDNA片を除去しようとしているが、核酸反応として知られている反応を採用し、DNAase酵素により、DNAプラスミドをDNAに分解しようとしている。


然しながら、オッたまげたことに、多量のRNAが存在する環境では、当該酵素は十分な機能を発揮せず、RNAの類は対象となる酵素に付着して分解機能を妨害する。

この事実にEMAは気付いたかもしれない。


 そこで彼らはファイザーにこの反応がどの様に作用するのか、その作用機序はどの様になっているのか明確に示すように、もっと多くの証拠を提供するように要求した。その理由は、815倍の変動が生じることは規格外の出来事であることに彼らも気付いたからである。


そこで、ファイザーは2種類のどうにもならないDNAがあることに気付き、EMAもこのことは承知している。


本当の問題は、各ロット間で、どれだけDNAプラスミドの数量が変化するのか、また、ロット内ではどのくらいDNAプラスミドの変種ができるのかということであり、この問題に対処するためには、もっと大量のロットに対して検査することが必要となっている。

というのは、現在、我々はこの問題を正に追及中であり、明らかに規格外の事象が出現しているからである。



すると、ファイザーの製造工程に何か問題があるように思え、大腸菌由来のプラスミド・ベクターを彼らが適切に充分細かくなる迄分解していない可能性があり、また、あなたが指摘した様な多面的観点から物事を検討する必要があるが、すべての事情を把握する能力を現段階では欠いているかも知れないので、もう少し詳細にファイザーを監視する必要がある。此の様な印象を私は受けた。


ケビン、あなたはこの問題に対して、多くの異なる手法を駆使して、非常に多角的な検討をしているが、この様な技術はすべてあなたの実験室にあるのですか、それとも、色々異なるシーケンサーと多様な手法を駆使して、誰か他の実験室と共同作業をしているのですか?


我々の実験室には、すべてのものが揃っています。我々がこの実験を完遂しなければいけない理由の1つは、この実験は非常に論争を招きかねない話題であり、2つ目には、DNAシーケンサーを開発した過去の経験を踏まえると、ヌクレオチドを改変する時はいつでも、対象を測定する装置は、突然、怪しい結果を呼び込むことがある。


そして、この実験は一種のRNA改変作業である。視聴者は気付いていると思うが、N1メチル基の準ウリジン化の場合、モニタとして使用する装置で、存在するDNAの数量を定量化する装置の中には、改変されたRNAのため数値を誤って計測する物もある。


それで、実際に起きている現象では、もしファイザーがEMAに開示したデータで検討すると、彼らが実際の規格に適合するデータを提供する装置を採用して、自分達に都合が良くなるような試合を演出しているのである。


従って、この問題を正確に計測する正しい方法は、全く同一の装置でRNAとDNAを計測することである。


我々の場合、非常に多数回のイルミナ・シーケンシングを実施しなくてはならないが、qPCR法で定量化することにした。qPCR法に拘ったのは、ファイザーがワクチン中のDNAの検出にこの方法を採用したからである。他方で、彼らが提出したRNAの定量化の場合には、RNAを増量するため又別の方法に切り替えて、蛍光法を採用した。

 

 ここで見落としてはならないことは、我々が提供したすべての補充材料を検討する場合、得られた推定量は、計測方法を切り替える事により、倍数単位で測定値が変更可能な事であると思う。



それで、規制当局には、RNA数量を増量させる装置データを採用できるし、又別の規制に対してはDNA数量を減少させる装置データを採用することもできる様になり、規制値自体が都合よく回避できる事になる。


しかしながら、RNAとDNAの両者に対して、全く同一の手法を採用すると、この様な境界を突破できることが分かるだろう。これが我々が最終的に到達した結論である。

 我々は誰もが理解することが出来るPCR法を採用し、これをCOVIDに適用したので、ワクチン検査に我々の方法を使用できないとは言えない。この方法は非常に定量的で、こうした装置は、RNA測定とDNA測定の両方に使用できる。


同一の測定を実施する正しい方法は、特定の規格に適合して条件を満たすために、異なる評価分析法を採用して都合の良いデータだけを採用するのではなく、全く同じ評価分析法で、RNAーDNA比を測定することである。



さて、ここで総括するために、もう2,3質問させてください。ケビン、あなたはワクチン瓶の中にあってはいけないDNA片を多数個見つけた。然るに、その個数はFDA規制値或いはEMA規制値を其々どの程度超過していたのですか?そして、多くの変異株があると伺ったのですが?


 はい、そうです、実際に蛍光法でこれを測定すると、本来の約30%に近い値を示す数値を得ることができる。これは恐らく測定値としては最小の規制値を提供する仕組みである。


一方、PCR定量法を採用すると、EMAは3030RNA分子の其々に対してDNA分子がどの程度含まれているかを示すRNAに対するDNA比の様な比率情報が欲しかったようで、私はどの様な事情で彼らがこの様な数値に辿り着いたのか知らないが、これが彼らのガイドラインに示されている内容であり、

こうした数値は約17倍から70倍超過していると私は思う。


こうした数値が重要であるのではなく、どの様な手法で我々が測定したかというと、我々はRTqPCR法を測定に採用した。


どの様な基準を採用するにしても、FDAやEMAの基準に於いて、兎に角、あなたと同僚がワクチン瓶の中で見つけたものは、許容されるDNAプラスミド規制値の4~10倍、17~70倍超過していると伺ったが、


ところで、我々の目の前で上演されているこの壮大な実験では、数十億人がワクチン接種を受けている。


今や我々がもっと真剣に監視する必要があると認識するために開始され始めた本当に大問題をあなたは提起した様だ。

我々は、政府に対して、こうした方面にはあなたの研究を再現するもっと多くの科学者が必要であると言いたい。


ところで、FDA,CDC,NIHやファイザー、モデルナに話を持って行った時、この様な人々と、あなたが呼び出しを受けるようなやり取りが、何回ぐらいあったのですか?


うん、FDAに報告したが、ただ無視されたようだ。次のXB1.5やその他の変異株に対するワクチンの生産で頭がいっぱいの様だった。それで、どの様な事態が進行しているのかは、定かでなかった。


我々がしている事は、長期のコロナ疫病に対して長期のワクチン接種の影響を評価する場合、病理学者が注目する定量的PCR試薬の一種として有効なDNAプラスミド・データを提供して行くことにあるからである。


現在現場で問題となっている一つの事に、病理学者の多くは今やCOVIDに感染してしまい、彼らは誰でもスパイク蛋白質を持っており、多くの人がワクチン接種をしてしまったので、屡々、長期のコロナ疫病で問題のスパイク蛋白質が、実際にワクチン由来の物なのか、そうでないのか見分けることが難しくなっている。


我々は今やDNAを使用して区別することができるようになった。

というのは、ワクチン由来のDNAは、ウイルス由来のものと実際にまったく異なる別物だからである。


両者は、約72%は同一のものであるが、我々の定量的PCR装置を使用すると、スパイク蛋白質がモデルナ、ファイザー、ジャンセン其々どのワクチン由来の物か区別可能であるし、実際のウイルス感染由来なのかも区別でき、今や母乳中に検出されるmRNAや28日経過した血漿中の物も含め、あらゆるmRNAの性質を区別可能となった。

我々の装置は、病理学者が長期のコロナ疫病に対して長期のワクチン接種の影響を評価する助けとなるものである。


我々は、他のいかなる会社や製造業者とも直接連絡をとっていない。我々は、社会がこの様なデータがあるとどの様な方向に向かって進んでいくのか観察するため、ただデータを公開しているだけだ。


率直にいって、我々は強制されてしているのでは無い。我々はある意味偶然にこの問題に、問題自身が抱えている重要性に引き寄せられて、巻き込まれ、まだ完成していない予稿原稿を、無責任のままでは公表できないと決断した。


我々は、実際に、他の人が実験を再現できるようなある種の観察経過報告書を考案しなければならなかった。それは現在まさに展開されているようになっているが。


なるほど、納得!それで次に、あなたが見つけたSV40促進シーケンスに関して尋ねたい。これは興味深いものだが、問題含みで、悪名高い問題児のウイルスでもある。


この件は、ポリオワクチン、初期のポリオワクチンであった時の様にウイルス全体が関与している訳ではないと承知しているが、SV40シーケンスに関して話してもらえますか?

この件は、FDAやEMAに報告済ですか?

ファイザーの開示文書ではどうなっていますか?


否、実際、私はこの件に関する情報を誰でもよいから私に送ってくれるように頼んで、情報を追跡中であるが、私が目にした唯一の情報は、製薬会社がEMAに提出したプラスミド地図、悪名高い情報の消された地図だけだ。


プラスミドのSV40の領域以外にはすべて注釈が付けられている。

おっしゃったように、SV40はポリオワクチンの時、非常に評判が悪かった。

 このウイルスには恐らく約1億人が感染し、SV40に発癌性があるのか? や、癌の原因なのか?に関する文献には多くの論争が残っている。


現在、我々はSV40ウイルス感染全体の情報は持っていない。しかし、ポリオワクチン・プログラムの場合、人口の約2%から20%の比率で、SV40検査で陽性だった。


それで、ポリオワクチンで見逃がされていて、現在、製薬会社には、促進剤、機能増強剤、核定位信号情報を含むもっと多くの別の材料で構成されたワクチンが注射されているようである。



我々が最も懸念していることは、こうした事がコロナウイルスの場合にも、ポリオワクチンの場合と似たような感じで起こっていくことでは無く、コロナワクチンの中にある各断片が、生物科学技術分野で使用中の遺伝子構造の過激な改変により生み出されていく断片であるという事です。


それで、我々の所にはLNP(脂質ナノ粒子)からDNAを獲得する定向装置の一種で、獲得DNAを効率的に細胞の中に導入する装置があるが、対象のLNPは数兆個存在し、恐らく約14兆個生産された。


一旦、免疫システムやヌクレアーゼの分野で充分に研究され尽くされていないDNAが装置により細胞に組み込まれると、問題となるDNAは次の細胞に分配される様になる。

それで、問題DNAの核定位信号がDNAを細胞核に移動させることになる。


あなたがここで披露していることは、すべて明らかに多くのバックラッシュを引き起こした。

この様なバックラッシュをあなたはどの様に感じていますか?


現在、私が展望すると、あなたは戦士で、こうした問題に対処するあなたの方法は、馬鹿馬鹿しい議論、捏造コメント、捏造された議論に遭遇した。それは、あなたも知っての通りだ、

ケビン、こうしたことを続けていってくれ。実際―あなたは偉大な仕事を成し遂げている、それは光栄な仕事であり、あなたはこの仕事をすべて自己資金で賄ってきている。相手が何者なのか分かっているー何かあなたの所に相手は交渉しに来ましたか?


ああ、その様に言ってくれて有難う。

ツイッター上の一部の人々は、商売で私の家の住所 を公開した、これは彼らがやってることの一つだ、それは、必ずしも科学的な論争とは言えない、一種の脅しか、又、我々の仕事を、酸化グラフェン毒素や生物毒素とかの背後に余りしっかりしたデータを伴わない他のあらゆる仮説の様な我々とは異なる粗雑な理論と関連付ける人々もいる。


もし彼らがこの様な材料を私達の研究と名札付けするならば、彼らは我々の主張以外のすべての主張は制裁の対象でないと見做していることになる。


しかし、注目すべき重要な事は、この分野の信用証明された非常に責任ある科学者は、この問題を検討し、

これは重大な問題で、注目に値する問題であると、我々と同様に繰り返して言った。


この事によく精通している人は、この問題は軽々しく受け止めるべきでないという事を承知している。


これは容易に解決可能な問題であるが、ある種の接種可能なワクチンが呼吸器系ウイルスの治療に価値があるという事には少し注意した方がよいように思う。

というのは、ワクチンを接種して呼吸器系ウイルス問題を解決するという治療体制全体に欠陥があるように思われるからだ。


しかし、仮に上記以外の別のワクチンやmRNAが必要な違う治療方法があるとすると、この様な治療方法の中にDNAプラスミドが残っている事は、絶対あってはならない。

というのは、我々にはDNAプラスミドを除去できる手段があるからだ。

我々はこの様な問題に使用可能で、長時間に渡ってもっと酵素機能を発揮可能な別の種類のヌクレアーゼを持っている。

この酵素は、非常に計測可能で、かつ、数量化可能であり、恐らく、除去機能は高価なものにならないだろう。


私は、製薬会社が持っている免責条項とそれによって邁進している開発速度が、彼らの問題領域を見える様に描き出したのだと思う。

上述したワクチンに過剰なDNAが存在し、実際、彼らはそうして、ある種のガイドラインを越えてしまったが、それは必ずしも彼らの責任だけだとは言えない。

彼らはこの件に関し説明責任があるだろうし、それから、免責条項の取消は品質管理に重い責任を追加するだろう。


この様なワクチンを接種される如何なる事態に対しても、汚染物質が中に存在することは絶対に許されない。

我々は汚染物質を除去する装置を持っている。


やー、私は、あなたと完全に同じ意見です。

彼らには、安全でより良いワクチンを製造しようとする動機がまったく無い。

彼らは、余りにも多くの責任問題から保護され、免除権が与えられている。


このインタビューを閉じるに当たり、4乃至5点の主要な議題に関して、私にまとめをさせて下さい。

なぜ人々はあなたの発見した事に関して、心配する必要があるのですか?

ケビン、ワクチンが汚染されている事に気が付いた後で、君の一番言いたいことは何ですか?

ワクチンが汚染されている事に気が付かない人々には、汚染ワクチンはどの様な意味をもっていますか?


我々は遺伝子統合の証拠は持っていないが、それは誰も注意していないからのようである。

それで、みんなが注意し始めるべきだと思う。

我々にはDNAを増殖する装置がある。


ちょっと、遺伝子統合とは何ですか? さあ、遺伝子統合について説明してください。


それでは、もしこのDNAが細胞核に侵入すると、実際に細胞の遺伝子に組み込まれるようになり、このことは誰にとっても懸念すべき問題である。


というのは、数年前、確かこのパンデミックが始まるほんのちょっと前に、覚えておられるなら、CRISPR改造された赤ん坊を生まれさせた科学者が有罪で投獄された。

我々は、人の遺伝子改変に関しては非常に心配している。

我々は、そんなに致命的でも無いと言えるコロナウイルスの恐怖のために、この事に関する関心を喪失したように思える。


それで、コロナ前の時点に戻って、自らに問いかける事を強く勧める。

我々は、数十億の人々に、潜在的に幹細胞遺伝子や配偶子に侵入・組込まれる未知DNA分子が数十億個入ったワクチンを接種し続けたいのだろうか?


 それで、幹細胞遺伝子や配偶子に未知DNAの組み込みを開始するという事は、このことによって投獄される犯罪を犯す段階に進むということである。

しかも、このことを遺伝子組み換えした2人のCRISPR赤ん坊に対してではなく、いまやこうした事を、この様な事に同意していない数十億の人々に実施している。



私が主張したい別の事柄は、このことは、監視機能を喪失している兆候ではないのかと思う。

責任免責条項があると、監視機能が働かない。

それで、みんな責任免責条項に戻って、この条項を削除する必要があるように感じる。


というのは、この様な免責条項があると生ぬるい対応を奨励することになり、壊滅的結果を齎しかねない問題ではあるが、容易に解決可能な問題でもある。

この問題に潜むすべての犯罪は、非常に解決可能なものであるが、実際に犯罪は起きた。

約100$の費用と1時間の時間を掛ければ、解決でき、遺伝子に組み換えがないか検査できる。


そう、約100$の費用と1時間の時間を掛け、適切な装置を使用すれば、解決できる。

やー、DNAのどの様な断片であっても、確認できるよね。


第3番目として言いたいことは、このワクチン接種によって被害を受けた人々を助ける必要があり、献血問題を心配している。献血で供給される血液の中にあるワクチン汚染物質は、今や別の血液接受者にとって問題化しつつある。


不妊治療のクリニックでは問題ないの?

精子提供者には問題が無いの?

精子関係の仕事をしている人には問題が無いの?


今や、長期のコロナ感染や長期のワクチン接種に関して、病理学的な仕事に従事している人々の上記のような汚染拡散シーケンスを検査することができる装置があると公表できるようになった。

検査装置の公表は、本当にきわどいタイミングだと思う。


ケビン、それは非常にきわどかった。検査装置は重要な貢献だよ。

こうした自己免疫疾患や癌などを、私は自分のクリニックで個人的に診察している、

既往症が何も無いのに、若い人々の間で癌が爆発的に増加している。

それで、あなたは、問題を掘り起こし、こうした状況の原因は何なのか、我々がよりよく解明するのを補助する新しい技術を生み出している。

全世界中で病理学者により報告されているこうした自己免疫疾患や癌の爆発的増加の原因はワクチンなのか?


それは本当だ。原因解明にPCRキットを使用でき、これらは我々のウエッブサイトにある。

使用手順は無料でダウンロードできる。

系統的分析用の一連の試薬が必要であれば、我々はそうしたものも提供できる。

そして、使用のため世界中に我々は全てのシーケンスを公開している。

生検でこうした証拠が少しでも見つかれば、原因を追跡でき、病理学の情報収集・蓄積に貢献できるだろう。



こうしたワクチンには疾病を悪化させる要因がDNAに由来するとは言えない別の側面もある。

我々はまだそのようなデータを持っていないが、現在展開されている多くの事象が見受けられる。

我々は、この懸念が過去の経験と関係しているのであるが、潜在的に遺伝子に組込まれる可能性のある発癌性を誘発するシーケンスを獲得している。


我々は、又、ワクチンが有する次のような事も承知しているーワクチンは白血球の個数を減少させるーファイザーの臨床試験は、リンパ球減少症と好中球減少症を明らかにした、これは非常に問題である。


しかも、スパイク蛋白質が遺伝子の保護者p53とBRCA1に干渉するという事を示唆する別のデータもある。


上述の3つの事象を総合すると、癌発生リスクが一段と高められた完璧な暴風雨を創造でき、この状況が今まさに眼前で展開されている。


やー、ケビン、ワクチンの何が原因で、どんなことが起きるの?

こうしたワクチンの多くは、6カ月の子供にも接種が公認されたことは承知しているよね?

それで、あなたが見つけたファイザーやモデルナの汚染されたワクチンを、6カ月から5歳の子供たちに接種したら、どうなるの?


そうなんだ、私は子供達のことを一番心配しているんだ。子供用にワクチン接種の服用量は減量されてはいるが、彼らの体重に応じて比例的に減量されている訳ではない。

だから、子供はずっと体重が軽く、服用量を2分の1や3分の1に減量するかもしれないが、想定より遥に高い量になる。これは、子供が若くなるほど顕著になり、慢性的問題が発生するようになるには、非常に時間がかかる。


同様にして、The Highwireが発信した多くの仕事から気付いていると思うが、こうした幼い子供達にはウイルスに感染するリスクは本来無い。これは幼くなるほど明瞭な傾向で、年を取る程リスクは高まる。

だから、子供へのワクチン接種は、どの年齢の子供に対しても、直ちに中止すべきだと思う。


心筋炎で観察される最近の感染数を基にすると、本来は、如何なる年齢の如何なる人に対してもだ。


人間の盾として子供を使用する事には、反感を感じる。このワクチンが感染の流行を止める理由は何もない。

人は病気を媒介し広めるのでワクチン接種が必要だという議論は、非常にマルサス主義的で反感を感じる。


ケビン、同感です。


以下、省略

あきたこまちが危ない

2023-08-19 20:03:37 | 日記
米を禁止されてはならない。
全量転換する必要はない。
政治屋はいらない。
ちゃんと食を守ることが何より必要である。



【8月21日〆切!】あきたこまちRに関するパブコメへの協力のお願い

日本を代表するお米である「あきたこまち」。
秋田県はこの「あきたこまち」を2025年から放射線育種後代交配種の「あきたこまちR」に全量転換することを決定しました。従来の「あきたこまち」の種籾の提供は秋田県では2024年が最後になってしまいます。「あきたこまち」だけでなく、他の秋田県が提供しているすべての品種が放射線育種後代交配種に代えられようとしており、このままでは秋田県のお米のほとんどが放射線育種米になってしまいます。そして、これらには遺伝子特許が取られており、自家採種もすべて禁止されます。

また、これは秋田県に限られず、日本全ての都道府県でやることを農水省は計画しており、日本で作られている300品種のうち、すでに200品種以上の放射線育種後代交配種が準備されつつあります。
このままでは日本のお米がすべて放射線育種米になってしまい、お米の安全性もさることながら、今後の激しくなる環境変化に耐えられるのか、わかりません。また、その自家採種も禁止になりますので、日本のお米はすべて自家採種禁止となってしまいます。

この放射線育種の目的は人体に有害なカドミウムを吸収しにくいお米を作ることでした。重イオンビームを3000近いコシヒカリにあてて、その中から3つだけカドミウムをほとんど吸収しなくなったお米ができました。ある遺伝子が放射線で壊されていて、その遺伝子がカドミウムの吸収に関わっていたことがわかりました。遺伝子を破壊するとなるとゲノム編集の得意分野です。この放射線育種米はいつの日か、ゲノム編集に代わる可能性が十分あると考えます。そして、壊していい遺伝子などなく、この壊された遺伝子は実際には稲の成長にも子どもの成育にも重要なマンガンを吸収する上で役立っている遺伝子でした。それが壊されるためにマンガンを吸収しにくいお米になっており、ごま葉枯病などの病気になりやすいことがわかっていますし、ミネラル不足のお米になることも不安材料です。

カドミウム汚染地域は全体の3%未満ですが、汚染地域だけでなく、すべての水田で同じお米を作るべきという方針が作られました。汚染地域だけで作れば「風評被害」が生まれるからだというのです。でもこの「あきたこまちR」や「コシヒカリ環1号」はカドミウムをほとんど吸わないので、地域のカドミウム汚染を減らすことには役に立ちません。また、すべての農家にマンガン不足にならないようにマンガンを追加するという新たな負担が課されることになります。

これは日本の農と食に多大な影響を与えざるをえません。ですので、秋田県が突出して転換を進めてしまえば、追従する動きが必ず出てくるでしょう。その意味でも秋田県の動きをいったん止めて、慎重な検討をしていただく必要があります。

冬の旅

2023-02-27 05:13:37 | 日記
アニエス・バルダ監督の「冬の旅」を日田のリベルタで拝見。

北九州の昭和館も復活の兆しが見えている様で、映画を愛する方々の、底力を感じながら、大勢でなくとも、映画館の方々が本当に見たいと思った映画を、特別に見せてくれる様な、開かれた秘密基地の様なところが好きである。

映画を見るという行為は、自分の内面のモヤモヤしたものをあらわにしながら浄化していく時間の様で、定期的に必要な儀式の様な時である。

偶然、女子相撲の映画で、コーディネーターとして父の仕事の関係で住んでいたことがあるイランに、ゲリラ的に映像を撮るためにご同行した久保山氏から、戦後のノーベル賞を取られた方々の読書会がしたいという連絡が入った。ノーベル賞云々は関係なく、ギュンター・グラスのブリキの太鼓の話や石工をしていた彼の話がしたいので、その時は参加させてもらえたらとお伝えした。
大江健三郎の今も気になるところではある。
なぜ、戦後か戦争中かわからない、今の時代を、表だって語ないのか。語られないのか。

戦後は続いているようで、戦争が続いている。
平和だと言いながら、諍いごとは日々にある。
人を殺してはいけないと言いながら、人を殺すのを願うようなことどもも、日々繰り返されている。

見たくないことには、蓋をして、ご機嫌さんを装っているだけの。

人の生身の息遣いの感じられない音は、映像は、ものは、言葉は、聞きたくない。見たくない。触りたくない。と思うのは、それぞれの自由ではある。

それにしても、映画のものつくりを間近で拝見させてもらえた喜びは今も続いており、久保山さんのジレンマも知っている分、映画の神様に祈りたい気分であった。
文学の神様にも。

今日は自由に、解き放たれて、じっくりと自分に向き合えと言われた気がした。


路上を選んだモナの、最後の数週間の冬の旅を、出会った人の語りとモナの眼差しで、映像でドキュメンタリーの様に切実に、そのままで語られていく。

自由とは孤独なことなのだ。

という哲学者のヤギを育て家族と生活をしている人が言う。

彼は、放浪の果て、そこで育てることを選んだ。

モナは、育てることよりも、放浪そのものの路上の自由を選んだ。

ヒッチハイクをしながら。

最後の祝祭の生贄の様に、寒い時期のワイン祭りで、鬼の様な格好の男たちに、ワインをぶっかけられ、溝の様なところで、つまずいたまま、そこに倒れこみ、亡くなって冷たくなっていたところを働いているものに、発見されるところから、物語は始まる。

最初と最後が繋がったところで、終わりがやってくる。

あっけない終わりが、より現実味を帯びて、自由ではあった学生時代の、何ものでもない、もがきをかきむしられる様な映像であった。

ねこのめ

2023-01-07 23:53:01 | 詩小説
茅を運んでいたら
猫の子の亡骸を見つけたという
茅の山の間に眠っていたという
茅と猫がとけあっていたという

茅倉庫の台の上に水筒が置いてあった
ピラミットの中の目のようなものに
足が描いてあった
働いているようで働かない監視カメラの目のような

金と菌と禁を積み重ねて
世界のピラミットの要といいながら
働くものを笑うものは
いらない目にあう

金をすればするだけ長者と言われるものと
働けば働くほど長けたものになるのと
死ぬか生きるか
働くか働かないかほどかけ離れていく

軽トラに茅を積みかさねて
車輪の横でくろねこにあう
黄色い片目だけが光るねこのめにあう
こちらをじいとみているめにあう

あがりめ さがりめ くるりとまわって ねこのめ

いきている しんでいる あのこをさがした ねこのめ




杉皮の壁

2022-11-04 13:24:30 | 詩小説
杉皮の壁を作った

杉皮葺の屋根は
屋根の傾きに
皮だけになった身をそらしながら
一寸弱だけずらしながら重ねていき
竹で押さえ
またその上に
竹が見えなくなるように
杉皮で葺いていくのだ

杉皮の壁を作った

壁は垂直であり
竹で押さえることもせず
ばすばすと一枚づつ固定していく
ゆるりと皮がなめされていくように 
杉皮のざらりした肌目の波に
手心を委ねて
白い粉と杉のヒゲを
はらはらとはらいながら
杉皮が重なっていく
壁が大きな樹になっていくのだ

お見送りの朝

2022-10-14 01:26:31 | 詩小説
軽トラックに乗って、杉皮葺の屋根で使う、杉皮のうめものと茅のうめものを運んでいた。
道を左に曲がり坂道を登っていくと、朝の挨拶運動で幟を立てている人たちが、軽トラックに向かって挨拶をしていた。
おはようございます。
という声はお互い聞こえないまま、窓越しの透明な無音の中、自分も会釈をしながら、通り過ぎていた。
どこかの宿にでも泊まって、お見送りでもされている、奇妙な気持ちになっていた。
何かがいつもと違うような気がしていた。
坂道を下り始めると、ふと、現場への道とは反対方向の道を走っていることに気づいた。
このまま、引き返そうか。
とも思ったが、あの一度目のお見送りの後に、また引き返し、二度目のお見送りをされる気持ちにはなれず、そのまま、反対方向の道を下って行った。
道は、下ったところでまた別の道を上がってくることにはなるが、ぐるりと繋がっているのだった。
それにしても、なぜ、この道を通ってしまったのか、無意識にしても、なんだか、奇妙な朝だった。少し遠回りになるが、このような日は、何か起こりそうで、いつもより安全運転で焦らないように、現場に向かった。

仕事が終わって、家に帰り、晩御飯を作って、食べ終わり、ゆっくりと、お茶を飲んでいた時に、姉からの携帯電話がなった。

じいちゃんが危ないらしい。病院から、呼び出しがきたと。
コロナでも、面会はできるっていうことやけん、かなり危ないんじゃなかと。
今、ばあちゃんたちと病院に向かっとる。
あんたは、仕事があるけん、夜遅くなるし、無理せんでいいけん。

とりあえず、行くわ。索道と道成と。

夜の道を、道成が運転した。

30分は早く着くけん、高速に乗るよ。

いつもは下道で、ゆっくりと道道のものを眺めながら走るのだが、今日は、いつもと反対の道を行く日のように思えた。

病院に着くと、姉が戸口で待っていた。
時間外なので、特別に戸を開けてくれたのだった。

エレベーターを降りると、部屋がすぐそこだった。
何ヶ月もチューブに繋がれて、口から飲み込むこともできず、チューブを通ってやってくる点滴だけが、じいちゃんの透明な唾液のようで、唾を飲み込むこともままならず、身体中にねっとりとした透明なものを注ぎ込まれ続けていた。

じいちゃん、血圧が下がっとう。

景気を見ると、上が65でしたが33しかない。

ばあちゃんが、じいちゃんのくの字に曲がってしまった手や細くなった手首や腕をさすっていた。

二時間くらいさすっとったとよ。

ばあちゃんは、目をショボショボさせながら、言った。

席を譲られた私は、じいちゃんの決して口を開くことがない、きっちり、頑なにしまった鳥のくちばしのような手をさすり始めた。

じいちゃんの手、ずっと、このままやけん、指と指の間に垢が溜るとよ。

ばあちゃんが言った。

へそのゴマみたいやね。

私はそう言って、じいちゃんの手をヤワヤワとさすり始めた。
少し暖かかったが、指先の方がくちばしのように、血の気がなく、かたくなっていた。

ばあちゃんと姪っ子と姉が疲れ果てていたので、隣の空いたベットで横になったり、椅子に座ったりしていたが、道成は索道を迎えに行ってくれた。

次の日は、東京に出張なので、空港近くの宿いたのだが、少しでも、じいちゃんに会える時に会っていた方がいいと、迎えに行ってもらったのだった。

索道が来ると、ずっと目をつぶっていたじいちゃんの目をそおっと開けるつもりが、みんなが見えるかもしれないと、こじ開けて目をひんむいてしまっていた。

じいちゃん、索道に道成が来たばい。みんなもおるよ。

もう、じいちゃんは、何も言わなかった。

脈と頭だけは、脈々と動いていた。というよりも、痙攣のように、小刻みにリズムをとるというよりも、無意識のうちに頭を振る癖のそのままのように、何かの音頭をとるように、動かし続けていた。

この前来た時、何が食べたい?

って聞いたら、

キャベツ食わせろ。野菜ば食わせろ。

と言っていたのに、もう、何も食うことができんのやね。

私が言うと。

アッコ、キャベツば食わせろ。

と、じいちゃんの真似がばさりこうまい道成が、かすれた声でじいちゃんの真似をしていたのを思い出した。

索道と道成がじいちゃんの顔に触った。

今度は、じいちゃんのふくらはぎば、もんじゃろうね。第二の心臓やけん。

姉が、ぎゅうぎゅう、もみ始めた。

そうやね。

私も、ぎゅうぎゅうもみ始めた。

皆で、交代でもんでは、仮眠をとっていった。

索道は、一目会えたので、とりあえず、安心して宿に帰っていった。

朝方、ベット脇で、控室の椅子を繋げて、仮のベットにして、じいちゃんの手首を握って眠ってしまっていた。

じいちゃんの仕事の関係で、イランに行っていた時に、よくソファで、掘建小屋を作ったり、ベットにしたりして遊んでいたのを思い出していた。

遊び道具が、あまりなかったので、あるもので、なんでも遊んでいた。紙に住みたい家の間取り図を描いて、その上で、ボールペンの先っぽの黒いペン先が出る穴の開いたプラスチックの方を、人に見立てて、やたらと地味な遊びをしていたのを思い出したりしていた。

朝が来ていた。

お医者さんが来て、一通り、計器を見て、

酸素が行き渡らなくなってきたのもあるから、気をつけて。

と言った。

血圧が少し上がっていたので、姉は家の用事で部屋を出て、私と道成は、サンドイッチと飲み物を買いにいった。

突然、携帯が鳴った。

姉からだった。

じいちゃん、危ないらしい。

急いで、病室に帰った。

じいちゃんは、もう、首を振ることもなくなっていた。

娘さんたちがいなくなって、寂しかったんやね。

お医者さんがいった。

サンドイッチに挟まれた野菜を食わせたかったなあ。

じいちゃん。





















『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』

2022-09-03 15:12:12 | 詩小説
『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』拝読。

『霖雨』葉室麟著。

天領日田で私塾咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓とそれを支える弟九兵衛を通して、広瀬家に関わる人々を描きながら、大塩平八郎の乱などの起こる時代背景を浮かび上がらせている。


咸(ことごと)く宜(よろ)し=すべてのことがよろしいと言う中国最古の詩集『詩経』にある「殷、命を受く咸宜(ことごとくよろし)、百(ひゃく)禄(ろく)是れ何(にな)う」から来ている咸宜園の名。
現在、史跡咸宜園跡には、江戸時代に建設された居宅「秋風庵(しゅうふうあん)」や書斎「遠思楼(えんしろう)」が良好に保存され公開されている。

秋風庵は、杉皮葺の屋根となっていて、真冬の雪が降りしきる中、補修をさせていただいたことがある、とても、思い入れのある屋根でもある。

淡窓が病弱だった若かりし時、肥後の天台宗の高僧豪潮律師が日田の永興寺に来て連日加持を行っていたので、秋子が病気がちな兄の淡窓のために大誓願を立てたという。


体が弱いということで、家業を継ぐことなく、儒者となり、私塾を開き、日記や思想、詩を書き続けたと言う淡窓の、「敬天」の心持ちは、弱者から始まっているようで、身分よりも、学ぶことに集中出来る場を作り、その後にも考え続けることをし、人の芯を作っていく術を育てたと言える。

大塩平八郎は飢饉の際、備蓄してある米があるのに死んでいく人々とともにあり、決起したのだが。
天領日田でも同じような状況下にあって、九兵衛は粥を振る舞ったりしていたが、当時、日田金と言って、大名にも金を貸し付けていた博多屋を取り仕切っている九兵衛に対する圧力は大きくなっていた。九兵衛が当時の郡代に命ぜられて手がけた、日田の灌漑事業の成功ののち国東などの灌漑事業も任せられてはいたものの、そこに駆りだされたものたちが、すぐに利益が得られたわけではなかったので、不平等感とともに不平が噴出していたという。
淡窓は、力ではなく、敬天の思想を軸とした、学問の上で平等を目指していたと言えるだろうが、九兵衛は、商いを通して、実践していこうとしたと言えるが、そこには、軋みもあったと言える。

今の世において、自由度は、増しているようにも思えるが、「税」に関しての不平等感は拭えないものとなっている。
個人事業主からは、インボイス制度を押し付け始めており、サラリーマンからは、間違いなく税を絞りとるだけ取り。
大企業においては、法人税を払わないでいる企業もあり、税金など、払ってもいない状況の者たちは、野放しという状況は、見えなくされている。
諸外国においては、コロナの影響もあり、消費税をある程度免除する方向の国もあるというが、この日本では、議論にもあげようとしないでいる現状を鑑みて、金を刷り続ける国家というものに、そもそも、税金などいらないというのが、自分の考えである。
不自由を押し付けられることなく、金の奴隷を作らないということは、まずは、何より、いらぬ税金を取らない・取られないということが必要である。

その金を擦り続けている打ち出の小槌状態の機関である国あるいは世界政府と言われているものが跋扈する世界の在り方を、心底から、考える時期に来ている。


「金」を媒体としない、相互扶助の成り立つ世界を目指すことも一つの形と言えるかもしれないが。
本当の自由とは、究極は、自分で何事も完結できることなのかもしれないと思う今日頃ごろではあるが。



閑話休題。

「休道の詩」は、馴染みの方もおられると思う。



「桂林荘雑詠」(けいりんそうざつえい)
『遠思楼詩鈔』に掲載されている七言絶句である。淡窓26歳のときの作で、以下の4首からなる。2首目を「休道の詩」、3首目を「諸生に示す詩」とも通称する。これら4首のうちの特に2首目は詩吟として読まれることもある 。
(1)
幾人負笈自西東  幾人か笈を負ひて(いくにんかきゅうをおいて) 西東自りす(さいとうよりす)。
両筑双肥前後豊  両筑(りょうちく) 双肥(そうひ) 前後の豊(ぜんごのほう)。
花影満簾春昼永  花影(かえい) 簾に満ちて春昼永く(すだれにみちてしゅんちゅうながく)。
書声断続響房櫳  書声(しょせい) 断続して房櫳に響く(だんぞくしてぼうろうにひびく)。
(2)(休道)
休道他郷多苦辛  道ふを休めよ(いうをやめよ) 他郷苦辛多しと(たきょうくしんおおしと)。
同袍有友自相親  同袍友あり(どうほうともあり) 自ら相親しむ(おのずからあいしたしむ)。
柴扉暁出霜如雪  柴扉暁に出づれば(さいひあかつきにいずれば) 霜雪の如し(しもゆきのごとし)。
君汲川流我拾薪  君は川流を汲め(きみはせんりゅうをくめ) 我は薪を拾はん(われはたきぎをひろわん)。
(3)(諸生に示す)
思白髪倚門情  遙かに思ふ(はるかにおもう) 白髪門に倚るの情(はくはつもんによるのじょう)。
宦学三年業未成  宦学三年(かんがくさんねん) 業未だ成らず(ぎょういまだならず)。
一夜秋風揺老樹  一夜(いちや) 秋風(しゅうふう) 老樹を揺がし(ろうじゅをゆるがし)。
孤窓欹枕客心驚  孤窓(こそう) 枕を欹てて(まくらをそばだてて) 客心驚く(かくしんおどろく)。
(4)
長鋏帰来故国春  長鋏帰りなん(ちょうきょうかえりなん) 故国の春(ここくのはる)。
時時務払簡編塵  時時務めて払へ(じじつとめてはらえ) 簡編の塵(かんぺんのちり)。
君看白首無名者  君看よ(きみみよ) 白首にして名無き者を(はくしゅにしてななきものを)。
曾是談経奪席人  曾て是れ(かつてこれ) 経を談じて席を奪ひし人(けいをだんじてうばいしひと)。




『日田広瀬家三百年の歩み』
最初は堺屋と言われていたが、その後、博多から移住してきたのもあり博多屋と言われたと言う広瀬家の日田に居を構えて三百年の足取りを、辿っている。
広瀬家八賢人と言われる、月化・桃秋・淡窓・秋子(ときこ)・九兵衛・旭荘・青邨・林外。
現、大分県知事の広瀬氏の祖先の方々ということである。

久津媛・比佐津媛・ひむかひめ・卑弥呼・神功皇后

2022-08-28 01:04:51 | 詩小説
久津媛・比佐津媛・ひむかひめ・卑弥呼・神功皇后が、同一人物ではないかということを考察しながら、物語っている「悲恋の女王 久津媛」福本英城著を拝読。

その後、暑い最中、日田に住みながら日田の歴史を紐解くことがなかったと思い至り、時間を作り、会所山(よそやま)にある久津媛神社まで登った。

鳥居の前に、社のような、茅葺か板葺かの屋根の江戸時代くらいに作られた石灯籠のようなものがあった。

よく見ると、ところどころ、古い石が積まれている。石垣と、石垣が崩れた跡と。

船型の水桶が、久津媛を祀っていると思われる小さな社を目指しているように置かれていた。


前書きによると。〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ひさつひめとは日田のひめという意味であるが、日田はかつては日向(ひむか)と呼ばれていたらしい。日向という字は、日高、そして日田と転化した。だからひさつひめはかつてはひむかひめと呼ばれていたに違いない。久津媛とは卑弥呼のことだという論拠の一つである。

ところが、卑弥呼と景行天皇とが同時代であろうはずがない。
卑弥呼神が「人と化為(な)って」というのは、卑弥呼神が「景行天皇の時代に、ある人物に乗り移って現れた」と解くべきだろう。

「景行天皇の時代」というのも、史実としては明らかではない。

ところで、日田の会所山(よそやま)に伝わる伝承には、神功皇后についての説話がほとんどで、あたかも久津媛とは神功皇后であるかのようだ。しかも、山中には、「皇后天皇の手洗いの泉」とか「皇后の腰掛椅子」などと呼ばれる遺跡が現存する。

神宮天皇といえば、日本古代史に燦たる女帝として、まさに卑弥呼神が「人と化為(な)って現れる」にふさわしい人物である。

しかし、この神功皇后についても、史実としては明らかではない。

特に、常識では、景行天皇と神功皇后との間には、二代にわたる時代差があることから、二人の取り合わせに異議を唱える人は多かろう。

ところが、拙著「記紀が伝える邪馬台国」で詳しく述べたが、景行天皇とその孫とされる神功皇后の夫、仲哀天皇とは実際には実の兄弟であったらしい形跡が見える。

そして、何よりも筆者が日本古代史の秘密を解く極め手となったのは、仁賢紀にある
「母(おも)にも兄(せ)、吾(あが)にも兄(せ)、吾が夫はや」
という絶妙なキーワードがある。
(「記紀が伝える邪馬台国」参照のこと)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

筑紫の『天津日継(あまつひつぎ)』の神事を務めていた当時の皇后は、会所山の社に篭って、神に仕えてさえいればよかったが、仁賢天皇が皇后に『天津日継(あまつひつぎ)』の鏡を含めた神宝を携えて都に来るようにと促したと思われる。

日女大神すなわち天照大神が「この鏡は、もはらわが御魂として、わが前を拝(いつ)くがごと拝きまつれ」と後代に伝えた鏡が、金銀玉をちりばめて竜が絡み合った模様を掘り出した鏡で、『天津日継(あまつひつぎ)』の鏡といわれ、この鏡が皇后と日田にある限り、『天津日継(あまつひつぎ)』の神事は、日田で行われていた。筑紫の天皇のために。
日田まで、出向いて『天津日継(あまつひつぎ)』の神事をすることがはばかられるようになったのは、筑紫から中央へとその当時の中央が動いたことが影響していると思われる。
日田の会所山(よそやま)は、もぬけの殻のように、ひっそりとし、誰もこない草深い小山は、その影を帯びているように見えた。

筑紫に渡来した民族の走りの物部氏は、その当時、筑紫のあちこちに勢力を築いていた。
「日の河」と呼ばれる筑紫大川の流域に広がる日向地方には、古来日の神信仰が普及しており、日の神を奉る霊山があり、その聖域は「いわくま」あるいは「いわい」と呼ばれる列石で囲まれていた。「奥津(おきつ)余曽」と言われる日田の会所山、「中津余曽」の朝倉の杷木山、「辺津余曽」と言われる高良山の神域にいれば「日の神」の加護が受けられ、同じ日の神を信奉する渡来系の物部に対する圧力ともなると思われたが。

こちらも渡来したと思われる日田のたしまの日鷹の娘が神宝が「奥津(おきつ)余曽」と言われる会所山(よそやま)を発とした時に、隠したものが、日田に残っており、その神事を本当の意味で受けるために筑紫の血を引く譽津別(ほむちわけ)皇子はわざわざ日田までやってきた。
一年中で一番太陽の力が弱くなる時、新しい帝が立つ時、この日の朝に、『天津日継(あまつひつぎ)』を受けるのが筑紫の天皇の習わしという。

丸太作りに茅葺の屋根。筵の壁。のような伊勢神宮にも反映されていると思われる当時の神殿で神事を行ったであろうが、二棟のうち一棟にある神殿の「真床おぶすま」で皇子は媛(皇后)を待ち、石座の「天の八道股」に一筋の光が差した瞬間に媛は羽織っていた襲(おすい)の前を光を見に受けるようにはだけ、その足で、神殿の皇子の待つ「真床おぶすま」に入るという。

この神事は、五穀豊穣を願いつつ、日の神の力をもっとも太陽の力が弱まった日の、次の朝に生まれ変わる太陽の再生を体現するかのようであるが。

ここにきて、ものがたりの中であれ、この国の、見えなかったものが、日のもとにさらされていくようで、今の状況も、当時とさほど変わらないことを何とはなしに思う。

そもそもそこにいたであろう、縄文を生きてきた人々はどうなっていたのかが、何より、知りたいことではある。




天草島原の物語

2022-08-18 08:20:15 | 詩小説
昨日、柳川文芸誌「ほりわり」の会議があり、ほりわり三十六号の合評会があった。

天草本「いそっぽの物語」の絵本を書いておられる、かとうむつこさんのお話をお聞きした。「ほりわり」の表紙絵を描かれていることもあり、とても暖かい天国をモチーフにしたような柔和な絵面。おじゃる言葉のイソップ物語、百話の「いそっぽの物語」の朗読版をいただいて、帰りの車の中で、はるみさんと聞いていた。
やはり、お声も優しく、賛美歌のような、どこか聖書を読み聞かされているような、心持ちがしていた。
いそっぽの物語の後に、格言のように、「下心」というものが入っていて、それは、当時のいそっぽものがたりを編集したかとうさんの旦那様の家系の伊丹一族の女性が、書き加えたものということで、天下を切るような、あからさまな批判もあり、物語の物語たる姿が浮かび上がってきて、物語らずにはおれないものの叫びのようで、滅ぼされたもの、食われたものの悲しみのようなものが、物語る際には、動物に姿を変えてはいるものの、残響のように今に伝わっているようでもあった。

この本を現代でも読んだり聞いたりできるように、編集され自作自演で臨まれた、優しげなかとうさんの声に、ご先祖様が乗り移ったように、流暢なおじゃる言葉が車内に響いていた。さしすせそ、は、しゃしぃしゅしぇしょ、で表現されていて、博多ん言葉も、当時の面影が残っとるということで、当時の言葉の響きを楽しむだけでなく、今も生きている言葉の再生力というか、持続力、変化しながらも意味を変えたりしながらも、残っていくものの底力のようなものを思った。

偶然、前日まで、長崎で、キリシタンの拠点である外海の出津(しつ)集落の、結婚前の若い女性が働いていたそうめん工場やマカロニ工場跡、寝泊まりしていたところの祈りの場なども拝見していたので、全体像とまではいかなくとも、貧者と裕福なものへの関わり方のようなものがぼんやりと見えてきた気がした。
貧しい生活を強いられたものたちにはそうめん作りの機械やマカロニ製造を教えて、西洋の食生活を浸透させていったり、祈ることで救われるというような思想を植え込んで行ったとも言えるかもしれないと。
また、キリシタンの精神性を浸透させようとしていた宣教師たちが日本語を習う手立てとしての、いそっぽものがたりでもあったというが、文字を堪能することができて比較的生活に余裕があったであろう、当時の公家や武家のものには、ものがたりを持ってきて、当時貴重で画期的なグーテンベルグの印刷機で3,000冊も刷って、公家や大名などにも配られたそうである。ヨーロッパでは、三百冊ほどしか印刷できなかったというので、日本人の器用さが際立っていたとおっしゃっていた。北斎などの版画にも通じるものがあり、日本人には、印刷的なるものは、それほど、馴染みがないわけではないものだったとも言えそうであるが。

マリア像やヨセフ像、貧者の父ヴィンセンシオアポロ像が立ち並ぶ寝泊まりし祈りの場でもあったところに、やはり、当時珍しく、高価であったオルガンがあり、音が鳴らなかったのをなおして、弾けるようになったということで、案内役のシスターが慈しみ深い曲を弾いてくださった。当時もこの音を聞いていたのだろうと思うと時が重なったような、時間を超えているような、心持ちなった。
ここは、余計なものがない。と思った。祈りはあったにしろ。最低限度の生活の場。と言って仕舞えば、そうなのかもしれないが。
お茶室に感じるものが、そこにはあった。
余計なものがない。という一点に置いて。

遠藤周作の母を巡る旅のようなものも外海で拝見した。
キリスト者でいながら、母から訳も分からず洗礼されていた遠藤の、キリスト教との距離感を知り、彼がユングをよんでいたと知り、ユングは、道教など東洋思想にも共感していたので、キリスト教的なる西洋の一神教的宗教と無為自然的な東洋の森羅万象的宗教感の間を行き来するには、いい道先案内だったので、彼も、どどくらい道にあっても、どこか、自分の見てきた道を、キリシタンの小西などに投影しながら物語る術を身につけていき、そこで、物語とともに、自分を昇華していったのだろうと思うと、今の自分もまた、そこを通りながら、自分の見てきた道を物語ることで、今のコロナの騒ぎ立てすぎる時代の悪露のようなことどもを超えていけるような気がしていた。

旅行者がPCR検査を受けたら半額になるというホテル代のことを聞き、里に帰るついでや、旅に出るものがこぞって、検査をして、この頃、やたらと感染者数がうなぎ登りに大きくなっている意味がわかった気がして、気持ちが悪いと思っていたのもあるが、税金であろうとすればするほどお金は生まれるというのに、PCR検査を受けさせたいがための取り決めなどいらない。皆に税金をかけず、幸福を行き渡らせるならいざ知らず。
 目先のことだけに踊らされたくないものは、ただ淡々と、余計なものがなくとも、居心地の良いものを、作っていくだけであると思わずにおれなかった。