明鏡   

鏡のごとく

お見送りの朝

2022-10-14 01:26:31 | 詩小説
軽トラックに乗って、杉皮葺の屋根で使う、杉皮のうめものと茅のうめものを運んでいた。
道を左に曲がり坂道を登っていくと、朝の挨拶運動で幟を立てている人たちが、軽トラックに向かって挨拶をしていた。
おはようございます。
という声はお互い聞こえないまま、窓越しの透明な無音の中、自分も会釈をしながら、通り過ぎていた。
どこかの宿にでも泊まって、お見送りでもされている、奇妙な気持ちになっていた。
何かがいつもと違うような気がしていた。
坂道を下り始めると、ふと、現場への道とは反対方向の道を走っていることに気づいた。
このまま、引き返そうか。
とも思ったが、あの一度目のお見送りの後に、また引き返し、二度目のお見送りをされる気持ちにはなれず、そのまま、反対方向の道を下って行った。
道は、下ったところでまた別の道を上がってくることにはなるが、ぐるりと繋がっているのだった。
それにしても、なぜ、この道を通ってしまったのか、無意識にしても、なんだか、奇妙な朝だった。少し遠回りになるが、このような日は、何か起こりそうで、いつもより安全運転で焦らないように、現場に向かった。

仕事が終わって、家に帰り、晩御飯を作って、食べ終わり、ゆっくりと、お茶を飲んでいた時に、姉からの携帯電話がなった。

じいちゃんが危ないらしい。病院から、呼び出しがきたと。
コロナでも、面会はできるっていうことやけん、かなり危ないんじゃなかと。
今、ばあちゃんたちと病院に向かっとる。
あんたは、仕事があるけん、夜遅くなるし、無理せんでいいけん。

とりあえず、行くわ。索道と道成と。

夜の道を、道成が運転した。

30分は早く着くけん、高速に乗るよ。

いつもは下道で、ゆっくりと道道のものを眺めながら走るのだが、今日は、いつもと反対の道を行く日のように思えた。

病院に着くと、姉が戸口で待っていた。
時間外なので、特別に戸を開けてくれたのだった。

エレベーターを降りると、部屋がすぐそこだった。
何ヶ月もチューブに繋がれて、口から飲み込むこともできず、チューブを通ってやってくる点滴だけが、じいちゃんの透明な唾液のようで、唾を飲み込むこともままならず、身体中にねっとりとした透明なものを注ぎ込まれ続けていた。

じいちゃん、血圧が下がっとう。

景気を見ると、上が65でしたが33しかない。

ばあちゃんが、じいちゃんのくの字に曲がってしまった手や細くなった手首や腕をさすっていた。

二時間くらいさすっとったとよ。

ばあちゃんは、目をショボショボさせながら、言った。

席を譲られた私は、じいちゃんの決して口を開くことがない、きっちり、頑なにしまった鳥のくちばしのような手をさすり始めた。

じいちゃんの手、ずっと、このままやけん、指と指の間に垢が溜るとよ。

ばあちゃんが言った。

へそのゴマみたいやね。

私はそう言って、じいちゃんの手をヤワヤワとさすり始めた。
少し暖かかったが、指先の方がくちばしのように、血の気がなく、かたくなっていた。

ばあちゃんと姪っ子と姉が疲れ果てていたので、隣の空いたベットで横になったり、椅子に座ったりしていたが、道成は索道を迎えに行ってくれた。

次の日は、東京に出張なので、空港近くの宿いたのだが、少しでも、じいちゃんに会える時に会っていた方がいいと、迎えに行ってもらったのだった。

索道が来ると、ずっと目をつぶっていたじいちゃんの目をそおっと開けるつもりが、みんなが見えるかもしれないと、こじ開けて目をひんむいてしまっていた。

じいちゃん、索道に道成が来たばい。みんなもおるよ。

もう、じいちゃんは、何も言わなかった。

脈と頭だけは、脈々と動いていた。というよりも、痙攣のように、小刻みにリズムをとるというよりも、無意識のうちに頭を振る癖のそのままのように、何かの音頭をとるように、動かし続けていた。

この前来た時、何が食べたい?

って聞いたら、

キャベツ食わせろ。野菜ば食わせろ。

と言っていたのに、もう、何も食うことができんのやね。

私が言うと。

アッコ、キャベツば食わせろ。

と、じいちゃんの真似がばさりこうまい道成が、かすれた声でじいちゃんの真似をしていたのを思い出した。

索道と道成がじいちゃんの顔に触った。

今度は、じいちゃんのふくらはぎば、もんじゃろうね。第二の心臓やけん。

姉が、ぎゅうぎゅう、もみ始めた。

そうやね。

私も、ぎゅうぎゅうもみ始めた。

皆で、交代でもんでは、仮眠をとっていった。

索道は、一目会えたので、とりあえず、安心して宿に帰っていった。

朝方、ベット脇で、控室の椅子を繋げて、仮のベットにして、じいちゃんの手首を握って眠ってしまっていた。

じいちゃんの仕事の関係で、イランに行っていた時に、よくソファで、掘建小屋を作ったり、ベットにしたりして遊んでいたのを思い出していた。

遊び道具が、あまりなかったので、あるもので、なんでも遊んでいた。紙に住みたい家の間取り図を描いて、その上で、ボールペンの先っぽの黒いペン先が出る穴の開いたプラスチックの方を、人に見立てて、やたらと地味な遊びをしていたのを思い出したりしていた。

朝が来ていた。

お医者さんが来て、一通り、計器を見て、

酸素が行き渡らなくなってきたのもあるから、気をつけて。

と言った。

血圧が少し上がっていたので、姉は家の用事で部屋を出て、私と道成は、サンドイッチと飲み物を買いにいった。

突然、携帯が鳴った。

姉からだった。

じいちゃん、危ないらしい。

急いで、病室に帰った。

じいちゃんは、もう、首を振ることもなくなっていた。

娘さんたちがいなくなって、寂しかったんやね。

お医者さんがいった。

サンドイッチに挟まれた野菜を食わせたかったなあ。

じいちゃん。