明鏡   

鏡のごとく

吉野ヶ里の先生

2021-01-13 12:56:02 | 茅葺
吉野ヶ里でお世話になった川上先生が亡くなられた。

川上先生は、いつもニコニコとされていて、駆け出しだった私にも、分け隔てなく、気さくに話しかけてくださった。

吉野ヶ里の茅葺屋根の作りに関しては、先生は、少し跳ね上がった神社仏閣的軒の形をイメージされながらも、より古代的に、あまり美しく作り込み過ぎないようにも、考慮されていたのを思い出していた。

この遺跡の建築の一部始終を知るように、作り手から見た、その当時の建物への思いを繋げていけるように、そこで何があったか、そこで何が生まれたか、を知っておくこと、歴史的観点を持つことで、より建物への深い思いを持ちうることを、教えてくださった。

吉野ヶ里「楼観」からの報告(安本美典)という本を読んだのも、川上先生の言葉を実践することであった。

吉野ヶ里から、炭化した米粒が一つ見つかったり、豚の骨が見つかったりしたというのは漠然と知っていたが、大和朝廷への変遷に少なからず関わっていたのではないか、少なくとも寄り添っていたのではないか。と思われるものを、「楼観」から、高いところからの眺めを持ち得たものたちの残した、墓や、堀、茅葺の家々の集まる集落の規模の大きさや力から、うかがい知ることができる。


吉野ヶ里の時空を超えたところまで辿っていくように、今ここの自分にできることを、再度、確認するように。

川上先生のご冥福をお祈り申し上げます。


杉皮の屋根と詩集

2020-07-21 06:39:32 | 茅葺
我が家の杉皮の屋根の杉皮を切っていた。
雨漏りがするので、早急に直したいのだが、雨が止まない。
まずは、内装から直している。
漆喰の壁を塗る前の下プラを塗ったり、泥壁を練って寝かせたりして。
上村さんのお兄さん、お母さん、左官の先輩が陣中見舞?に応援に来てくださったりしてずいぶん進み、美味しいご飯もいただいて、ぬか床までいただけたのはありがたかった。

これから、できる時を待っているのだ。

先日、杉岡製材所さんのところに用事があり伺った際、上野さんと安藤先生に初めてお会いした。
茅葺や杉皮葺を愛してやまない方々のお話をお聞きできて、心から、ありがたかった。
安藤先生が福岡の井尻に学生時代お住まいだったとお聞きし、自転車で行ける距離に住んでいましたという話で、盛り上がった。
また、上野さんとは女性の茅葺職人さんとの横のつながりを分かち合いたいというお話をさせていただき、勇気をいただいた。
さらに、杉岡さんがワークショップのようなものを考えておられるようで、有り余っているがそれを活かしきれていない杉の皮を使った屋根を全国に(全世界にも)広げていけたらいいという熱い思いを感じた。
そういう場にいれる幸せ、同じものを愛でることの嬉しさを分かち合える幸せを感じることができて、生きていて良かったと思えた。

今日、色々な杉皮葺の屋根を見て回った。

日田に移住するときに、年に1万円で貸してくれるという杉皮葺のお屋根があったのだが、そこの補修を家主さんができないということで、自分で屋根の補修ができるようになりたいと思い、茅葺職人を目指したきっかけであった家だが、すでに人が住まなくなって数十年となるであろうお宅の屋根は半分穴が空いていた。

そこには間に合わなかったのが残念でならないのだが。

今あるこの屋根を、直していくことで、この家への思いを遂げたいとも思った。


今日、やっとの思いで、詩集の原稿を石風社さんに送った。
絞り込むのに時間がかかったのだ。
今までの生きてきた時を言葉に込めて、この思いを遂げたいとも思った。

玖珠と浮羽と古民家

2020-05-17 21:16:20 | 茅葺
玖珠の後藤さんの御宅の杉皮葺のお屋根の補修を少し前にさせていただいた。

それほど傷んではいなかったものの、ご主人がどうしても今しておきたいと言われていたので、我々も時間の許す限り、精一杯、手入れをさせていただいた。

奥様が焼き物をされているということで、休憩時間の差し入れに器の手に温かみが伝わるおもてなしをしていただいた。

古民家の個人の御宅は毎回、真心をもいただけるようで、ありがたく、心にしみる。


浮羽の重要文化財の平川邸でも、同じように、先祖の残した茅葺の家を大切に守ってらっしゃるご夫婦のお人柄に心を和ませていただいている。

先日、吉野ヶ里の現場に出張していた時、私がいないのにお気づきになった奥さんが、次の日、声をかけてくださり、優しい言葉をかけてくださり、ありがたかった。

どこに行っても、人と人の関わりの、温かさを感じられるのが、茅葺の仕事である。と、つくづく思う。

古色

2020-04-24 19:21:13 | 茅葺
古色とは、前に塗ってあった色のことです。

古民家や文化財保護にお詳しい監督さんがおっしゃった。

セピア色的な、いかにも色あせた色を連想していた自分は、古色蒼然とした古い色でなくとも、古色ということに、しかも、その色はそれぞれ違うということに、ハッとした。

自宅の古民家の補修を手がけている自分としては、どうすればいいか気になっていた、柿渋の塗り方も教わった。

厚手の雑巾に柿渋をヒタヒタに浸し、それを絞って、雑巾に残った柿渋をすり込むように塗っていくといいと教えていただいた。
それを三度は塗るという。

それから、さらに、その上に米糠で磨いたら、つやつやと美しくなるという。

柿渋にべんがらを混ぜても、雨風に強いものになるというから、それは、縁側などに塗ったらいいよと教えてくださった。

それを知っている監督さんもすごいが、それを編み出した、昔の人は、すごいとしか言いようがない。

手間暇かけて、身近にあるもので、家を愛でることの、その優しさと美しさに、なぜ人のぬくもりや人が住んでいる古民家が心が落ち着くのかが少しわかった気がした。

自分で、自分を整えるということにもつながる。

磨き上げることの美しさと強さのようなもの。


もう一つ磨き上げるといいということを教えていただく。

棟に使う竹も金属束子で磨きあげることで、青々とした、ツヤのある竹になり、雨風に耐えうる、長持ちもする竹になるという。

いかに、強く、美しく生かそうと、心を尽くされているかがわかり、このような方が今もおられることに、心から感謝する。