昨日まで部屋の冷え込みに閉口していた。いくら深夜とはいえ、もうすぐ四月なのに、摂氏十度の室温は体にしみる。
夜明け頃外で風が吹き始めた。もう寒くなかった。暖かい風だった。
午後一時半、陽気につられて表に出た。風呂場の電球を換えなければならなかった。
今の住居に越してきて二三ヶ月もしないうちだったか、風呂場の電球が切れた。それだけなら何ということでもないが、まずいことに、湿気を防ぐため電球を覆うように取り付けられているカバーが、何かのせいで台座にぴったりと着いてしまって、まわして取ろうとすると台座ごと天井材の中で動いてしまい、いかんともしがたかった。
結局、大家さんに事情を話して業者を手配してもらい、何とか電球を交換できる状態にしてもらった。といっても、結局は力押しでまわしていたようだったが。
昨日スイッチを入れて一瞬点灯した明かりがそのまま消えてしまうまで、そんな出来事はまったく忘れていた。
はたして、カバーは台座に固着していた。過去取り外しを試みたときは、天井の漆喰が剥がれ落ちるのに恐れをなして人様の手を煩わせたけれど、今回は違う。カバーだけを掴みまわす事数回、少々の漆喰を頭にかぶり、この方法ではダメと分かる。ならば、と台座を片手で押さえつつ、ガラスが割れない程度の力をじわじわ加えながらまわして、やっとカバーは外れた。
電球だけならば歩いてすぐのホームセンターで用は足りる。それよりも、しばらく行っていない離れた町で、本探しをしたくなった。
電車で三十分ほど行くと、学生時代の友人が住んでいた町に着く。前職の通勤で何度も通り過ぎていて、駅がどう変わっていたのかは知っていたけれど、下車して周辺を歩いたのは、前回電球のカバーに悪態をついた頃が最後だったはずだ。
付近に大学があるためか、専門書も扱う古本屋さんが数件あり、その他にもクラブやら中古レコード店やらが立ち並び、前時代的なサブカルチャーを匂わせる町だった。
改札を抜けると、あたりは整備が進められているようで、高架を走るようになった線路を拡張された車道がくぐっていた。
昔より少しこざっぱりした表通りから道一本入って、駅の北側にあるはずの古書店を目指した。
北側の商店街は、以前と変わらずどこにでもある町並みのままだ。店の場所はうろ覚えだったし、急ぐ用事もないのでゆっくり歩いていくと、目的地に着いた。店は閉まっていた。看板はそのままだし、一部締め切られていないシャッターの下に、積み上げられた本が見えている。店を畳んだ跡と分かるような、雨風がつける染みも無い。運悪く休業日にあたったのだろう。
駅の反対側には何軒か店があるはずだった。そのまま南側に足を運んだ。南側もそれほど変わったようには見えない。相変わらず雑多な種類の店が密集して、祭りのような非日常の空気が生まれている。それなのに、昔通っていた古本屋さんはことごとく無くなっていた。
パブあるいは中古レコードに商い換えした店が各一軒。最後の一軒はミセシメ。儲かる商売でもなさそうだから、どこも手を引いてしまったのかと落胆しつつ、裏道から目抜き通りに戻って商店街の端から駅に引き返そうとしたところで、知らない店を見つけた。
店に入って棚の本を見る。いくつかあった古本屋さんの一軒が生き残っているか、そうでなければ各店の在庫商品が怨念のように凝り固まって発生したかのような品揃えで、値段のつけ方もその筋だ。
ともかくひとつでも店があってよかったと喜びつつ、性懲りも無くベルトランを探してみたものの、残念ながらここにも見つからなかった。
代わりに新潮社の世界文学辞典が目に入った。学校に入ったばかりの頃、実家近くの本屋さんに注文したけれど、絶版で入荷できないと言われ悔しい思いをした本で、現物を見るのはこれが初めてだった。値段は3800円。仕事も探さないでぶらぶらしている身分で買って良い値段だろうか、棚の前を何度も行き来して悩んだ。財布を取り出し、中にある紙のお金の枚数を数えて、悩んだ。
ちょうど別の棚に置かれている小説の作者(J.ケロール)が誰か知らなかったので、売り物の辞典で調べてみた。作家の代表作名と作風が原稿用紙一枚か二枚分ぐらいに書かれてお終い。そう、この程度だ。
予想通りの内容と値段を秤にかけて、そっと辞典を棚に戻した。そのまま手ぶらで帰るのも来たかいが無いと思い、『バラバ』--先日兄に貸したがゆえ手元に帰ってくるか危ぶまれる--を130円で手に入れた。
自宅に帰る道すがら、電球を買い、ついでにマザーボードの電池も買った。もう少しで十年ものになるコンピュータは、ここのところ起動するごとにCMOSバッテリーエラーが出る。古いものをいろいろ見かけたついでに、これも解決したくなった。
家につくなり、カバーを放したままにしてある筐体の横から手を差し入れて電池を交換し、スイッチを押した。チェックサムエラーだとかいう警告も、BIOSの設定を保存しなおしたら表示されなくなった。風呂場の電球も交換して、カバーを被せた。今度は少し締め付けを緩くしておいた。
ケロールが気になって、百科事典、文学辞典、インターネットで調べてみたけれど、見た限り一般向けに詳しく話をしているものはあまり無いのかもしれない。仏文史の概説書でも三行ぐらいしか割り振られていない。新潮社の辞典は不備があるわけではないのだろう。未練たらたら。
夜明け頃外で風が吹き始めた。もう寒くなかった。暖かい風だった。
午後一時半、陽気につられて表に出た。風呂場の電球を換えなければならなかった。
今の住居に越してきて二三ヶ月もしないうちだったか、風呂場の電球が切れた。それだけなら何ということでもないが、まずいことに、湿気を防ぐため電球を覆うように取り付けられているカバーが、何かのせいで台座にぴったりと着いてしまって、まわして取ろうとすると台座ごと天井材の中で動いてしまい、いかんともしがたかった。
結局、大家さんに事情を話して業者を手配してもらい、何とか電球を交換できる状態にしてもらった。といっても、結局は力押しでまわしていたようだったが。
昨日スイッチを入れて一瞬点灯した明かりがそのまま消えてしまうまで、そんな出来事はまったく忘れていた。
はたして、カバーは台座に固着していた。過去取り外しを試みたときは、天井の漆喰が剥がれ落ちるのに恐れをなして人様の手を煩わせたけれど、今回は違う。カバーだけを掴みまわす事数回、少々の漆喰を頭にかぶり、この方法ではダメと分かる。ならば、と台座を片手で押さえつつ、ガラスが割れない程度の力をじわじわ加えながらまわして、やっとカバーは外れた。
電球だけならば歩いてすぐのホームセンターで用は足りる。それよりも、しばらく行っていない離れた町で、本探しをしたくなった。
電車で三十分ほど行くと、学生時代の友人が住んでいた町に着く。前職の通勤で何度も通り過ぎていて、駅がどう変わっていたのかは知っていたけれど、下車して周辺を歩いたのは、前回電球のカバーに悪態をついた頃が最後だったはずだ。
付近に大学があるためか、専門書も扱う古本屋さんが数件あり、その他にもクラブやら中古レコード店やらが立ち並び、前時代的なサブカルチャーを匂わせる町だった。
改札を抜けると、あたりは整備が進められているようで、高架を走るようになった線路を拡張された車道がくぐっていた。
昔より少しこざっぱりした表通りから道一本入って、駅の北側にあるはずの古書店を目指した。
北側の商店街は、以前と変わらずどこにでもある町並みのままだ。店の場所はうろ覚えだったし、急ぐ用事もないのでゆっくり歩いていくと、目的地に着いた。店は閉まっていた。看板はそのままだし、一部締め切られていないシャッターの下に、積み上げられた本が見えている。店を畳んだ跡と分かるような、雨風がつける染みも無い。運悪く休業日にあたったのだろう。
駅の反対側には何軒か店があるはずだった。そのまま南側に足を運んだ。南側もそれほど変わったようには見えない。相変わらず雑多な種類の店が密集して、祭りのような非日常の空気が生まれている。それなのに、昔通っていた古本屋さんはことごとく無くなっていた。
パブあるいは中古レコードに商い換えした店が各一軒。最後の一軒はミセシメ。儲かる商売でもなさそうだから、どこも手を引いてしまったのかと落胆しつつ、裏道から目抜き通りに戻って商店街の端から駅に引き返そうとしたところで、知らない店を見つけた。
店に入って棚の本を見る。いくつかあった古本屋さんの一軒が生き残っているか、そうでなければ各店の在庫商品が怨念のように凝り固まって発生したかのような品揃えで、値段のつけ方もその筋だ。
ともかくひとつでも店があってよかったと喜びつつ、性懲りも無くベルトランを探してみたものの、残念ながらここにも見つからなかった。
代わりに新潮社の世界文学辞典が目に入った。学校に入ったばかりの頃、実家近くの本屋さんに注文したけれど、絶版で入荷できないと言われ悔しい思いをした本で、現物を見るのはこれが初めてだった。値段は3800円。仕事も探さないでぶらぶらしている身分で買って良い値段だろうか、棚の前を何度も行き来して悩んだ。財布を取り出し、中にある紙のお金の枚数を数えて、悩んだ。
ちょうど別の棚に置かれている小説の作者(J.ケロール)が誰か知らなかったので、売り物の辞典で調べてみた。作家の代表作名と作風が原稿用紙一枚か二枚分ぐらいに書かれてお終い。そう、この程度だ。
予想通りの内容と値段を秤にかけて、そっと辞典を棚に戻した。そのまま手ぶらで帰るのも来たかいが無いと思い、『バラバ』--先日兄に貸したがゆえ手元に帰ってくるか危ぶまれる--を130円で手に入れた。
自宅に帰る道すがら、電球を買い、ついでにマザーボードの電池も買った。もう少しで十年ものになるコンピュータは、ここのところ起動するごとにCMOSバッテリーエラーが出る。古いものをいろいろ見かけたついでに、これも解決したくなった。
家につくなり、カバーを放したままにしてある筐体の横から手を差し入れて電池を交換し、スイッチを押した。チェックサムエラーだとかいう警告も、BIOSの設定を保存しなおしたら表示されなくなった。風呂場の電球も交換して、カバーを被せた。今度は少し締め付けを緩くしておいた。
ケロールが気になって、百科事典、文学辞典、インターネットで調べてみたけれど、見た限り一般向けに詳しく話をしているものはあまり無いのかもしれない。仏文史の概説書でも三行ぐらいしか割り振られていない。新潮社の辞典は不備があるわけではないのだろう。未練たらたら。