19回目となる今回は、山口県上関町祝島の島民の暮らしと原子力発電所建設反対運動を
記録した「祝の島ー1000年先にいのちはつづく」を上映しました。
以下、以前頂いていた児玉さんからのメールの転載~~~~
■シリーズ『記録映画のアクチュアリティ② 間隙の思考― TV制作と自主映画制作との間で』
日時 平成24年3月30日(金)
場所 日時計の丘 (福岡県福岡市南区柏原3-34-41) http://hidokei.org/access.php
開場 19時
上映開始
19時30分~ 『祝の島ー1000年先にいのちはつづく』 (2010年/105分/ポレポレタイムス社)
<監督:纐纈(はなぶさ)あや プロデューサー:本橋成一 撮影:大久保千津奈(KBC映像)>
第19回 JSC賞(日本映画撮影監督協会)受賞
21時20分~ ディスカッション ゲスト:撮影 大久保千津奈 さん
4年ほど前になりますが、「祝の島」撮影途中のラッシュを40分程見せていただく機会がありました。
原子力発電所の反対運動云々よりもむしろ、島の人々の生活の有り様やおじいさん、おばあさんたちの
何気ない会話がとても印象に残り、いつか日時計でも上映したいと考えてきました。
今回は、ゲストに撮影を担当し、私も個人的に何度か仕事をさせていただいたことのある
気鋭の女性キャメラマン、大久保千津奈さんを迎え、撮影現場でのエピソードを語っていただきます。
大久保さんは地元TV局に出向している制作会社の社員です。
そんな立場の大久保さんがなぜ、「ナージャの村」などを手がける東京の有名な
インディペンデント系映画制作会社の作品にかかわるようになったのか?
TV制作と自主映画制作との間でどのような葛藤やモチベーションの変化があったのかなど
興味深いお話をお聞きします。この機会にぜひご覧いただきたいと思います。
※ちなみに、大久保さんはこの作品で昨年、第19回JSC賞を受賞しました。
〈作品紹介〉
1000年前、沖で難破した船を助けたことから
農耕がもたらされ、 子孫が栄え、
現在に至るまでいのちをつないできた小さな島がある。
山口県上関町祝島。
瀬戸内海に浮かぶこの島は、台風が直撃することも多く、
岩だらけの土地には確保できる真水も限られ、
人が暮らしやすい環境とは決していえない。
その中で人々は、海からもたらされる豊穣な恵みに支えられ、
岩山を開墾し、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、
分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。
人間の営みが自然の循環の一部であることが、祝島でははっきりと見える。
「海は私たちのいのち」と島の人は言う。
1982年、島の対岸4kmに原子力発電所の建設計画が持ち上がった。
「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」
という祝島の人々は、 以来28年間反対を続けている。
効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。
大きな時間の流れと共にある島の生活。
原発予定地と祝島の集落は、海を挟んで向かい合っている。
1000年先の未来が今の暮らしの続きにあると思うとき、
私たちは何を選ぶのか。 いのちをつなぐ暮らし。
祝島にはそのヒントがたくさん詰まっている。
転載終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上映会後、カメラマンの大久保さんからお話を伺うことが出来て、光栄であった。
監督とカメラマン音声さん三人で祝島に住み込んで撮った映像というものは、何のてらいもなく、島の時間に寄り添いながら空気のように、生きていようが死んでいようがそういったものを越えてそこに留まっていくような霊魂の塊のような眼差しというか、そういった島の人の眼差しを、そのまま映し出している。
~しかし、カメラを廻す過程において、そこにあるカメラの存在を消すことは出来ず、そのままカメラの存在をもひっくるめて、出来上がった映像であったと言う。
確かに。そのままにも、カメラは存在する。言葉を媒介にして島の実存を知らしめるのも又、誰かが見て語りが入り込むことなくしてはならないように。~
原発(問題)はあくまでもその延長線上にあった。
海の色が違った。
祝島の原発反対の人が、すでに原発のある他の地域の海を見た時に思ったと言う。
祝島の原発反対の人の地(血)肉化された生きていることばは、人を籠絡するごまかしも、にげもかくれもなく、そこにくらすというただそれだけのことを犯されたくないと言う、そのまま自分たちの力で海と島と生き物とまっとうに生きていきたいと言う地霊のような島の声とでもいおうか。
島で米を作られていた萬次さんの祖父の亀次郎さんの石に刻み込まれた言葉が身に染みた。
今日もまた
つもりし雪を かきわけて
子孫のために ほるぞうれしき
萬次さんの祖父の亀次郎さんが作った棚田で70年間米を作り続け、孫まで食わせて来たものの、その棚田を引き継ぐものはすでに途絶えそうになっている。
今もその棚田を支え続けている城壁のように美しくきっちりと高々しく積み上げられた石のひとつに願いを込めるようにひとつひとつの日々の形のように萬次さんは育ててくれたじいちゃんの言葉を刻みこんでいた。
また、原発推進派と原発反対派が海の上の船にのり、お互いにらみ合いを続けている時に、アジっていた女性が、家に帰り、亡くなったおばあちゃんおじいちゃんの仏壇の前に座り、
今日も原発を作ることを阻止できました。
と話しかけている女性の言葉に涙が出た。
原発反対であったばあちゃんじいちゃんがのりうつっているように思うともいっていた、その女性の生活をかけた命をかけたここを守ると言う声に幾つもの谺を聞いた気がした。
福井で上映会をされたこともある大久保さんが、現地の方々に、福井は既に出来ているので、祝島とはまた違う現実が突きつけられていると思った。とおっしゃっていた。
「一度作ったら続けるも地獄、終わらすのも地獄」ともいえる原発の現実を突きつけられたように思う。
たとえ野山に帰ろうと残魄となり谺とあいなり。