明鏡   

鏡のごとく

決着を付ける

2013-07-28 18:55:42 | 日記
 【上沢博之】勤務先で社長に在日韓国人であることを公表され、日本での通名ではなく本名を使うように繰り返し強要されたため、精神的苦痛を受けたとして、静岡県中部に住む40代の男性が、社長に慰謝料300万円を求める訴訟を静岡地裁に起こしたことがわかった。

 男性は韓国籍で日本で生まれ育ち、通名を使用。訴状によると、男性社長から昨年11月と今年1月、勤務先の事務所で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」と言われ、「このままで結構です」と拒否。2月にも「これからの時代は朝鮮名で生きた方がいい」といったことを言われ、4月には多くの社員の前で「この人は在日韓国人だ」と明かされた。さらに5月、「朝鮮名で名乗るなら呼んでやるぞ」と言われたという。男性は再三、本名を名乗るよう強要され、屈辱と精神的苦痛を味わったと訴えている。

朝日~~~~~~~~~~

>屈辱と精神的苦痛を味わった

というのが、どうしてもひっかかる。
なぜ屈辱なのか?
はっきりしてほしいという気持ちは日本人誰しも有るのではないだろうか。
中途半端はやめてほしい。
日本人ではないというなら、堂々と名乗っていいではないか。
それで、屈辱と感じるなら、日本人になればいいではないかというのが、正直な気持ちである。

なぜ裁判にするのか。

自分で自分の生い立ちに決着をつけることもせず、裁判沙汰にするのは、自分で自分を貶めているとしか思えない。

人のせいにせず、自分でここで暮らしていく限り、決着を付けるべきである。