きせいちゅう
夏休みの帰省中のことであった。川の水をのもうとしていた。湧き出でてくるような透明な美しい流れの中に、とっぷりと浸かりながら、その水を口に含んで水が体の中をとうとうと流れるような川と自分が一体になったような気持ちがしていた。
世の中が、コロナに感染しているような、どこもかしこもコロナで規制中のようで、店に入るにもマスク、消毒、体温検査と、透明な壁越しに会話する、簡易的なプラスチックの檻の中にいつも入れられ続けているという、どうしようもない中、見えない空気中よりも、少しは抵抗力のある水の中で、その騒動から、遠ざかることができるような、聞いてもどうしようもない、拡声器からの今日のコロナの感染者の数を聞かなくて済むような気がして、そのような淀んだ空気を洗い流しているような心持ちがしていたのだ。
滝の音が聞こえた。水は岩を流れながら、飛沫をあげていた。右側の滝の懐に入った。水々しい力が、頭の天中に降り注ぐ。水が頭上から体の中までずずずと水圧のまま入ってくるようなそれは水の水々しい力そのもののようでもあり、もともと水の流れが体を経巡っている生暖かいものを押し出して滝の流れと繋がっていくような感覚。その感覚に身を委ねながらもっと強く流れる左側の滝に体ごと突っ込む。もう、水との一体感のようなものを通り越して、水の流れに流されまいと逆流している川の中の山女魚のような心持ちになる。進もうとしても水圧におしながされて、その場から動くことができないままの同じところにいながらにして全身全霊の力でそこにいるような心持ちなのだった。
湧き出ているきれいな水だと思って、その水をたらふく飲んだ。その水の中に漂う針金を見つけた。こんなところに針金が流れているなんて。と思い漂う針金を見続けていると、それは、針金虫だった。針金虫まで飲んだかもしれない。とっさに水を吐き出そうとしていた。針金虫は、自分の体より大きなカマキリを殺すことができる。水底に引きずり込むように。針金虫を体内に取り込んでしまったカマキリは、水の中に入るように誘導されて、水に溺れてしまうのだ。それから、針金虫はカマキリから這い出して、また、針金虫として水の中に帰っていくのだろうか。などと思う。そうして、寄生虫として宿主をまた探し続けるのだろうか。カマキリではなく、人間であろうが、針金虫が一匹ではなく、何万もの針金虫が束になっきたとしたら、もしかして、人間でさえ、ハーメルンの笛吹き男について水に溺れていくわけでもなく、針金虫に脳内操作されて、水に溺れていくことも、現実に起こり得ると言えなくもない。
現代の針金虫とも言えるナノチップを仕込んだ、コロナワクチンを人類の大半のものの体内に打つ注射を、滝に打たれるように、あるいは知らずに飲み込んだばかりに、体内に流し込まれてしまったものが、筋ジストロフィのように動きが制御されて、ロボットか、ゾンビのような生きているのに死んだような動きをしながら、何かに襲いかかるようなこともあるが、ただひたすら、目的を達成したら自死するように操作することも可能というわけである。一度では制御しにくいと思われるので、二度、三度と繰り返し人体実験を行っているのであるとしたら、それは、いったいどこで制御していこうとしていると思われるか。
身近な電子機器である。スマートな制御。遠くからでも、指示通り動く、動物牧場ではなく、放し飼い人形ロボット計画。未来からやってきて、家をぶち壊す算段であると、面白おかしく人の犬化計画をアピールしているものがいるのではないか。抵抗を歌う作家も、少しおかしい。最近、一度目のワクチンを打ってからというもの、人が変わった様に、抵抗しなくなったばかりか、ジャンクフードで満たされ、罵詈雑言を吐くこともなく、無抵抗で確実に飼い慣らされていくようであった。まるで歌を歌わなくなった歌うたいのように。これから、ますます老人の動きがおかしくなっていく。老化のせいではなく、ワクチンのせいで、自死に至る病に犯される。それが、じわじわと低年齢化されていくのだ。
コロナのワクチンには、コロナだけでなく、いろいろなものが混じっているのだから。人口の半分はワクチンを打っているという。狂犬病予防。これから起こる騒動に狂犬のように嚙みつくものがいなくなるように。犬でさえ、狂犬病予防でむやみに吠えなくなったというのだから、人間にもまた、今回の騒動で人体実験を繰り返し、奴隷として役にたたず、いらなくなったら、ジ・エンドになるだけの算段なのだ。
神様は、次の世界でいいようにしてくれるのだという。遠くから指図するだけで、汗水垂らして生きているものを奴隷としか思わない神様などいらない。お互いに、神様であろうがなかろうが、寄生虫のような王様、女王様であろうがなかろうが、生身の人間であろうがなかろうが、生臭い生き物であるということだけで、死に至るまでは十分であった。
夏休みの帰省中の、コロナ禍で一年延期された五輪の、生々しい汗と涙の中、掲げられた五輪の旗が、なんとはなしに、丸くなった針金虫ののさばった世界のように見えてきた。
なんとも言えない、狂騒の果てにたどり着いたコロナの、狂った寄生虫のような裸の王様、女王様の冠を無理強いさせている、規制中の騒ぎの顛末なのであった。
夏休みの帰省中のことであった。川の水をのもうとしていた。湧き出でてくるような透明な美しい流れの中に、とっぷりと浸かりながら、その水を口に含んで水が体の中をとうとうと流れるような川と自分が一体になったような気持ちがしていた。
世の中が、コロナに感染しているような、どこもかしこもコロナで規制中のようで、店に入るにもマスク、消毒、体温検査と、透明な壁越しに会話する、簡易的なプラスチックの檻の中にいつも入れられ続けているという、どうしようもない中、見えない空気中よりも、少しは抵抗力のある水の中で、その騒動から、遠ざかることができるような、聞いてもどうしようもない、拡声器からの今日のコロナの感染者の数を聞かなくて済むような気がして、そのような淀んだ空気を洗い流しているような心持ちがしていたのだ。
滝の音が聞こえた。水は岩を流れながら、飛沫をあげていた。右側の滝の懐に入った。水々しい力が、頭の天中に降り注ぐ。水が頭上から体の中までずずずと水圧のまま入ってくるようなそれは水の水々しい力そのもののようでもあり、もともと水の流れが体を経巡っている生暖かいものを押し出して滝の流れと繋がっていくような感覚。その感覚に身を委ねながらもっと強く流れる左側の滝に体ごと突っ込む。もう、水との一体感のようなものを通り越して、水の流れに流されまいと逆流している川の中の山女魚のような心持ちになる。進もうとしても水圧におしながされて、その場から動くことができないままの同じところにいながらにして全身全霊の力でそこにいるような心持ちなのだった。
湧き出ているきれいな水だと思って、その水をたらふく飲んだ。その水の中に漂う針金を見つけた。こんなところに針金が流れているなんて。と思い漂う針金を見続けていると、それは、針金虫だった。針金虫まで飲んだかもしれない。とっさに水を吐き出そうとしていた。針金虫は、自分の体より大きなカマキリを殺すことができる。水底に引きずり込むように。針金虫を体内に取り込んでしまったカマキリは、水の中に入るように誘導されて、水に溺れてしまうのだ。それから、針金虫はカマキリから這い出して、また、針金虫として水の中に帰っていくのだろうか。などと思う。そうして、寄生虫として宿主をまた探し続けるのだろうか。カマキリではなく、人間であろうが、針金虫が一匹ではなく、何万もの針金虫が束になっきたとしたら、もしかして、人間でさえ、ハーメルンの笛吹き男について水に溺れていくわけでもなく、針金虫に脳内操作されて、水に溺れていくことも、現実に起こり得ると言えなくもない。
現代の針金虫とも言えるナノチップを仕込んだ、コロナワクチンを人類の大半のものの体内に打つ注射を、滝に打たれるように、あるいは知らずに飲み込んだばかりに、体内に流し込まれてしまったものが、筋ジストロフィのように動きが制御されて、ロボットか、ゾンビのような生きているのに死んだような動きをしながら、何かに襲いかかるようなこともあるが、ただひたすら、目的を達成したら自死するように操作することも可能というわけである。一度では制御しにくいと思われるので、二度、三度と繰り返し人体実験を行っているのであるとしたら、それは、いったいどこで制御していこうとしていると思われるか。
身近な電子機器である。スマートな制御。遠くからでも、指示通り動く、動物牧場ではなく、放し飼い人形ロボット計画。未来からやってきて、家をぶち壊す算段であると、面白おかしく人の犬化計画をアピールしているものがいるのではないか。抵抗を歌う作家も、少しおかしい。最近、一度目のワクチンを打ってからというもの、人が変わった様に、抵抗しなくなったばかりか、ジャンクフードで満たされ、罵詈雑言を吐くこともなく、無抵抗で確実に飼い慣らされていくようであった。まるで歌を歌わなくなった歌うたいのように。これから、ますます老人の動きがおかしくなっていく。老化のせいではなく、ワクチンのせいで、自死に至る病に犯される。それが、じわじわと低年齢化されていくのだ。
コロナのワクチンには、コロナだけでなく、いろいろなものが混じっているのだから。人口の半分はワクチンを打っているという。狂犬病予防。これから起こる騒動に狂犬のように嚙みつくものがいなくなるように。犬でさえ、狂犬病予防でむやみに吠えなくなったというのだから、人間にもまた、今回の騒動で人体実験を繰り返し、奴隷として役にたたず、いらなくなったら、ジ・エンドになるだけの算段なのだ。
神様は、次の世界でいいようにしてくれるのだという。遠くから指図するだけで、汗水垂らして生きているものを奴隷としか思わない神様などいらない。お互いに、神様であろうがなかろうが、寄生虫のような王様、女王様であろうがなかろうが、生身の人間であろうがなかろうが、生臭い生き物であるということだけで、死に至るまでは十分であった。
夏休みの帰省中の、コロナ禍で一年延期された五輪の、生々しい汗と涙の中、掲げられた五輪の旗が、なんとはなしに、丸くなった針金虫ののさばった世界のように見えてきた。
なんとも言えない、狂騒の果てにたどり着いたコロナの、狂った寄生虫のような裸の王様、女王様の冠を無理強いさせている、規制中の騒ぎの顛末なのであった。