明鏡   

鏡のごとく

機織り

2022-03-23 21:24:02 | 
柳川で機織りをしている人がいた
うなぎが桶の中で行ったり来たりしているように
縦糸の間を行ったり来たりしている横糸
ほりわりの水の中
うなぎのぬめりはとけだして
緑に色づく布となり
柳暖簾を風が通り抜けるように
かすかな吐息を絡め取りながら
美しい一つの布になっていくのです
行ったり来たりするたびに
魂も糸と糸を通り抜けていくのです
あなたの魂も
あらゆる糸を引きついだまま
たぶん
そこにあります
緑の春も
赤い夏も
白い秋も
灰色の冬も
美しい布に乗り移り
あなたのように
かたんかたんと
足を踏みこむたびに
息づいていくのです


機織り

2022-03-23 21:20:05 | 
柳川で機織りをしている人がいた
うなぎが桶の中で行ったり来たりしているように
縦糸の間を行ったり来たりしている横糸
ほりわりの水の中
うなぎのぬめりはとけだして
緑に色づく布となり
柳暖簾を風が通り抜けるように
かすかな吐息を絡め取りながら
美しい一つの布になっていくのです
行ったり来たりするたびに
魂も糸と糸を通り抜けていくのです
あなたの魂も
たぶん
そこにあります
緑の春も
赤い夏も
白い秋も
灰色の冬も
美しい布に乗り移り
あなたのように
かたんかたんと
足を踏みこむたびごとに
息づいていくのです


流行は廃れる

2022-03-18 11:49:43 | 詩小説
「流行は廃れる」




ぴー。
測定できません。

店の入り口に置いてある体温を測る計器がしゃべりだした。

わかった。わかってるんだよ。もう。
いちいち言われなくてもわかっているっていうのに。

竹を取りに行った帰りに立ち寄った食事処で、店の主人が、話し出した。

これを買う際には、補助金が出たんですよね。
三十万円の熱を測る機械に。9割の補助金。1割だけ、自分で払うのは。
でもね。これからの税金が怖いですよ。
これから、営業の補助金なんかの後の、税金が。
休業している店に出ている分の後の税金もそうですけど。

店の主人は、ピッチャーの水と氷の入ったグラスを差し出した。

そうなんですね。

私は、冷たいグラスに口をつけながら仲間に言った。

これを売って儲かるのは、コロナ対応という名のその計器を作っている会社で。
全国の店という店におきつつある昨今であるので。
日々、テレビやラジオや報道関係者や役所のものが、恐怖を煽ることで、コロナ関連の製薬会社とその周辺のものが、マスクすら日常化させようとし、コロナ関連で儲かるような世の中であるのは、戦時中と同じですよね。
プロパガンダの賜物であって、狂っているとしか言えませんが。
これが、現実です。


そうですね。

仲間が言った。


ある意味、犬のように、狂犬病のワクチンの予防接種を受けさせ、体内にチップを挿入して管理しようとしているのを、人間にしだしたということです。
コロナの仕上げには、チップが必ず来ます。
いやすでに、体内にチップを挿入することは、ワクチンだけでも可能な技術を持っているとも言えます。ナノ単位でできることも、数多くありますのでね。
テレビでは、犬のキャラクターとともに、お前はぺいぺいのくせにと言って、見下す時に使う電子マネーというやつを推進しようとしているでしょう。
誰が儲かるのかと、言っていますが、儲かるどころか、打ち出の小槌が、電子マネーということに、そろそろ人々が気づくことが必要なのです。
紙でする紙幣も打ち出の小槌なのですが、もっと、無限に人々を支配できるのが、電子マネーなのですから。


正直、自分は、目を見開いて、気が狂ったように、何度も、同じことを繰り返しいうことに、心底うんざりしていているのだが、これが、報道のプロパガンダへの反動、生の領域で起こっている死を煽る領域への反動であることは否めない事実なのである。


では、お金に支配されないようになるには、どうすればいいのだ。
彼らに、管理されないようにするにはどうすればいいのだ。
これは、赤狩りや無政府主義のようなものとは事情が全く違う。
単なる考え方の違い、主義主張、思想、ましてやお金との戦いでもない。
ある意味、この世を支配していると思われているお金の神様のようなものを、超える時が来たということかもしれないのだ。ということ。
戦いよりも、生そのものを味わうということ。
それを乗り越えるというのは、できるだけ、お金を介さないでも済む世界をいきるということ、ただただ生を生きるということなのだと。
誰にでもできることなのだと。

戦争も、同じ構造である。
生物兵器、あるいは化学兵器を作る技術を持っているのは、軍隊を持っているところは全てだと言っても過言ではない時代である。どこの国だけが持っているという話では全くない。
現に、イランイラク戦争でも、禁止されている化学兵器が使われていたという。
どちらが使ったというのを、なすりつけるためのプロパガンダが、今も、その布線を張り巡らしてはいるが、どちらが使ったか、証拠がある/ないではなく、どちらも持っているという大前提で、どちらにも使わせないということが、何よりも重要なことなのだということ。
核兵器も然り。どこが持っているという段階ではないと言って過言ではない。どこも、使おうと思えば使えるという。
無限の打ち出の小槌の「お金」と引き換えに、ものや人や土地や時間を、あるいは、情報を、さし出せば。ということなのである。

彼らの狙いは、その流通に乗っかるものを増やすことで、その無限の力を使い続けることができると信じているということなのだ。

それを覆すことは、意外と簡単なのである。

なるだけお金を介さない生き方をすること。

このお金を使わないことで、お金の神様のようなものが煽る、流行は廃れるということ。

食えない苺

2022-03-12 10:44:10 | 詩小説
伸びきった髪を切ってから、八百屋に立ち寄った。

11年前の11日に、半身不随だった父とも一緒に八百屋に立ち寄って、苺を手に入れたのを思いながら。

せがれたちに、苺ば、こうちゃれ。

父が、1日に1回は外に出ないと気が済まない人だったので、子育てをしながらの介護で、朝、昼、夜の質素なごはんを作り、洗濯、掃除だけでも、しんどいところに、追い打ちをかけるように、じいちゃんの介護が上乗せされ、しんどさは底無しの毎日であった。

じいちゃんをお風呂に入れるにも、服を脱がせ、こけないように風呂に連れていくだけでも、へとへとになり、体は手の届かないところはブラシを使って自分で洗うというので、自分でできるところは自分でするという父の気持ちもあったので、最初の頃は、背中を洗ったりしていたが、徐々に自分でできることを増やしていくことが、希望ではあった。

夜の間は、トイレに行くにも、眠っているのいを起こしてまで行くのは憚られるので、尿瓶にたっぷりと溜まったおしっこを、次の朝、処分して、洗って、消毒しての繰り返しであった。

生きるということは、これほど、手間がかかることだったのかと、子供ならば、自分で全てできるようになるまでの間というほのかな希望があるが、衰えていくままの父を見ながらの生活は、希望はろうそくの炎のように儚いが、ここまで、ずっと一緒だったことがなかった、単身赴任の多かった警察官の父と初めて、本当に一緒にいて、話して、向き合ったことはなかったので、これは、何かしら意味がある気がしていた。一緒にいることの意味。あるのかないのかわからない、一緒にいることの意味。のようなもの。

苺ば、こうちゃれ。

父は、よだれを垂らしながら、車椅子の上で、何度も言う。
笑っているのか、怒っているのか、よく分からない、半分だけ固まったブルドックの口のようにとめどなく流れるよだれに、気づかないまま、何度も言うのだった。

苺ば買おうかね。

私は、つぶつぶの生きのいい苺を選ぼうと躍起になっていた。

そこに、ヘルメットをかぶった男が八百屋にやってきて、

東北の方で地震があった。

といった。

苺を買って、家に急いで戻ると、青黒い大きな津波が何度も何度も人や建物や木々を飲み込んでいく映像が流されていた。

原発も爆発し、放射能が漏れていると何度も言っている。

身内も東京にいた。

食料も、水も、電気も、滞っていた。

戦争のようだ。

と思った。

東京に姪っ子の世話をしに行っていた母にも電話がつながらなかったが、しばらくして、母とつながった。

なんとかなる。

母は、警察官であった父の仕事の関係で、外務省に出向になってイランにいるとき、イランにイラクが侵攻してきた戦争を体験しているのもあるが、破天荒な父と一緒にいたためもあってか、いざという時を、幾度もくぐり抜けてきたせいか、くそ度胸があったので、姪っ子もなんとか、なる気がしていた。

見える津波に飲み込まれた後の、見えない放射能との戦いのようになっていった。

車に乗り込み、一つだけこぼれ落ちた、洗ってもいない苺のヘタを持って、かぶりつきながら、そう思っていた。

つぶつぶが口の中で、波に混じった砂に混じった礫をかみ砕くようにして、苺を飲み込んだ。

母の上に、ヘタのように草冠が付いている。苺。母は草をかぶっていた。

苺のように、甘くはないが。

種がむき出しになって、鼻に毛穴の汚れのようにつぶつぶがあらわになっているように、毎日のように毒を吐きながら、他のものが出払った、私ししかいない家の中で呪詛のように、父のことを嘆いていたのだ。

草をかぶっている。母ではなくなった、草冠をかぶっている母のようで、母ではなくなったもの。

ロシアがウクライナを侵攻した。

という。フェイクニュースではない。事実である。

国連安保理で、ロシアがウクライナで生物兵器を作っていると言っている。炭疽菌、コレラ、コロナウイルスまで作っていると言っている。

テレビでは、一方的な侵攻で、証拠は出ていないと国連で、女性の口から言わせている。草をかぶっている。母ではない。甘くない苺のような、味のない、国連という甘い甘いケーキの一つのピースの甘くない苺がのっかった、テレビというショーウィンドウの中の甘くない一つのピース。

今度は、イランにまで飛び火させようと躍起である。国連のショウ劇場。

これが、戦争の一つのピースなのだ。

苺の味は、母ではないが、草をかぶったものの味。甘い甘い赤くて白い心臓の、ハートの形をした甘酸っぱい命のしゅる(汁)の味。

食べれない苺の味はない。味気ない。
ただただ、繰り言を繰り返すだけなのだ。

コロナウイルスを作っている。炭疽菌もこれらまでも。証拠はない。証拠はない。嘘だ。嘘だ。と。

口が虚しいものが、嘘なんだってさ。

食えない苺は、口が虚しいもんね。

食えない苺は、嘘なのだ。と。