明鏡   

鏡のごとく

コロナ

2022-06-14 13:05:27 | 詩小説
  コロナを書くこと。

 それが、桜木さんの最後の言葉のように今も残響のように私の中にあり続けている。
 もともと病気持ちだったことを知らなかったのもあったが、コロナに感染し、入院している間に、会うこともなく亡くなった。入院する前に、文芸雑誌「ほりわり」の会議でお会いしたのが最後となった。
 やけに顔色が悪いと思った。いつもは、きちんとした清潔な格好をされているが、この日はなぜか、つっかけを履いて、急いで何かをしにやってきたような普段着の桜木さんのように思えたのだ。我々に伝えたかったことは、コロナを書くことだったのかもしれなかった。私は、あの時、いつものように色々お話ししていた桜木さんの、その言葉しか、覚えていなかったので、遺言のように私から、ずっと今まで離れることはなかった。事あるごとに、私は、コロナについて調べ続けていた。どこか腑に落ちない事が、あまりに多くて、テレビやネット上の声があまりにも大きすぎた。
 そのような時こそ、何かが起こっていると考える習性があるのは、子供の頃、警察官である父親が外務省に出向し、中東のイランで生活をするようになってからだった。テレビで流される情報のあまりにも杜撰な切り取り方に違和感を持ち続けていたのもあった。イラン人の日常など、何も見ようともしないのに、デモの過激な、特別な風景だけを切り取って、毎日のように反対勢力と思われるものの象徴、反発している国の政治家の顔写真や人形、国旗を焼き討ちにする映像だけが流されることを、訝しく思っていたのである。
 コロナについても、「新型」と言う「冠」を被せて、プリンセス・ダイヤモンド号という船で感染をした人たちを、大々的に船着場で船上病棟のように、病気と共にその宿主となる人間を隔離する場面を、何度も何度も見せつけてくることへの違和感、あまりにもクローズアップしすぎることへの違和感があった。
 どこかで、似たようなシュミレーションをしていたのを思い出していた。船の中で、病気が発生して、それを食い止めるために、どのように、動けばいいのか、あるいは、それを利用して、どのように人々に感染の恐怖を植え付けるのか、とまではいかなくとも、どれだけ影響を与えるかの、実験をしていた事例、あるいは、映像。
 心理学の勉強をしていたことで、自分の書くことを通して、内面、表面を形作っているものを、なんだかわからないものを表現していくことで、自分の中で腑に落ちるものを見つける手段を見つけたのかもしれない。戦争を体験したことを言葉にすることで、その事実を事実として見極めることが、言葉にしない時よりも、確実にできるようになったのも確かである。事実と思えるものを、知り得る限りのことを知った上で、それらを検証して、事実を事実として突き詰めていくことが、自分の中の真実への入り口であると。善悪を超えたところで、腑に落ちるところまで突き詰めてやっと、そのものを知りえたと、その時点の自分が知りえたと言えるのではなかろうかと。
 人への波及効果についての研究だったか。なんでも検証を行い、その効果をじっと見ている者がいるということ。傍観者である我々にとって、彼ら彼女らを、また観察することで、その煽りを妨げ、それを沈め、消えさらせるための、防波堤に成ることは、我々が今ここにいる、この時代にいる理由なのかもしれない。
 事実は、特に真実のようなものは、善悪を超えたところにある。
 人が亡くなったということで、ネット上の誹謗中傷が取り締まれるようにするという。
 名前を晒すことなく非難中傷することに対しての罰則ならばまだ分かる。
 事実を事実として伝えることができないようになるのが、一番、懸念される。
 非難中傷する者がいると、反対意見のものをいとも簡単に、駆逐できる、ロジックは必要ない。
 表現の自由は必要である。事実を伝える上で。内面の真実を伝える上で。誰でも自由に表現できることは、最低限度の自由なのである。
 その自由を奪おうとするものへ、細心の注意を向けた方が良い。
 それを波及する役割を担うもの、電波の世界に、事実の石を投げ込み、その波及の底に沈んでいく石が荒波のそこに着く頃には静かで穏やかな水面になっているように。

 国立感染症研究所の報告書によると、2020年1月20日に横浜港を出港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客で、1月25日に香港で下船した80代男性が新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に罹患していたことが2月1日確認された。

 香港政府のプレスリリースによると、男性は新界の葵涌エステートの葵涌ハウスに住んでおり、過去の健康状態は良好であったという。彼は1月19日から咳を呈し、1月30日から発熱し始めた。彼は1月30日にカリタス医療センターの事故救急科で治療を受け、隔離と管理のために入院した。彼はさらなる管理のためにマーガレット王女病院に移送されていた。彼は安定した状態にある。症例は「EnhancedLaboratorySurveillance」スキームによって検出された。患者の呼吸器サンプルは、新規コロナウイルスに対して陽性であるとされた。彼は1月10日にローウー国境管理ポイントを通って本土に数時間行った。彼は1月17日に香港から日本の東京に飛行機で行き、1月20日に横浜でクルーズに乗った。クルーズは1月25日に香港のカイタッククルーズターミナルに到着した。調査の結果、彼は医療施設、生鮮市場、魚市場を訪れておらず、潜伏期間中に野生動物にさらされていなかったことが明らかになった。彼は妻と一緒に暮らし、2人の娘と一緒に日本に旅行した。調査は進行中。
とある。

 第一号とも言える80歳の香港に住む男性の行動範囲のおおよそは把握されているが、その原因は未だ、わかっていないということ。少なくとも、動植物、生物から影響を受けたとは言えないということ。

 男性は、1月19日咳発症し、1月30日から発熱しだしたとのことであった。2月2日に香港から同報告を受けた厚生労働省は、2月1日に那覇港寄港時に検疫を受けたダイヤモンド・プリンセス号で船員、乗客に対し、2月3日に再度横浜港で検疫を実施した。同日夜から検疫官が船内に入り、全船員乗客のその時点での健康状態を確認しつつ、出港時から2月3日まで発熱または呼吸器症状を呈していた人及びその同室者に対し、口腔咽頭スワブ検体を採取した。次の日、31人中10人でSARS-CoV-2RNA)が検出された。

蛍の庭

2022-06-11 10:24:14 | 詩小説
 蛍が庭を漂っていた。
ちょうど、蓮を手に入れてきて浮かべていた池の近くから、茅葺と杉皮葺の神様をおまつりしたところに飛んで行った。
二階の座敷から蛍が庭先を揺蕩うのを眺めていたかったので、薄暗い、階段を上って御簾をかけているあたりに腰を下ろした。
綺麗な水があるところに蛍はいるという。
給食センターから流される水もあるという小さな川は、それほど、汚れてはいないのだろう。
などと思いながら、水が止めどもなく流れる音を聞いていた。
黄色い光を緑の光が包み込むようにぽっかりと浮かんでいる魂のようなものが漂っていた。
今年の蛍は、去年の蛍ではない。
水が流れる音を聞きながら、そう思った。
二度と同じ蛍には会うことはないのである。
今の蛍は、今ここにしかいない。
生まれ変わりのようで、何かと何かが混じり合ったのちに生まれてくるものなのだ。と。
近くに住むおばあちゃんには、娘さんがいたという。
この前、初めて、お家の中に招き入れてくれた時、入院していた頃に娘さんが作った、パズルを見せてくれた。
娘さんは生きていたら、私と同じくらいの年だという。
私は、自分が、この庭を漂う蛍になったような、今の蛍になったような気がしていた。

三島由紀夫の最後に書いた小説にも、美しい庭が出てきたのを思い出していた。
永遠の庭のような、楽園のような庭。
三島は、戦争の最中、非/日常の中を漂う蛍のように、爆弾が降ってくるやもしれぬ日常を命がけで生きながら、いつも死がそこここを漂っている戦争の間を、白昼夢のように、過ごしていた。
どちらかというと恍惚として。

戦争はあってはならないものです。
飢餓で震えている暗黒大陸の子供達にワクチンを打つ、飢餓を救うためにお金を寄付しましょう。
と、言うこともなく。

己に正直であろうとしたかに見える三島は、唐突に己の命を、その白昼夢を覚醒させる生贄のように捧げてしまった。

以前、三島の最後に同行する意思があるかどうか試された楯の会のメンバーの方の話を聞いて、本にしないかと声をかけていただいたことがあった。
その時、三島と行かなかったものの声は聞くことができても、三島と行ってしまったものの声をもう聞くことはできないのだ。と思った。
行かないと決めたものもいれば、行ってしまったものもいる。ということ。

この世とあの世の境界線上を、蛍のようにいきつもどりつ、たゆたっているような気持ちになった。
戦争のただ中、ひ弱だったばかりに戦うことから逃げることになった三島の魂は、ずっと、最後を待っていたのかもしれなかった。
美しい庭を揺蕩うのを待ちに待った蛍のように。

父の仕事の関係で、子供の頃、中東のイランに行った時、イランとイラクで戦争が始まった。
私のように、戦争のただ中に行く気が無くとも、連れて行かれることもあるわけである。
灯火管制の中、爆撃機が蛍のように揺蕩うのではなく、音速でやってきて音速で帰っていくのを、暗闇で聞いていた。
時折、爆弾がヒューと落ちてくるのを感じながら。
三島の恍惚をどこかで感じていたと思う、正直に言えば。
命がなくなるかもしれないというのに、最後の命を、ぷかぷか鈍く光らせるように生きていたのだ。
その父も、入院していて、終末期医療をも終えようとしている。
飲み込めないものがあまりに多すぎて、点滴で生きながらえながら、喉がカラカラなのを潤すために水蒸気が出てくるノズルが口元におかれている父は、霞を食って生きているように見えるのだった。

蛙が蓮池になるはずの池で鳴いていた。
蛍は、向こうのおばあちゃんの桜の木の下でゆっくりと光と光を交わらせてた。
今年の蛍が一つになって、来年の蛍になるために。

父に蓮の花を見せてやりたいと思って、手に入れた蓮は、まだ咲こうともしないで、静かに葉を広げてぽっかり池に浮かんでいた。