茅葺の神様と杉皮葺の神様を明楽園にお祭りした。
関わった、全ての方々が、茅葺と杉皮葺を愛するという一点に置いて、神様のように感じて、体験会に来てくださった方々の名前を書いていただいたお札をお祭りさせていただいたのだ。
先輩の井手さんのお名前も、盟友の相楽さんに書いていただいた。
皆様方の魂がどうか、安らかに、穏やかに、心休まる、茅葺、杉皮葺の屋根の下、日本はもとより、世界中の平和となっていくように、祈り続けるのだ。
日本茅葺協会の安藤先生や上野さんをはじめ、全国から茅葺職人の方々が集まってきた、我々の作業場でもある古民家明楽園の杉皮葺の屋根で体験会を行った際のことである。
浮羽で日本茅葺協会のフォーラムがあり、その一環として、15日に一般の茅文協の方々の見学会、16日に主に職人向けの体験会を行ったのだが、見学会には約50人、体験会には、30人ほどの方々が参加された。
フォーラムにおいては、九州においては、三苫さんによるお話においての筑後川流域における林業が盛んになった頃から発達していったという杉皮葺を残していきたいという思いの大きさに限らず、生きる場としてのカフェとして茅葺の屋根と共に暮らすことや、九州大学の先生や学生さん、地元の役所の方々などの、茅葺、杉皮葺の屋根を残していこうとする取り組みや、世界の茅葺事情なども語られ、茅葺、杉皮葺への思いが伝わる発表であった。
オランダの茅葺は、新築も多く見受けられ、建築家との新しい茅葺屋根の形を生み出している現状を紹介してくださっていた。バードウオッチングのメッカ?のような茅の草原の中で生み出された卵型の建築のおおらかさと、その形状に、柔らかい茅葺にお未来を見た。限界などないような、柔らかい、とてもしなやかな可能性は、ここ日本においても展開しており、伝統を守ることともに、新しい形をも生み出すことの喜びを感じずにはおれないお話であった。
今年に入って、東京のあきる野の広徳寺において、奥多摩の杉皮葺の屋根をされる職人が途絶えないように、上村さんと共に、中野さんからお声がけしていただき、駒さんと松田さん山口さんとご一緒して、奥多摩方式というか、奥多摩の杉皮葺のやり方を、屋根の解体で実際にものを見て、学びながら、過去に施工した広徳寺の資料なども参考にしながら最高のものを模索し続けた日々であった。
九州の杉皮葺と奥多摩の杉皮葺の最大の違いは、葺方にある。
九州においては、下地には茅を敷いてはいるものの、埋めものとしての茅の役目が主なもので、その上に茅だけでは柔らかすぎるため杉皮の埋めものも敷いて、2尺前後の短冊状の杉皮をある程度の一尺半前後の葺足で積みあげていったのち、竹で押さえて、その上にまた同じような行程で、積み上げていくやり方なのである。
一方、奥多摩においては、九州のように積み上げていくのではなく、一列づつ一枚一枚をつきつきに並べながら釘で打ち付けていくやり方でやっていった。我々が関わっていた時は、ちょうど、寒い時期であったので、解体時も屋根面が凍り付いていて、埋めものと葺く杉皮とが一体化していて、どれくらい埋めものをしていたかも、把握できなかったのだが、我々が今の現場である、小石原の高取焼宗家のお屋根をするためと、今回の茅文協のフォーラムの下準備のため、九州に戻ったのちに、駒さんと共に続けていた茂原くんによると、埋めものも見られたということで、やはり、奥多摩の杉皮葺においても、埋めものはしっかりとされていたということであった。また、重要なこととして、下地の茅葺は奥多摩においては、一度、茅葺の屋根と同じ吹き方をしたのちに、杉皮をその上に一列づつ、一枚づつ桧皮ぶきのようなやり方で並べているということであった。九州においては、軒は茅葺と同じ行程で茅を葺いたたのちに杉皮を乗せていくのであるが、その先は、先ほども述べたように、あくまでも埋めものとしての、下地としての茅を「のべ」として敷いて、鉾だけで抑えながら、その上に積まれていく杉皮を抑える竹を取るための抑え竹としの役割の方がより大きいとも言える。
言ってみれば、奥多摩は茅葺をした上に杉皮葺をしている、それぞれの行程をそれぞれきっちりとしているので、二度葺いているといえ、ある意味、二度葺の贅沢な葺方とも言えるが、筑後川流域の葺方は、茅葺と杉皮葺の一体化というか、それぞれが個別ではなく、渾然一体となって、そこにある、茅葺と杉皮葺の融合物のようにも思われた。
それぞれの杉皮葺のあり方の、それぞれの美しさとともに強さも、今後追っていきたいと思われた。
それから、水の災害も、他の災害も見受けられる日本で、浮羽においては水害で多大な打撃を受けたのを乗り越えようと、知足先生や地元の方々などが協力されて、杉の流木などを使って、アートで、復興できる流れを模索されていたり、杉をこよなく愛する杉岡製材所の杉岡さんたちも尽力されていたのを存じ上げていたので、その思いは後の世にも伝わって、災害からも立ち直る手立てを我々は身をもって全身でもって、前進していく力を持ちうるという希望を見出した気がしていた。
下準備があったので、登壇された方々のお話をお聞きして、すぐさま、とんぼ返りで古民家で作業を行ったのだが、上村組組長?のご家族と息子の道成と、地元の茅葺、杉皮葺の仲間と、やませみの里の愉快な仲間の全面的な協力により、無事、見学会、体験会が終わりましたことを、心より感謝して。
これからの、茅葺、杉皮葺の発展を、心から楽しみにしている次第である。
関わった、全ての方々が、茅葺と杉皮葺を愛するという一点に置いて、神様のように感じて、体験会に来てくださった方々の名前を書いていただいたお札をお祭りさせていただいたのだ。
先輩の井手さんのお名前も、盟友の相楽さんに書いていただいた。
皆様方の魂がどうか、安らかに、穏やかに、心休まる、茅葺、杉皮葺の屋根の下、日本はもとより、世界中の平和となっていくように、祈り続けるのだ。
日本茅葺協会の安藤先生や上野さんをはじめ、全国から茅葺職人の方々が集まってきた、我々の作業場でもある古民家明楽園の杉皮葺の屋根で体験会を行った際のことである。
浮羽で日本茅葺協会のフォーラムがあり、その一環として、15日に一般の茅文協の方々の見学会、16日に主に職人向けの体験会を行ったのだが、見学会には約50人、体験会には、30人ほどの方々が参加された。
フォーラムにおいては、九州においては、三苫さんによるお話においての筑後川流域における林業が盛んになった頃から発達していったという杉皮葺を残していきたいという思いの大きさに限らず、生きる場としてのカフェとして茅葺の屋根と共に暮らすことや、九州大学の先生や学生さん、地元の役所の方々などの、茅葺、杉皮葺の屋根を残していこうとする取り組みや、世界の茅葺事情なども語られ、茅葺、杉皮葺への思いが伝わる発表であった。
オランダの茅葺は、新築も多く見受けられ、建築家との新しい茅葺屋根の形を生み出している現状を紹介してくださっていた。バードウオッチングのメッカ?のような茅の草原の中で生み出された卵型の建築のおおらかさと、その形状に、柔らかい茅葺にお未来を見た。限界などないような、柔らかい、とてもしなやかな可能性は、ここ日本においても展開しており、伝統を守ることともに、新しい形をも生み出すことの喜びを感じずにはおれないお話であった。
今年に入って、東京のあきる野の広徳寺において、奥多摩の杉皮葺の屋根をされる職人が途絶えないように、上村さんと共に、中野さんからお声がけしていただき、駒さんと松田さん山口さんとご一緒して、奥多摩方式というか、奥多摩の杉皮葺のやり方を、屋根の解体で実際にものを見て、学びながら、過去に施工した広徳寺の資料なども参考にしながら最高のものを模索し続けた日々であった。
九州の杉皮葺と奥多摩の杉皮葺の最大の違いは、葺方にある。
九州においては、下地には茅を敷いてはいるものの、埋めものとしての茅の役目が主なもので、その上に茅だけでは柔らかすぎるため杉皮の埋めものも敷いて、2尺前後の短冊状の杉皮をある程度の一尺半前後の葺足で積みあげていったのち、竹で押さえて、その上にまた同じような行程で、積み上げていくやり方なのである。
一方、奥多摩においては、九州のように積み上げていくのではなく、一列づつ一枚一枚をつきつきに並べながら釘で打ち付けていくやり方でやっていった。我々が関わっていた時は、ちょうど、寒い時期であったので、解体時も屋根面が凍り付いていて、埋めものと葺く杉皮とが一体化していて、どれくらい埋めものをしていたかも、把握できなかったのだが、我々が今の現場である、小石原の高取焼宗家のお屋根をするためと、今回の茅文協のフォーラムの下準備のため、九州に戻ったのちに、駒さんと共に続けていた茂原くんによると、埋めものも見られたということで、やはり、奥多摩の杉皮葺においても、埋めものはしっかりとされていたということであった。また、重要なこととして、下地の茅葺は奥多摩においては、一度、茅葺の屋根と同じ吹き方をしたのちに、杉皮をその上に一列づつ、一枚づつ桧皮ぶきのようなやり方で並べているということであった。九州においては、軒は茅葺と同じ行程で茅を葺いたたのちに杉皮を乗せていくのであるが、その先は、先ほども述べたように、あくまでも埋めものとしての、下地としての茅を「のべ」として敷いて、鉾だけで抑えながら、その上に積まれていく杉皮を抑える竹を取るための抑え竹としの役割の方がより大きいとも言える。
言ってみれば、奥多摩は茅葺をした上に杉皮葺をしている、それぞれの行程をそれぞれきっちりとしているので、二度葺いているといえ、ある意味、二度葺の贅沢な葺方とも言えるが、筑後川流域の葺方は、茅葺と杉皮葺の一体化というか、それぞれが個別ではなく、渾然一体となって、そこにある、茅葺と杉皮葺の融合物のようにも思われた。
それぞれの杉皮葺のあり方の、それぞれの美しさとともに強さも、今後追っていきたいと思われた。
それから、水の災害も、他の災害も見受けられる日本で、浮羽においては水害で多大な打撃を受けたのを乗り越えようと、知足先生や地元の方々などが協力されて、杉の流木などを使って、アートで、復興できる流れを模索されていたり、杉をこよなく愛する杉岡製材所の杉岡さんたちも尽力されていたのを存じ上げていたので、その思いは後の世にも伝わって、災害からも立ち直る手立てを我々は身をもって全身でもって、前進していく力を持ちうるという希望を見出した気がしていた。
下準備があったので、登壇された方々のお話をお聞きして、すぐさま、とんぼ返りで古民家で作業を行ったのだが、上村組組長?のご家族と息子の道成と、地元の茅葺、杉皮葺の仲間と、やませみの里の愉快な仲間の全面的な協力により、無事、見学会、体験会が終わりましたことを、心より感謝して。
これからの、茅葺、杉皮葺の発展を、心から楽しみにしている次第である。