明鏡   

鏡のごとく

木がたおれる

2021-07-25 22:52:50 | 
明楽園の木を切る
屋根に光が当たるように
年輪は56
木がたおれる
すっくとつきたっていた空から
みしみしと遠ざかりながら
木がたおれる
56年の年月が寝転んだ
空の記憶を水平に保ちながら
根っこと離れ離れになった木がたおれる
切れ切れの線になった年輪が筋を通すように
空にけば立つ
切り株は人っ子一人座れる
ソーシャルディスタンスなど
はなっからどうでもいいように
そこにあった
年輪から滲んできたみずを吸い込むように
切り株に座った

木は
この杉の木は今まで生きて
水を隅々まで
青臭い緑の葉の先まで
へ巡らそうとしていたのだと
杉皮はカサブタのように枯れ果てようとも
一皮むけばみずを含んだつるりとした白い木肌が
ライチのようにつるりと顔を出す
生きるも死ぬも皮一枚
皮は死衣装
皮を剥がれた木肌は裸になっても生きている
空を仰ぎみて
56年の高みから
56年の重みへと変わる瞬間
みしみしと音を立てながら
いくつもの枝が年老いた手を振るように
木がたおれる

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

2021-07-04 10:34:10 | 詩小説
一本の電話がなかったら、もう犬の散歩に出かけていたところでしたよ。

私が、閉じられた扉をこじ開けて、納骨堂に足を入れた時に、お掃除されていた、住職さんの奥さんがおっしゃった。

我々にとって、心をなくさないため、洗心のために伺う、茅葺の先輩の命日のことであった。

釣りや珈琲の好きだった先輩へ贈られた心のこもったお供え物が、心に沁み、どうか、安らかにと願いつつ、なくなる前に、まだ駆け出しの私に、自分の道具を作らないかんな。と言ってくれた先輩の言葉を思い出した。
本当に、職人になりたいなら、自分の道具を自分で作れということを言われたのだと思った。
本当に、心からありがたい言葉であった。


それから、

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

といった詩人の織坂幸治氏の言葉を思った。
織坂氏とは、檀一雄の好きな方々の集まりで一度だけご一緒したのだが、最近織坂氏が亡くなったので、詩人の井本元義氏が心愛のある評伝を書かれたのを頂き、拝読したばかりであった。

特に、「北極星と魚」という詩が好きであった。
海に身を投げて亡くなった友へ捧げたような詩であった。

ぶあついとびらを
押し開けるように 夜にむかって
問いかける

おれは 魚。
しかもおれの糞しか喰ってゆけぬ
魚。

おれは釣られても
にんげんはじきに突き放す。
おれの体臭が人糞の匂いににているから。
苦汁の多いこの場所は息苦しい。

キラリ光ったのは
果たして天空の北極星だったのか

荒々しい水圧のなかでは
おれの泪がよじれ。

おれは 魚。
だろうか。
海には墓地がないのだろうか。