を読んだ。西加奈子さんの。
この「さくら」に出てくるさくらはある家族が飼っている犬である。
ところどころ、「さくら」を忍ばせ、物語は犬と散歩をするようにゆっくりと進んでいく。
今までうまく回っていたと思われた日常が、妹が愛するあまり兄に送られてくる手紙を隠すことから、ちょっとずつ、狂っていき、愛されすぎた兄は首をつって死に果てる。
さくらは家族ではあるけれど、見世物を盛り立てる観客としての「さくら」でもあり、さくらんの一歩手前でもあるような、小さな小さな愛のかたまりのようで咲いては散ったさくらのようで儚い想いのようで。
西加奈子さんとは、おそらく同世代であると思われたが、読み進むにつれて、同時代に、あのイランイラク戦争を体験したのではないかと思わせた、喪失感の物語に、心がヒリヒリとしてきた。
私は、小学生の頃、父親の仕事の関係で、中近東のイランに4、5年住んでいたのだが、西加奈子さんもまたイランに住んでいたことがあるということをどこかでお聞きし、きっと、同じような死に「ものぐるい」の思いをし、同じような時を過ごしていたに違いないと思われたのだ。
日常が、ガラリと変わって非日常と思われた爆撃も、いつの間にか、慣れ果てて、それが日常になっていく様を見たような。
(私の場合は空からやってくる、無差別に殺しにやってくる悪意に満ちた)狂っている世界であっても、(空をゆく白い雲のようなそのまんまの)狂っていないものを必死に感じていようとするような日々を過ごしたのではないか。という確信のようなもの。
なぜ、そのような確信のようなものを持ったのかというと、在イラン日本人学校に西先生というペルシャ語を教えに来られていた日本人女性の先生の面影を、「さくら」に出てくる家族の、母親に見たからでもある。
違っていたら恐縮であるが、ご本人にいつか確認してみたいと思いつつ、もしそうであるならば、いつか、その当時の話もできることならしてみたいと思われた。
同じような思いをするものがいるという、今まで、家族のもの以外には、誰とも共有することができなかった、多感な頃の、爆撃体験を語り合うことができるかもしれないという、一人ではないという、ささやかな安心感のようなものを、初めて、同世代で感じることができるのかもしれないという期待感を持ちつつ、自分の中で失われた時や思いをどう取り戻していきたいのかが、物語をかかずにおれないものたちの肝、あるいは宿命のように思えて、だからこそ死ぬまで書き続けるのだろうと、思わずにはおれなかった。
この「さくら」に出てくるさくらはある家族が飼っている犬である。
ところどころ、「さくら」を忍ばせ、物語は犬と散歩をするようにゆっくりと進んでいく。
今までうまく回っていたと思われた日常が、妹が愛するあまり兄に送られてくる手紙を隠すことから、ちょっとずつ、狂っていき、愛されすぎた兄は首をつって死に果てる。
さくらは家族ではあるけれど、見世物を盛り立てる観客としての「さくら」でもあり、さくらんの一歩手前でもあるような、小さな小さな愛のかたまりのようで咲いては散ったさくらのようで儚い想いのようで。
西加奈子さんとは、おそらく同世代であると思われたが、読み進むにつれて、同時代に、あのイランイラク戦争を体験したのではないかと思わせた、喪失感の物語に、心がヒリヒリとしてきた。
私は、小学生の頃、父親の仕事の関係で、中近東のイランに4、5年住んでいたのだが、西加奈子さんもまたイランに住んでいたことがあるということをどこかでお聞きし、きっと、同じような死に「ものぐるい」の思いをし、同じような時を過ごしていたに違いないと思われたのだ。
日常が、ガラリと変わって非日常と思われた爆撃も、いつの間にか、慣れ果てて、それが日常になっていく様を見たような。
(私の場合は空からやってくる、無差別に殺しにやってくる悪意に満ちた)狂っている世界であっても、(空をゆく白い雲のようなそのまんまの)狂っていないものを必死に感じていようとするような日々を過ごしたのではないか。という確信のようなもの。
なぜ、そのような確信のようなものを持ったのかというと、在イラン日本人学校に西先生というペルシャ語を教えに来られていた日本人女性の先生の面影を、「さくら」に出てくる家族の、母親に見たからでもある。
違っていたら恐縮であるが、ご本人にいつか確認してみたいと思いつつ、もしそうであるならば、いつか、その当時の話もできることならしてみたいと思われた。
同じような思いをするものがいるという、今まで、家族のもの以外には、誰とも共有することができなかった、多感な頃の、爆撃体験を語り合うことができるかもしれないという、一人ではないという、ささやかな安心感のようなものを、初めて、同世代で感じることができるのかもしれないという期待感を持ちつつ、自分の中で失われた時や思いをどう取り戻していきたいのかが、物語をかかずにおれないものたちの肝、あるいは宿命のように思えて、だからこそ死ぬまで書き続けるのだろうと、思わずにはおれなかった。