明鏡   

鏡のごとく

きせいちゅう

2021-08-22 18:04:33 | 詩小説
    きせいちゅう    

 夏休みの帰省中のことであった。川の水をのもうとしていた。湧き出でてくるような透明な美しい流れの中に、とっぷりと浸かりながら、その水を口に含んで水が体の中をとうとうと流れるような川と自分が一体になったような気持ちがしていた。
 世の中が、コロナに感染しているような、どこもかしこもコロナで規制中のようで、店に入るにもマスク、消毒、体温検査と、透明な壁越しに会話する、簡易的なプラスチックの檻の中にいつも入れられ続けているという、どうしようもない中、見えない空気中よりも、少しは抵抗力のある水の中で、その騒動から、遠ざかることができるような、聞いてもどうしようもない、拡声器からの今日のコロナの感染者の数を聞かなくて済むような気がして、そのような淀んだ空気を洗い流しているような心持ちがしていたのだ。
 滝の音が聞こえた。水は岩を流れながら、飛沫をあげていた。右側の滝の懐に入った。水々しい力が、頭の天中に降り注ぐ。水が頭上から体の中までずずずと水圧のまま入ってくるようなそれは水の水々しい力そのもののようでもあり、もともと水の流れが体を経巡っている生暖かいものを押し出して滝の流れと繋がっていくような感覚。その感覚に身を委ねながらもっと強く流れる左側の滝に体ごと突っ込む。もう、水との一体感のようなものを通り越して、水の流れに流されまいと逆流している川の中の山女魚のような心持ちになる。進もうとしても水圧におしながされて、その場から動くことができないままの同じところにいながらにして全身全霊の力でそこにいるような心持ちなのだった。
 湧き出ているきれいな水だと思って、その水をたらふく飲んだ。その水の中に漂う針金を見つけた。こんなところに針金が流れているなんて。と思い漂う針金を見続けていると、それは、針金虫だった。針金虫まで飲んだかもしれない。とっさに水を吐き出そうとしていた。針金虫は、自分の体より大きなカマキリを殺すことができる。水底に引きずり込むように。針金虫を体内に取り込んでしまったカマキリは、水の中に入るように誘導されて、水に溺れてしまうのだ。それから、針金虫はカマキリから這い出して、また、針金虫として水の中に帰っていくのだろうか。などと思う。そうして、寄生虫として宿主をまた探し続けるのだろうか。カマキリではなく、人間であろうが、針金虫が一匹ではなく、何万もの針金虫が束になっきたとしたら、もしかして、人間でさえ、ハーメルンの笛吹き男について水に溺れていくわけでもなく、針金虫に脳内操作されて、水に溺れていくことも、現実に起こり得ると言えなくもない。
 現代の針金虫とも言えるナノチップを仕込んだ、コロナワクチンを人類の大半のものの体内に打つ注射を、滝に打たれるように、あるいは知らずに飲み込んだばかりに、体内に流し込まれてしまったものが、筋ジストロフィのように動きが制御されて、ロボットか、ゾンビのような生きているのに死んだような動きをしながら、何かに襲いかかるようなこともあるが、ただひたすら、目的を達成したら自死するように操作することも可能というわけである。一度では制御しにくいと思われるので、二度、三度と繰り返し人体実験を行っているのであるとしたら、それは、いったいどこで制御していこうとしていると思われるか。
 身近な電子機器である。スマートな制御。遠くからでも、指示通り動く、動物牧場ではなく、放し飼い人形ロボット計画。未来からやってきて、家をぶち壊す算段であると、面白おかしく人の犬化計画をアピールしているものがいるのではないか。抵抗を歌う作家も、少しおかしい。最近、一度目のワクチンを打ってからというもの、人が変わった様に、抵抗しなくなったばかりか、ジャンクフードで満たされ、罵詈雑言を吐くこともなく、無抵抗で確実に飼い慣らされていくようであった。まるで歌を歌わなくなった歌うたいのように。これから、ますます老人の動きがおかしくなっていく。老化のせいではなく、ワクチンのせいで、自死に至る病に犯される。それが、じわじわと低年齢化されていくのだ。
 コロナのワクチンには、コロナだけでなく、いろいろなものが混じっているのだから。人口の半分はワクチンを打っているという。狂犬病予防。これから起こる騒動に狂犬のように嚙みつくものがいなくなるように。犬でさえ、狂犬病予防でむやみに吠えなくなったというのだから、人間にもまた、今回の騒動で人体実験を繰り返し、奴隷として役にたたず、いらなくなったら、ジ・エンドになるだけの算段なのだ。
 神様は、次の世界でいいようにしてくれるのだという。遠くから指図するだけで、汗水垂らして生きているものを奴隷としか思わない神様などいらない。お互いに、神様であろうがなかろうが、寄生虫のような王様、女王様であろうがなかろうが、生身の人間であろうがなかろうが、生臭い生き物であるということだけで、死に至るまでは十分であった。
 夏休みの帰省中の、コロナ禍で一年延期された五輪の、生々しい汗と涙の中、掲げられた五輪の旗が、なんとはなしに、丸くなった針金虫ののさばった世界のように見えてきた。
 なんとも言えない、狂騒の果てにたどり着いたコロナの、狂った寄生虫のような裸の王様、女王様の冠を無理強いさせている、規制中の騒ぎの顛末なのであった。

『ギュンター・グラスの40年 仕事場からの報告』 

2021-08-16 11:25:31 | 詩小説
『ギュンター・グラスの40年 仕事場からの報告』 フリッツェ・マルグル編 高本研一/斎藤寛訳を小倉の古本屋で手に入れた。

『ブリキの太鼓』を映画で見て、それからギュンター・グラスが原作であると知り、彼の書いたものをできうる限り読んでからというもの、ギュンター・グラスは、私の戦争小説の中で、同じ眼差しのようなものを持った、近しい体験を通しての言葉を拾い集めることのできる、ガラスを切り裂く叫び声を持つ少年オスカルの見た戦争の時代のような設定は奇抜ではあるが、それこそが、彼の中の真実であるようなものを感じていたのだが、その背景も垣間見られる本が、グンターグラスの40年 仕事場からの報告であった。

仕事場で、石を彫ったり(もともと彫刻家でもあった!)、言葉を掘り下げたり、絵を描いたり、と、彼は手を使って、言葉を使って、目を使って、世界を描き続けていたのも、知ることができた。

私自身も、ちょうど、小さな屋根に乗せるつもりの石の置物でしっくりいくものがなかったので、自分で作っていたので、その共時性、シンクロニシティを感じつつ、ギュンター・グラスの仕事場からの報告を、囲炉裏のそばで石工の傍らに、読んでいた。

言葉の上では、より正確な表現であるような、どこを読んでも、どこかずれている人間の正義だとか、善悪だとかを通り越して、本当にあった心の中の動きと外とのギャップをなんとか埋めようとして、書かずにはおれないような言葉の海辺を行ったり来たりすることで、生き抜いたような、戦争のただ中にいたものの姿を淡々と描いていた。想像ではなく、生身の体験からじゅるりと絞り出された言葉の波なのである。

血なまぐさいのである。生臭いのである。どこかしょっぱいのである。

腐り続けている海辺打ち上げられた死体を、ただただ眺めているような、瞬きもせず、目の前のことを目を見開いたまま、じいっと見ているしかできなかった、不気味な少年のような、死に損なった老人のような眼差しなのである。

グンターグラスが、インドのカルカッタを愛していたのが、また、同じところを彷徨っていたのだと思わずにはおれず、あの死の匂いも漂うような、労働の過酷さと、格差を嗅ぎつけて、そこにズッポリと居合わせる何か。

長編小説『女ねずみ』の初稿は、素描を交えて、いわゆる実物見本の中に書き込まれたと言うことも書いてあったが、メモと素描がアイデアが生まれた瞬間をとどめながら、そこからまた、次のアイデアをつなぎ始めている、思考の波を描き続けているのが、よくわかる。自分にとっては、この日記のようなものであると思いながら、より、生身のものを残してくれたことに感謝していた。

絵も、美しいものというよりは、生々しく、生きているということはグロテスクな事なのだとでもいうような事、戦争というものは、その最たるものなのだという事に、たどり着いたような気がしていた。

大江健三郎とも、交流があったと書かれていた。
大江は、グロテスクリアリズムを追求していたともいえるが、「生」の戦いの当事者であるか、傍観者であるかのはざまで、生のグロテスクさを際立たせているところは、彼らのような物書きの行き着くところであるようで、興味深かった。

ギュンターは、戦争の当事者であり傍観者であり、グロテスクな、その生きることを、感じたままに、メモの断片をコラージュのように切り貼りしながら、いろんな登場人物に語らせながら、より具体的に、生きた時の流れを凝縮しながら物語り続けた。

大江はどちらかというと傍観者であり、年少の時に体験したであろう戦争の外にいたが、「生」の戦いにおいては、戦争中であろうが、平和と思われている時期であろうが同じような、グロテスクな何かがあるというようなものを描き続けているように思う。

ゆふいん文化記録映画祭

2021-08-14 10:38:48 | 詩小説
先日、ゆふいん文化記録映画祭で中谷健太郎さんの記録映像と戦中戦後を生きていた一人の人の、すずさんの生活を通しての昭和史を記録したフィルムを拝見した。

すずさんの娘さんである小泉和子さんが残した、当時の戦後復興の中、金融公庫第一号的な時期に建てられた建築としても貴重であるモデルハウス的な日本家屋に、焼け出された一家が移り住み、そこから、また今まで生きてきた軌跡が、垣間見られた。

建物というものは、そこに住む人がいて、魂が入れられるということを、生活は身体中に経巡る血や酸素や熱のように巡り巡ってこそ、ともに生きていると言える。

建物も人がそこで生きているからこそ、生きながらえているような、少しでも、手が加わらなくなると、朽ち果てていくだけとなるという、建物にとって、人こそが魂であるような、そんな気がしながら、拝見していた。

すずさんが丁寧に作るおはぎを拝見しながら、母が作ってくれた、おはぎを思い出していた。あの家にも魂は確かに宿っていたのだと思える何か。

戦後、GHQが自分達が使うために日本の人たちに作らせた家具を作っていた小泉さんのお父様が監修した文化住宅的建物は、玄関入ってすぐに、仕事場のような西洋風な書斎がまず飛び込んできた。

それが、日本の家の戦後の形であり、その家に住むものの形までも少しづつ変えてきたのだと思うと、家から見た民族の生活の形のようなものを思わずにはおれなかった。

そこに住むものの生活の形、魂の形の、象徴的なものが建築であるということ。

西洋風なものが玄関から入ってすぐにあるという、顔のようなものになっていることの時代精神のようなものを、建築から読み取ることができるようで、興味深かった。

今、茅葺屋根を作るようになった自分の中で、昔の日本人の形というようなものが、なんとはなしにしっくりと行くのは、家の中にある土間が、おくどさんがあるお台所的な機能と、農作業を含めて、家や仕事でいるものを作る作業の場としての機能性もある、優れた、外と内を併せ持った空間をなくしてしまったことは、生活の様式をも変えてしまったことが惜しまれた。

縁側もそうである。ウッドデッキよりも、椅子としても、機能する、内と外を緩くつなげる装置であったこと。
日本人の内と外を自然に繋げる、自然とくっきりと分け隔てない生活を育む場として機能していたということ。

今、その場を取り戻しているようで、自然と緩く繋がれることに喜びを感じている。

健太郎さんの亀の井別荘の庄屋サロンさんも、その外と内との緩やかなつながりを大切にされているような、心地よい、文化的とも言える場で、そのお屋根を葺かせていただいたことに、ご縁を感じており、これからも、ここで生まれた文化を末長く見守ってくださる場として、残っていけるように、我々も心を尽くしていきたいと思った。

健太郎さんが、出演されていたテレビ番組を上映されていたフイルムもまた、湯布院の形を作っていった歴史を垣間見させていただいた。

文化的空間として、日本人の、世界中の人たちの心の、遺伝子に刻み込まれた田舎の原風景のような、息がつける場としての、湯処を作り上げていった核心に、健太郎さんたちがいらっしゃったこと。

ギラギラした若かりし時の健太郎さんたちの、大手企業や、自衛隊、アメリカ軍などの影もある「故郷」を、どう自分たちの思いが入った「故郷」に作り上げていこうともがいたか。

当時の熱の伝わる映像であった。

合間に、庄屋サロンの平野さんから紹介していただいた、作家の森まゆみさんとお話しする機会があった。

森さんから、島根の古民家再生や色々な古民家再生のお話しや、建築に関してのお話し、温泉についてもお話しをお聞きできた。

中でも、いたくら作りの建築「斎」の杉皮葺の屋根を葺かせていただいた際に、それを設計されたというご縁もあった安藤邦廣先生もご同行したというイギリスの建物探訪のお話しをお聞きできたのは、幸いであった。

ここでも、いいものを残していきたいという思いのようなものが繋がれる幸せを感じていた。

戦争と平和の祭典

2021-08-01 14:55:09 | 詩小説
戦争とは、命の戦いである。
人を人と思わない、人が多く死んだ方が、命という命を破壊し尽くした方が、勝つことである。
平和の祭典とは、肉体と心の戦いである。
人と人とがぶつかり合い、多くぶつかり合うことができた方が、勝つことである。

戦争とは、自分にとっては、赤い夕暮れ時の爆撃である。
生暖かい夕暮れ時の風である。
赤い爆弾がてんてんてんと飛んでいくのを眺めていたことである。
爆撃の知らせを聞くことである。
爆撃の後、人々がアローホアクバルと叫ぶことである。
建物や心を破壊することである。

平和の祭典とは、コロナの中であっても、汗をかき、密になり、激しく戦い合うことである。抱き合ったり、転がしあったり、走りあったり、泳ぎあったり、ここだけは、解放区のようである。