明鏡   

鏡のごとく

からすとこじ開けと

2017-08-31 20:04:26 | 茅葺
からす で よし を引き出し
新しいよしを親方に手渡す
少しずつでも
先を見て進んでいけたらと思う
こじ開けを使い
二番鉾にしろ縄をかけ
みちぎに男結びで結わえることも
先輩にさせてもらえるようになった
少しずつでも先を見て進んでいけたらと思う
うちに回って鉄針を取る
アバカを竹に回すために
やらせてもらえないことよりも
やらせてもらえる喜びの大きいこと
教えていただいた方々に対する感謝となり
自分のできることを広げていけることへの感謝となり

「風の波紋」

2017-08-30 20:27:36 | 茅葺
「風の波紋」というドキュメンタリーにも出てくる茅葺の屋根改修にも関わっておられる写真家の高松さんが、さしよし補修をしている現場に偶然、足を運ばれて訪ねてくださった。

自然に生きるということを実践されている方々で、自分の理想でもある。

狭い世界に閉じこもり、いがみ合うようなことがしたくないのなら、いろいろな世界を見て、存分に、味わっていきたい。

いつか尋ねてみたい。

世界が少し広がった気がする。

ありがたいことである。

「アフリカの日々」アイザック・ディネーセン 横山貞子訳 晶文社

2017-08-28 23:33:15 | 小説
以下抜粋。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



ワシの影は平原を横切り
かなた、名もない空色の山々に向かう
ひとむれの若いしまうまの影は
ほそいひづめのあいだにしずまり
永い一日を動かずにいる
この影達は夕暮れを待つ
夕日が煉瓦色に染め上げる平原に
青く長く自らの形を延ばし
水場をさして歩いて行く時を待つ




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「さあ一緒に出かけて、生命を不必要な危険にさらしていただけないかしら。もしも生命になにかの価値があるとしたら、生命は無価値だということこそ、その価値なのね。自由に生きる人間は死ぬことができるという言葉があるでしょう。」

茅葺と陶芸と

2017-08-23 05:17:14 | 茅葺
星野村周辺を散策し、茅葺屋根やかつて先輩方が作られた屋根を見てきた。

星野村にある原爆の火も拝見した。
火は高いところにあり、遠くからしかそこに火があると気付かないくらいほのかな火であった。

茅葺の先輩の森けんさんが屋根を葺いたという山本源太さんの窯にも寄らせていただいた。

美味しいお茶と奥様のお手製の抹茶寒天の風味を源太さんの器が包んでいた。
その全ての、手触り肌触りをも美味しくいただく。

僕の星という鉄の星のようなイガイガが突出しているものを見て、サザエあるいは昔の鉄の玉にチェーンをつけて振り回す海賊の姿を思い浮かべたりしていた。
聞くところによると、源太さんは自分の名前をつけた星があるという。
そのイメージがここにあるのだ。
源太さんの詩集を森けんさんからいただき、じっくり読んでいる。
土と会話して、星野村にあるいろいろな風景と目と手と言葉と体全体で生まれだしていくものがそこにあり、私も源太さんと同じ道を歩いていることに気づく。
とても近しい詩や言葉の紡ぎ方。

今、私は手の力をとても信じている。
心から信頼している。


それから、お猪口と茶碗を、心から信頼し尊敬する先輩である上村さんと、心優しい森けんさんと作らせていただいた。
犬のロクちゃんがワシャワシャと肉球で背中を押してくれたり、匂いをクンクン嗅いでいた。
この匂いを含めての出会いを覚えてくれたに違いない。
土は滑らかで心地よく、人肌のきめを細かくしてくれる柔らかさであった。
そこにたまる土と水の混ざったものの中におたまじゃくしやヤゴが住んでいたくらい、すみごごちの良い土なのであった。
上村さんや森けんさんの手は大きく、手仕事をされている方のおおらかな大きな手は言ってみれば無骨なのであろうが、そこに力強さと全てを包み込むおおらかさと優しさのようなものを作り上げていくものを感じた。
この世界があって本当によかった。

茅葺も陶芸も人の手を通して作り上げられていく、柔らかいものなのだ。





「日本の草屋根」相模書房 小林梅次著

2017-08-16 22:36:47 | 茅葺


「日本の草屋根」相模書房 小林梅次著 より

万葉集一六三八の歌

あをにいよし奈良の山なる黒木用ち造れる室は坐れど飽かぬかも

これは聖武天皇の歌であるが、黒木の語が見える。黒木の意味は、皮付きの木という意味と常緑樹の意とある。それはともかくとして、室の語が使われているけれども、穴の段階から脱した建築を思わせるものがある。ただ、黒木が建物のどの部分に使われていたものか、この限りではわからない。


万葉集千六三七の歌

はだ薄尾花逆葺き黒木用ひ造れる室は万代までに

この歌は「尾花逆葺き」の語によって、その様子は一段と明らかで、屋根が尾花、つまり茅で葺かれていたことを示している。



播磨国風土記中川の里の項に

時に大中子、苫もて屋(いへ)を作りしかば

とあるのも、苫で屋根または壁を作ったのであろう。


徒然草にも

家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなるところにもすまる。熱き頃、わろき住居はたえがたき事なり。