明鏡   

鏡のごとく

焼き杉

2021-02-18 00:43:49 | 詩小説
粉雪が降り出した
自分より少し大きくて
手のひらくらい幅を利かせた杉の板
三枚で三角柱にして荒縄でしばる
その三角形の空洞に
茅の袴を詰め込んで
火をつける
狼煙が上がると
火が駆けずり回り
内側だけがどす黒くただれていく
もう耐えられないと火がてっぺんから首を出すと
砂時計のように
上と下をひっくり返した火時計は
杉の記憶を黒く塗りつぶし
杉の板を生半殺しにした
老婆の肌のような土壁を
黒光りする鎧板となり
守るのだと
言い聞かせながら
冷水をぶっかけては
火あぶりとなった
魔女狩りの後に
また新しい三角柱の生贄を捧げるように
杉の板を焼き
焼き杉を作るのだった

野焼き

2021-02-12 01:07:49 | 詩小説
野焼きボランティア講習に参加してきた。

阿蘇の牧野を守ってきた方々から学びたいのもあったが、我々の暮らす日田の前津江の里山も、これからまた野焼きできるようにしていきたい思いも強かった。

まっすぐでなりのいい茅が育ってくれるようになるとのこと。

火消棒を竹とかづらで作った。
竹の先を6分割して、その半分の3本にかづらを通し、ずらして、6本足の熊手状態に潰しながら、手前向こうと一本づつなみ縫いのように交互にかづらを通していく、端っこになるとくるりと踵を返してまた編んでいく作業を繰り返し、最後は、縦に三つか四つのなみ縫い状のものをキュッと止めるように2回ずつ巻きつけていく。

そうして、今度、一斉に、阿蘇の野焼きがあるときに、実際に野焼きをするときに、皆でバッサバサ叩いて火消をするのである。

それにしても、壮大な阿蘇の草千里を走る野焼きの火を見るのが、本当に楽しみである。
野焼きをすることで、牧野は保たれてきた。
その後に生えてくる牧草を食む牧牛をよく見かけるが、彼ら、彼女らは子孫を残すために放牧されているのだという。彼ら彼女ら自身は、食べられるのではなく、生み育てられるのだという。

牧野に放たれた自由を食む牛たちの上を、悠々と飛ぶ熊鷲も減ってきたというが、まだ、谷などの狩りやすいところでは見かけると、地元の牧牛を育てている方が、おっしゃっていた。

子供の頃から見ている生きとし生けるものの姿を、幼馴染の友人を見かけたように話されていた。

鋏仕上げ

2021-02-09 00:07:44 | 詩小説
広島の三次の文化財の屋根を明石屋根工事さんとご一緒させていただき、仕上げ作業をさせていただいた。

多くの場合、九州の屋根においては突きものでたたき上げていくのであるが、今回は鋏で仕上げていった。

突きものの場合は、ある程度、カラスあるいはやっとこという茅や杉皮などを引っ張り出す道具で、引っ張り出して「なり」を整えることも、比較的、やりやすいと思われたが。

鋏仕上げの場合は、少しの鋏の入れ具合で徐々に勾配が変わっていき、カラスで引っ張り出したとしても、切り口がすでに鋭角になっているため、どこかちぐはぐになって、面が逆に揃いにくく、また刈りそろえることになる。
安定した鋏運びが必要となってくる。

いずれにせよ、棟と軒の上下、角と角の左右の通りを見ながら、美しい流れを作り続けていく地道な作業となる。

鋏を、休憩時間に研ぎ澄ませて、また、屋根に向かう職人の手と目と息遣いと熱が注がれていく屋根に、魂が込められていくようで、仕上げたそばから、長く息づいてくれるように、手で撫でさすっていくのだった。