明鏡   

鏡のごとく

『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』

2022-09-03 15:12:12 | 詩小説
『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』拝読。

『霖雨』葉室麟著。

天領日田で私塾咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓とそれを支える弟九兵衛を通して、広瀬家に関わる人々を描きながら、大塩平八郎の乱などの起こる時代背景を浮かび上がらせている。


咸(ことごと)く宜(よろ)し=すべてのことがよろしいと言う中国最古の詩集『詩経』にある「殷、命を受く咸宜(ことごとくよろし)、百(ひゃく)禄(ろく)是れ何(にな)う」から来ている咸宜園の名。
現在、史跡咸宜園跡には、江戸時代に建設された居宅「秋風庵(しゅうふうあん)」や書斎「遠思楼(えんしろう)」が良好に保存され公開されている。

秋風庵は、杉皮葺の屋根となっていて、真冬の雪が降りしきる中、補修をさせていただいたことがある、とても、思い入れのある屋根でもある。

淡窓が病弱だった若かりし時、肥後の天台宗の高僧豪潮律師が日田の永興寺に来て連日加持を行っていたので、秋子が病気がちな兄の淡窓のために大誓願を立てたという。


体が弱いということで、家業を継ぐことなく、儒者となり、私塾を開き、日記や思想、詩を書き続けたと言う淡窓の、「敬天」の心持ちは、弱者から始まっているようで、身分よりも、学ぶことに集中出来る場を作り、その後にも考え続けることをし、人の芯を作っていく術を育てたと言える。

大塩平八郎は飢饉の際、備蓄してある米があるのに死んでいく人々とともにあり、決起したのだが。
天領日田でも同じような状況下にあって、九兵衛は粥を振る舞ったりしていたが、当時、日田金と言って、大名にも金を貸し付けていた博多屋を取り仕切っている九兵衛に対する圧力は大きくなっていた。九兵衛が当時の郡代に命ぜられて手がけた、日田の灌漑事業の成功ののち国東などの灌漑事業も任せられてはいたものの、そこに駆りだされたものたちが、すぐに利益が得られたわけではなかったので、不平等感とともに不平が噴出していたという。
淡窓は、力ではなく、敬天の思想を軸とした、学問の上で平等を目指していたと言えるだろうが、九兵衛は、商いを通して、実践していこうとしたと言えるが、そこには、軋みもあったと言える。

今の世において、自由度は、増しているようにも思えるが、「税」に関しての不平等感は拭えないものとなっている。
個人事業主からは、インボイス制度を押し付け始めており、サラリーマンからは、間違いなく税を絞りとるだけ取り。
大企業においては、法人税を払わないでいる企業もあり、税金など、払ってもいない状況の者たちは、野放しという状況は、見えなくされている。
諸外国においては、コロナの影響もあり、消費税をある程度免除する方向の国もあるというが、この日本では、議論にもあげようとしないでいる現状を鑑みて、金を刷り続ける国家というものに、そもそも、税金などいらないというのが、自分の考えである。
不自由を押し付けられることなく、金の奴隷を作らないということは、まずは、何より、いらぬ税金を取らない・取られないということが必要である。

その金を擦り続けている打ち出の小槌状態の機関である国あるいは世界政府と言われているものが跋扈する世界の在り方を、心底から、考える時期に来ている。


「金」を媒体としない、相互扶助の成り立つ世界を目指すことも一つの形と言えるかもしれないが。
本当の自由とは、究極は、自分で何事も完結できることなのかもしれないと思う今日頃ごろではあるが。



閑話休題。

「休道の詩」は、馴染みの方もおられると思う。



「桂林荘雑詠」(けいりんそうざつえい)
『遠思楼詩鈔』に掲載されている七言絶句である。淡窓26歳のときの作で、以下の4首からなる。2首目を「休道の詩」、3首目を「諸生に示す詩」とも通称する。これら4首のうちの特に2首目は詩吟として読まれることもある 。
(1)
幾人負笈自西東  幾人か笈を負ひて(いくにんかきゅうをおいて) 西東自りす(さいとうよりす)。
両筑双肥前後豊  両筑(りょうちく) 双肥(そうひ) 前後の豊(ぜんごのほう)。
花影満簾春昼永  花影(かえい) 簾に満ちて春昼永く(すだれにみちてしゅんちゅうながく)。
書声断続響房櫳  書声(しょせい) 断続して房櫳に響く(だんぞくしてぼうろうにひびく)。
(2)(休道)
休道他郷多苦辛  道ふを休めよ(いうをやめよ) 他郷苦辛多しと(たきょうくしんおおしと)。
同袍有友自相親  同袍友あり(どうほうともあり) 自ら相親しむ(おのずからあいしたしむ)。
柴扉暁出霜如雪  柴扉暁に出づれば(さいひあかつきにいずれば) 霜雪の如し(しもゆきのごとし)。
君汲川流我拾薪  君は川流を汲め(きみはせんりゅうをくめ) 我は薪を拾はん(われはたきぎをひろわん)。
(3)(諸生に示す)
思白髪倚門情  遙かに思ふ(はるかにおもう) 白髪門に倚るの情(はくはつもんによるのじょう)。
宦学三年業未成  宦学三年(かんがくさんねん) 業未だ成らず(ぎょういまだならず)。
一夜秋風揺老樹  一夜(いちや) 秋風(しゅうふう) 老樹を揺がし(ろうじゅをゆるがし)。
孤窓欹枕客心驚  孤窓(こそう) 枕を欹てて(まくらをそばだてて) 客心驚く(かくしんおどろく)。
(4)
長鋏帰来故国春  長鋏帰りなん(ちょうきょうかえりなん) 故国の春(ここくのはる)。
時時務払簡編塵  時時務めて払へ(じじつとめてはらえ) 簡編の塵(かんぺんのちり)。
君看白首無名者  君看よ(きみみよ) 白首にして名無き者を(はくしゅにしてななきものを)。
曾是談経奪席人  曾て是れ(かつてこれ) 経を談じて席を奪ひし人(けいをだんじてうばいしひと)。




『日田広瀬家三百年の歩み』
最初は堺屋と言われていたが、その後、博多から移住してきたのもあり博多屋と言われたと言う広瀬家の日田に居を構えて三百年の足取りを、辿っている。
広瀬家八賢人と言われる、月化・桃秋・淡窓・秋子(ときこ)・九兵衛・旭荘・青邨・林外。
現、大分県知事の広瀬氏の祖先の方々ということである。