明鏡   

鏡のごとく

「兄の手術」

2018-03-28 19:56:01 | 日記
兄の手術の日だった。

一度、キャンセルして、再度受けることにしたという。

大事には至らないとは思うが、兄の人生を思うと、なんだかやりきれない気持ちになる。

自分は、やりたいことをできていることに感謝しているが、どうしてもやりきれない思いもあり、それが重なって、なんだか余計気が滅入ってしまうようなのだ。

それはどこか、体に詰まった石を砕くような、石女の月のもののような、鈍いようで、重苦しい痛みのようなのだ。

七年

2018-03-11 21:00:00 | 日記
木のしゃもじがこわれた。

七年前の震災の時、あまりにゆれるのでそこにはいられないといって福岡の方にやってきた人にもらったものだった。

しゃもじも、よくここまでやってくれたと思う。

もう、七年もたっていたのだから。

そういえば、父の介護が必要になった頃、うちにやってきていた時でもあった。

右半身不随の父と散歩しながらリハビリをしているときに、苺を孫に買うてやれと言って、八百屋さんにふたりで立ち寄った際に、地震が起きたことを店のお客さんから聞いて知った。

母や姪っ子が東京にいたので、家に帰り連絡を取ろうとしたが繋がらなかったのを思い出す。

もう、あのような思いはしたくはない。



どうか、だれもが安心して暮らしていけますように。

なくなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

「燈台へ」ヴァージニア・ウルフ みすず書房  

2018-01-17 21:30:41 | 日記
「燈台へ」ヴァージニア・ウルフ みすず書房  以下抜粋。〜〜〜〜〜〜〜



この暗い楔形の芯は、どこにでも行くことが出来ます、誰にも見られないのですから。

誰にもそれを止められないと少し得意になって考えます。

自由があり、平和があり、中でも、すべての力の統一があり、ゆるぎない土台の上での休息があります。

自己として人は休息など見出せぬものであるのは経験の上から知っております(ここで、何か素晴らしい編針の運びを成し遂げました)。

それが出来るのは黒い楔形の芯だけなのです。

個をなくすれば、いらだちあわてて、心のさわぐこともない。

すべて物が、この平安、このやすらぎ、この永遠に、きたりつどう時に、人生に対する勝利の歓声が、私の唇にのぼってきます。

ここに、身を休めて、燈台のあの閃光、あの三番目の息のながい、着実な輝きに、目をあてようと、見はるかします。

これこそ私の輝きなのです。

この時間に、このような気分であの燈台の光の帯を眺めていますと、自分の眺めている物の一つに自分を結び付けないではいられないのです。

それで、これ、この息のながい、第三の着実な光の帯、それが私のものなのです。

度々私は仕事を手にして座っては眺め、座っては眺めしていて、ついには、自分の眺めているもの、例えばあの光、になってしまっているのに気がつきます。

それで、その光は私の心の中にあった色々な短い言葉をその上に乗せてゆきます。

「子供は忘れないのです、子供は忘れないのです」

またそれをくりかえしてゆくうちにそれに新たにつけ加えて、

「それはやがて終わる」

と私は言います。

「ああ、やってくる」、「やってくる」、その時、不意に「我らは神の御手にあり」、と付け加えました。

弘智法印にまつわる伝説をもとに

2017-06-05 20:26:17 | 日記




古浄瑠璃『弘知法印御伝記』(こうちほういんごでんき)


17世紀の末、人形浄瑠璃は歌舞伎と並んで、庶民の間で最も人気がある娯楽でした。そうした時代の中、人形浄瑠璃『弘知法印御伝記』は、1685年に江戸日本橋の説教座で上演されました。
江戸時代、日本は鎖国をしていたが、オランダとだけは交易をしていました。そのオランダ商館が長崎にあり、博物学者でもあったドイツ人の医師、ケンペルは、1692年に帰国する際、この台本を船の積み荷の下に隠して持ち出しました。やがて、日本に原本が存在しない幻の浄瑠璃となりました。
それから300年以上の時が過ぎて、1962年、ケンブリッジ大学で日本の中世演劇を教えていた早稲田大学の鳥越文藏先生が大英博物館で発見しました。
六段からなる浄瑠璃に仕立てられた『弘知法印御伝記』は、新潟県長岡市寺泊の西生寺に日本最古の即身仏として安置されている弘智法印にまつわる伝説をもとに、虚構を加えた高僧の一代記で、当時の庶民の人生観や宗教心を生き生きと描き出す貴重な浄瑠璃です。


~~~~~~~~~~
>新潟県長岡市寺泊の西生寺に日本最古の即身仏として安置されている弘智法印にまつわる伝説をもとに、虚構を加えた高僧の一代記

と言う。
再現できることの喜ばしさ。
昔と今をつなぐものとしての物語の有り様を見た。