明鏡   

鏡のごとく

「火宅の人」

2018-08-30 19:45:35 | 茅葺
「火宅の人」を読む。

檀一雄のが原作の大林監督の映画「花筺」を見てからというもの「花筺」をずっと探していたのだ。

この映画は、監督の遺言のようであり、象徴がいたるところに、月に光る白蛇のように這いまわっていた。
ゾッとするようなヌルヌルとした美と肉の魂のようなものが這い回るのだ。
物語の中を。記憶の中を。海水の上を。道の上を。

屋根の上から飛べない臆病すぎる息子に、
「お飛び」
という母親と飛べない息子の物語のような。
飛んでいく男たちと飛べない男の物語のような気がして、それを確かめたいがために。

「花筺」をずっと探していたのだが、古本屋にはなく、なぜか昔から「火宅の人」を倦厭していたのを思い直して、手に入れておいたがなかなか読めずにいたものを届けてもらい、入院中のベットで読んだのだった。

自分は、図らずも、不意に屋根から飛んでしまったようなところもあり、「花筺」を読みたくてしょうがなかったのだが。まだ、読むに至っていない。

「花筺」が原作に忠実であったとするならば、おそらく、飛べなかった架空の主人公の男が、飛んだ後の生々しい男の物語に成り果てたような、檀一雄の生きた時代にあった戦争の後先の檀一雄自身の変わり果てた姿のようで、ここまで、人は変わるものだということを見せつけられたような気がした。

欲望のままに飛んだ、欲望に忠実になった男がそこにいた。

それから、能古島の檀一雄の終の住処を訪ねたことを思い出した。

子供の手を引き、船で渡った能古島の、ももち浜が見えるような場所だったと記憶している。そこから、生まれたであろう「火宅の人」は二十年をかけて書き続けたものだという。

彼の生きた証のようで、彼は今もその中で生きている。
最後の宿の中で、真新しいスリッパを用意して、いつか来るであろう「何か」を待っているように、檀はあの家で、「何か」を待っていたのではないだろうか。

などと思いながら、もがくように書き続け、生き続けた男が、自分の中にもいるようで、その「何か」を待っている自分を見つけたような気がした。

「転げ落ちた」

2018-08-30 18:59:54 | 茅葺
夢に見たように暗闇と一緒に転げ落ちた
ビール箱の中身がなかったから
あんまりに軽やかにビール箱と一緒に転げた
足場はくっしょんになってくれたが
踏み台にもなって
そのまんま庭に転げ落ちたのだ
暗闇の痛みから目が開けられない
息ができないのは暗闇のせい
左の首から肩にかけて
三回転半にねじれながら
転げ落ちたのだ
水だったら着地失敗
庭だから暗闇に着地
ご安全にと5番と書かれた
ヘルメットが守ってくれたけれど
頭の中の暗闇と
めくるめく昼の光のような
首と背中と胸骨の電光
痛みの中
死んだ気がしたのだ
動かないかもしれない死体
胸骨のきしみは
息を殺してという
面をして
能舞台に上がるように
横になり死に体となりながら
茣蓙担架で運んでもらった先の救急車
夢の中でどうしようもなく泣き出すように
じわじわと溢れていた
涙をふくように
救急隊員が白い紙をくれた
白紙にうつしこまれた
無色の痛みを丸めて戻す
たどり着いたのは
病室の片隅
外は嵐も近い
海も近いというのに
痛みと離れられない
暗闇と和解するように
天井を向いたまま
また夢を見るように
眠りに転げ落ちた
転げ落ちる二日前に見た夢の中で
首を触られたのを思い出しながら
ご安全に
ご安全にと触られたようで
無言のご忠告のおかげで
なんとか生きていて
ご安全に
ヘルメットのおかげで
何事もなかったように
動き回れるようになり
転げ落ちた先を
今も見ているのだ










人生タクシー

2018-08-29 18:15:21 | 詩小説
人生タクシーを見た

人を乗せて街を走る車

車には生きた証拠のような記録が残る

我々は生きているような

時々 乗りこむ乗り合いタクシーに

乗っては降りているような

記録はそこに存在しているようで

姿の見えない証人か

精霊か神のようで

そのまま野ざらしにされた

車の中の時間だけ

止まって見える記憶のようで

我々は一台のタクシーのようで

運転手一人ではやりきれないようで

我々は話したのだ

花火は夏と笑う幼子のように

時々打ち上げられた花火を見つけるように

生き過ぎたいき場所に

再びたどり着けるように

愛しいものと話し続けられるように