はじめまして。2018年5月。JR南武線武蔵中原徒歩15分新明神社で「こくご」を中心にした塾「こくごレストラン」を創業しました。塾では、思考・発表・文章にすることを軸とします。そして、ディベート・俳句・アクティブラーニング・ビブリオバトルなどを取り入れます。ブログは毎日発信しています。体験したこと、考えたことを文字で表現することは、「こくご」です。
10月無料体験
10月23日(火)
16:00~1年生2年生残席6名
17:00~2年生3年生残席6名
こくごレストランホームページ
https://www.kokugoresutoran.com
申し込みはこちらからおねがいします。
紙芝居イベントでも申し込みできます。
こくご食堂、今日のお話は
【やりたいと思うと・・・】
6年くらいだったか、三味線の稽古をしていました。
幼少の私はとてもお転婆でした。両親が私の行く末を心配しておりました。1973年のことでございます。
母方の伯母が近所に住んでおり、母は伯母に相談したのでしょう。
「それでは、小唄、三味線、日本舞踊をやるといいのでは。」
そんな会話をしたのか、否か?
1973年~1981年まで、この習い事をすることとなりました。
日本舞踊は、好きでした。無理な形で首をまわすこと、内股で歩くこと意外は、とても楽しいものです。年に二回ある発表会では、踊ることがとても楽しかったです。
これは「藤娘」という演目です。中でも、笠や藤のような小道具をもって踊るのは好きでした。小道具を置く、持ち上げるといった動作が、なんとも楽しいのです。
それに引き換え・・・小唄の稽古は辛かった。何故なら意味のわからない歌を、意味のわからない楽譜をみながら歌うのです。小唄の稽古は、師匠から少しずつ口承で習います。特に私は幼稚園年少なので、感覚で歌っていました。そして、魔の正座。足がしびれること、しびれること。しかし、小唄まではまだよかった。
一年生になると、三味線の稽古が追加されます。始めた頃は、あこがれの三味線にさわることができて、嬉しくて。それでも、一年生の私に、竿の一番上まで手を動かすことや、楽譜を読みながら弾くことは、難しいものでした。そして、最後まで「音合わせ」は不明でした。いくつも口のついた音合わせの笛をふきながら、三味線の弦を巻き、ひっぱって音をあわせます。音合わせはいつも伯母にやってもらっていましたが、自分でできるようにはなりませんでした。
前にもブログで書きましたが、1981年頃は空前の「たのきん」ブームでした。木曜日の19時から「たのきん全力投球」というアイドル番組を放送していました。しかし、稽古は木曜日。大人の中に子供の生徒は二名。1981年当時は私だけが子供でした。早く稽古に行っていても、大人がやってくると子供は後回しです。そして、小唄・三味線・日本舞踊の稽古が終了すると19時30分を回っていました。私は泣きながら母に訴えました。
「よっちゃんがみたい。」
中学進学を理由に、このお稽古は終了となりました。
結婚後母から、
「お前の三味線どうする?」
と聞かれたことがありました。また、三味線を始めようかな?と思い、伯母に頼んで皮の張り替えをしました。しかし、育児真っ最中。以前の師匠の住む鎌倉まで通うのは、難しいことでした。そして、私の三味線は押し入れ上段で眠ることとなります。
2018年。三味線の音合わせをしてくれていた伯母が、他界しました。先日、伯母の遺品の片づけをしていると、木でできたケースがありました。扉を開けると、三味線が二竿ありました。どうしようか?姉と相談しました。三味線か。一族の中で、三味線をたしなむものは私だけ。
「とりあえず、私が引きとります。」
どうしよう。以前は伯母が三味線の皮の張り替えをしてくれた。この二竿、どちらも皮がダメになっている。でも、どうにか復活させて、三味線をしてみよう。そう考えることにしました。
今年は、「何か始めたい。」と願うと、必ず道が開けるのです。
昨日は、TSK(東京下町紙芝居)の会で、東京荒川区の定例会に参加していました。以前TSKの紙芝居発表会におじゃましたとき、打ち上げに三味線の職人さんがいらっしゃいました。その時はお話をしなかったのですが、昨日の定例会にその職人Sさんが参加されました。そして昨日、その方が偶然にも私の隣にお座りになったのです。
これは、ご縁だ。
そこで、休み時間聞いてみました。
「小唄の三味線を習いたいのですが、どこか教室をご存じですか?」
彼は職人なので、教室まではよくわからないけれど、インターネットで検索するといいとアドバイスをいただきました。
「月謝や稽古日をはっきり明記している教室がいいですよ。」
なるほど。そして、三味線の皮を張り替えるお仕事をされているというではありませんか。そして、皮の張り替えをお願いすることになりますと伝えました。
そして、とても驚いたのが、このSさん、とても紙芝居を読むのがお上手。三味線の話ばかりしていて、どこで紙芝居をされているのか?また、この会に参加された経緯などお聞きすることができませんでした。次回お会いしたら、そちらの質問もさせていただこうと思います。
帰宅して三味線教室を検索しました。いくつか候補がみつかたので、まずは体験授業を申し込むつもりです。久しぶりの三味線。どんな関わりになっていくのか、楽しみです。
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10月無料体験
10月23日(火)
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申し込みはこちらからおねがいします。
紙芝居イベントでも申し込みできます。
こくご食堂、今日のお話は
【やりたいと思うと・・・】
6年くらいだったか、三味線の稽古をしていました。
幼少の私はとてもお転婆でした。両親が私の行く末を心配しておりました。1973年のことでございます。
母方の伯母が近所に住んでおり、母は伯母に相談したのでしょう。
「それでは、小唄、三味線、日本舞踊をやるといいのでは。」
そんな会話をしたのか、否か?
1973年~1981年まで、この習い事をすることとなりました。
日本舞踊は、好きでした。無理な形で首をまわすこと、内股で歩くこと意外は、とても楽しいものです。年に二回ある発表会では、踊ることがとても楽しかったです。
▲日本舞踊
藤娘
藤娘
これは「藤娘」という演目です。中でも、笠や藤のような小道具をもって踊るのは好きでした。小道具を置く、持ち上げるといった動作が、なんとも楽しいのです。
それに引き換え・・・小唄の稽古は辛かった。何故なら意味のわからない歌を、意味のわからない楽譜をみながら歌うのです。小唄の稽古は、師匠から少しずつ口承で習います。特に私は幼稚園年少なので、感覚で歌っていました。そして、魔の正座。足がしびれること、しびれること。しかし、小唄まではまだよかった。
一年生になると、三味線の稽古が追加されます。始めた頃は、あこがれの三味線にさわることができて、嬉しくて。それでも、一年生の私に、竿の一番上まで手を動かすことや、楽譜を読みながら弾くことは、難しいものでした。そして、最後まで「音合わせ」は不明でした。いくつも口のついた音合わせの笛をふきながら、三味線の弦を巻き、ひっぱって音をあわせます。音合わせはいつも伯母にやってもらっていましたが、自分でできるようにはなりませんでした。
▲三味線をひく私
前にもブログで書きましたが、1981年頃は空前の「たのきん」ブームでした。木曜日の19時から「たのきん全力投球」というアイドル番組を放送していました。しかし、稽古は木曜日。大人の中に子供の生徒は二名。1981年当時は私だけが子供でした。早く稽古に行っていても、大人がやってくると子供は後回しです。そして、小唄・三味線・日本舞踊の稽古が終了すると19時30分を回っていました。私は泣きながら母に訴えました。
「よっちゃんがみたい。」
中学進学を理由に、このお稽古は終了となりました。
結婚後母から、
「お前の三味線どうする?」
と聞かれたことがありました。また、三味線を始めようかな?と思い、伯母に頼んで皮の張り替えをしました。しかし、育児真っ最中。以前の師匠の住む鎌倉まで通うのは、難しいことでした。そして、私の三味線は押し入れ上段で眠ることとなります。
2018年。三味線の音合わせをしてくれていた伯母が、他界しました。先日、伯母の遺品の片づけをしていると、木でできたケースがありました。扉を開けると、三味線が二竿ありました。どうしようか?姉と相談しました。三味線か。一族の中で、三味線をたしなむものは私だけ。
「とりあえず、私が引きとります。」
どうしよう。以前は伯母が三味線の皮の張り替えをしてくれた。この二竿、どちらも皮がダメになっている。でも、どうにか復活させて、三味線をしてみよう。そう考えることにしました。
今年は、「何か始めたい。」と願うと、必ず道が開けるのです。
昨日は、TSK(東京下町紙芝居)の会で、東京荒川区の定例会に参加していました。以前TSKの紙芝居発表会におじゃましたとき、打ち上げに三味線の職人さんがいらっしゃいました。その時はお話をしなかったのですが、昨日の定例会にその職人Sさんが参加されました。そして昨日、その方が偶然にも私の隣にお座りになったのです。
これは、ご縁だ。
そこで、休み時間聞いてみました。
「小唄の三味線を習いたいのですが、どこか教室をご存じですか?」
彼は職人なので、教室まではよくわからないけれど、インターネットで検索するといいとアドバイスをいただきました。
「月謝や稽古日をはっきり明記している教室がいいですよ。」
なるほど。そして、三味線の皮を張り替えるお仕事をされているというではありませんか。そして、皮の張り替えをお願いすることになりますと伝えました。
そして、とても驚いたのが、このSさん、とても紙芝居を読むのがお上手。三味線の話ばかりしていて、どこで紙芝居をされているのか?また、この会に参加された経緯などお聞きすることができませんでした。次回お会いしたら、そちらの質問もさせていただこうと思います。
帰宅して三味線教室を検索しました。いくつか候補がみつかたので、まずは体験授業を申し込むつもりです。久しぶりの三味線。どんな関わりになっていくのか、楽しみです。
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