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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(37」

2020-07-24 19:08:15 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(37」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/147(2020/7/24/金】フロンティアを目指す、開拓するというのはとても楽しい。小生のシマに「カリタス学園」と「洗足学園」が加わった。


カリタスは40年ほど前、長女を幼稚園に入れるために面接を受けたが、「宗教をどう思うか」と問われたので、「鰯の頭も信心から。好きなようにしたらいい。人はそれぞれ、けなすは野暮よ。そもそも」と本論に入ろうとしたら面接官が「もういいです」。結局、不合格になってしまった。


当たり前だろうが「ナンカナー」という思いがあるので、以来、訪ねたことはないが、小生が大学に入ったら小姉(2年上)の中学の友達だったKさんがいて、容姿端麗、頭脳明晰、思わず声をかけてしまった。彼女はできたばかりのカリタス女子高等学校の一期生か二期生なのだ。


カリタスはカナダ・ケベック州の「カリタス修道女会が教育活動の一環として戦後の日本に設立したカトリック学校」。


ケベックはガチのフランス語州で、先行した英国プロテスタント系移民からフランス・カトリック系移民は二等民族扱い(「赤毛のアン」にはその様子がしばしば描かれている)、1963~1970年には「勢力均衡外交」のドゴールが「自由ケベック万歳!」とカナダからの独立運動を煽ったことでテロ続発、死屍累々。


ドゴールの狙い通りに(?)カナダ政府はケベックに譲歩し独立運動は下火にはなったが、先輩曰く「ケベックの公用語はフランス語だけになったから英語はご法度。無視されるから、片言でもフランス語を覚えておいた方がいい」。


フランスの田舎を取材した際に Je veux parler Français, mais je ne peux pas bien parler Français.(フランス語で話したいのですが、フランス語は上手に話せません)とほぼネイティブ並みの発音で挨拶したら大喜びされたっけ。


フランス人はフランス(語)に大きな誇りを持ち、日本人は訳の分からないカタカナやアルファベットが大好きだ。


パンデミック、フェーズ、インフォデミック、スーパースプレッダー、クラスター、オーバーシュート、ロックダウン、コロナチャレンジ、ゲートウェイ、ビックサイト、トラッシュ、イレーサー、ワイズスペンディング、プレミア、リミテッド、ステーション、〇〇ヒルズ、スカイライン、〇〇ライン、インターバル、サーキュレーター、フォーカス・・・


ほとんどクレージー、もとい狂気、アウフヘーベン、もとい止揚すべし、Go To Hell!もとい地獄へ堕ちろだよ、ウッタク。


才色兼備のKさんは大学でもフランス語を専攻し、横浜美術館・主席学芸員などを務め、2015年にはフランス政府から芸術文化勲章を授与されている。「長谷川潔の世界」 (横浜美術館叢書)という著書もある。


そいうわけでカリタスは小生にとって嫉妬と崇敬の複雑な思いから永らくアンタッチャブル(不可触、接近禁止)だった。今のカリタス学園キャンパスは昔の開放的な面影はなく、テロの影響もあってか、周囲は塀に覆われて中の様子はうかがえなかった。


1週間ほど前にカリタスと反対側の東部フロンティアをチャリ散歩していたら、音楽ホールのような、博物館・美術館のような、宇宙望遠鏡の天体測候所のような、ガメラレーダーような、ほとんどシュールな建築物あるいはオブジェを発見した。


「タローもびっくりだろうなあ、見学したいなあ」と佇んでいたら、小生みたいなチャリ爺さんが警備員に銃を突き付けられていた。よく見ると今流行りの体温計らしい。キョロキョロ見回したらバス停に「洗足学園」の表示があった。


洗足学園キャンパスも以前はカリタス同様に見通しの良い普通の学校だったが、今はやはり周囲は壁で覆われ、これまたヒッキーの様子。今の学校は皆そうか。


以前、洗足学園は「裕福な家のトロい女の子が行く学校」というイメージだったが、カミサンに聞いたら「以前はそうだったけれど、今は結構、評価が高い学校になった」そうだ。同校のサイトから。


「洗足学園はミッションスクールではありませんが、創設者の前田若尾先生は敬虔なクリスチャンであり、「洗足」という命名にもそれが投影していると考えられるのです。


教学の大理想を、ヨハネの福音書にある「互いに足を洗い合え」というイエス=キリストの感謝と献身、犠牲と奉仕の信仰の中にうちたてられ、洗足学園はスタートを切ったのでした」


創設者が東京目黒区の「洗足」という地にひかれて開校、後に現在地に移転したわけだ。


「互いに足を洗い合え」とは、汝の欲するところを人にも施せ、とか、進んで灯りをつけましょう、ということだな。率先垂範、種まく人、炭鉱の最先端で採掘する切羽(きりは)、鶏頭になるも牛尾になるなかれ、時代の最前線たれ、とか。


Boys and girls, be ambitious、大いに結構だが、現実は大変だ。出る釘は打たれるし、それでも踏ん張って我が道を行くというのは並外れた意志、根性と能力が必要だ。


前人未到の頂上に立っても見返りが保証されているわけではない、振り返れば死屍累々、「それでも俺は這ってでも登るんだ」・・・


こういう“突破モン”は100万人、1000万人に1人とかで、教育や学問はそういう人材ではなく、まずは「市井の良き人々を育成する」のが義務教育、それからは理系とか文系の方向性を決め、専門分野の能力を高めるのが高等教育。


ここから先は社会勉強で、切磋琢磨して一人前になり、さらにリーダーとして人材、後進を育てていくことになる。


ここまでは努力すれば何とか到達できるだろうが、その先の「進歩」「先進」、さらに「革新」「革命」「人類史的発明発見」とかになると、コペルニクス、ワット、エジソン、キュリー夫妻、アインシュタイン、ゲイツ、コッホ、パスツールという、およそ常人を超越したような「天才、奇才、変人」のレベルであり、教育の範囲外、ほとんど狂気とか奇跡の世界だと思う。


国によっては(特に米国は)そういう突破モン育成(英才天才教育など)に熱心なようだが、IQが180以上とかだと世間的には「異常な人、変人」と見られ、仲間外れになる、イジメに遭うなど嫌な思いをすることが非常に多いようだ。


ストレスや疎外感から精神を病んだりすることも珍しくないとか。


米国にはゲイツのように時代を変えるほどの発明などで巨富を得た天才も多いだろうが、米国民は今も火付け、強盗、窃盗、殺人で暴れまくっている。


天才が驚異的な発明をしたところで、国民が潤ったり生活が改善するわけではなく、むしろ単純作業が少なくなって就業機会が減り、幸せどころか格差拡大、嫉妬、憎悪、不満たらたらで、ちっとも幸福になったようには見えない。「努力する気力能力=才能」がないのだから澱んでいるだけのような気がする。


前述のように義務教育は「市井の良民を育成する」ことと小生は思うのだが、人間は金太郎飴ではないから、この義務教育段階でも知的レベルは甲乙丙丁・・・できる子からできない子まで差は生じ、拡大する。


できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。


子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなくても)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。


こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・次回もこの問題を考えてみたい。


同じ環境にあっても個体差はピンキリ。ならば国家や民族となれば自然環境から習慣、肌の色、言語、性質、宗教、嗜好、価値観までピンキリどころか千差万別である。そもそも「世界が仲良くなれる、みんなハッピー」というのは夢の話ではないか。


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。


<過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範、価値判断、道徳基準は、一度も存在しなかった。


どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか? それを判断できるのは「神」「仏」のみであり、「自民族中心思考」の人間には不可能である。


従って諸国は、自国・自民族の価値観で、他国に内政干渉や軍事介入すべきではない。そのような行為は、国際政治における「バランス・オブ・パワー/勢力均衡」の維持を困難にするだけである。


国際政治にアメリカ中心主義、グローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、八紘一宇、中華文明の優勢などの独善的な理念を持ち込むべきではない。


リアリズム外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である。


国際法、国際組織、国際的紛争処理機関、軍事同盟、集団的安全保障などの信頼性・有効性は「限られたものである」ことを常に意識して行動すべきである。


国際政治の行動主体は「国民国家」であり、国際機関や同盟関係ではない。


日本の外交と国防の主体は日本政府であり、米国大統領ではない。もっともらしい外交理論を並び立てる国連安保理やワシントンDC の政治家の行動が、日本という国民国家による主体的な行動の代わりになるわけではない。


自助努力、自主防衛の努力を怠る戦後日本のような国は、いずれ国際政治の急変事態において、脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。


以上がリアリズム外交、バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交の重要なコンセプトである>


貫氏が勢力均衡外交の最も優れた政治家として推奨するのは1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルクである。


1873年3月、日本を出発して1年半後、岩倉具視遣欧使節団はドイツに到着し、ビスマルクは使節団になんと「勢力均衡外交」をアドバイスしているのだ。


「日本では、目下、国際法の導入を議論しているようだが、弱い国がそれを導入したからといって、権利が守られるとは言い難い。まず、日本は強くなりなさい」


使節団は「外交とは戦国時代そのもの、禁じ手のない殺し合い、奪い合い、エゲツナイものだ」と目を開かれた思いだったろう。(つづく)















雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(36」

2020-07-22 20:20:24 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(36」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/146(2020/7/22/水】散歩は大事な趣味である。やがて小生は「徘徊老人」と呼ばれるのか。今のところは「徘徊自転車老人」だな。


<「徘徊」1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。 「夜の巷を-する」


2)葛藤からの逃避、精神病・認知症などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。


「漫ろ歩き(そぞろあるき)、漫歩」特にこれという目的もなく、ぶらぶらと歩き回ること。散歩。 「夏の夜の-」 「満開の桜の下を-する」>


小生の場合は精神病も影響している。医者は鬱病と言うが、小生自身では自閉スペクトラム(ASD)であり、「強いこだわり、限られた興味、引き籠もり、対人恐怖症、うつ病」という代表的な症状に合致している。


非常に高い粘着性があり、そのため「葛藤と知的興奮を求めて目的意識的に」徘徊する感じ。「青春彷徨」ならぬ「老人彷徨」・・・でも個人的な悩みがあまりないから敢えて病名を付ければ「多動愉快性浮浪的トム&ハック症候群」あたりか。


同じ「歩く老人」でも、徒歩で日本制覇、伊能忠敬先生は偉かった!


<養子先の家業を大いに盛り上げ、49歳で隠居して江戸に出た。伊能忠敬(ただたか)が第二の人生で挑んだのは、日本地図の作製である。55歳から17年にわたって全国を測量行脚して、約440種類のいわゆる伊能図を残した。


歩いた距離は4万キロにも及ぶ。まさに「四千万歩の男」である。伊能図が一般に出回るようになったのは、忠敬が亡くなって半世紀後の明治になってからだった。その正確さは外国人を驚かせた>(産経7/2)


江戸時代の55歳は今なら75歳あたり、完璧な老人だ。当時の現役男は1日(10時間)に40~50キロ歩くのは当たり前、健脚だったが、小生は自転車で20キロが精一杯だ。徒歩なら4キロで確実にダウンする。


晩年を世のため人のために尽くすなんて立派なことはできないが、老いたイタズラ坊主として多少でも「へえー、面白いね」という話をしたいものだ。


今日のテーマは「道とか路」。道代ちゃん、路子ちゃんは達者だろうか・・・未練たらたら。それはさておき――


道路は法律では一般道から高速道まで20種類ほどに分類されるとか。普通車がすれ違いできないような道は「路地」と言うようだ。


<路地は、狭義には密集市街地などに形成される狭い道や家と家の間の狭い道、通路などをいう>(WIKI)


当たり前だが道は人類以前からある。獣道(けものみち)とかは今でもある。習近平のオツムは、


俺は神 おまいら獣 ただのクズ 黙って俺の 指示に従え   


一方で世界は、


習近平 ひたすら目指す 世界革命 王道はずれ ただ獣道


習近平は中坊で下放されド田舎の寒村の洞窟で青春期を過ごす。教科書は毛語録と毛沢東選集。すっかり洗脳され韜光養晦、権力を握ると一気に世界赤化へ突き進んだ。確信犯的野獣だから誰かが「野獣死すべし」、とどめを刺すしかないのではないか。閑話休題。


<大型哺乳類は、やみくもに森林内を行き来するのではなく、それなりにコースを決めて移動する。動物はそれぞれの習性によって、エサをとる場所や水を飲む場所などか決まっている。これが獣道になる。


動物に果実を食べさせて中にある種子を運ばせたりする戦略を取っている植物が獣道沿いに分布を広げているケースもある。動物が食べた果実の種子が運ばれて発芽した場合、獣道沿いに餌場ができるので、ますます経路が固定化するとの指摘もある。


人がつくる道路のルーツをたどれば、それが「けもの道」だといわれる。太古の人間は、動物が作った獣道をたどれば、歩きやすくて獲物となる動物を見つけやすいと考え、獣道をたどって歩くようになった。


踏み固めたり、手を加えられて歩きやすく幅広く作られて路(みち)となり、やがて人間が歩くための道路が作られていったとも考えられている>(WIKI)


林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそ こひしけれ(島崎藤村「初恋」)


美味しいものを探すうちに道ができるわけだ。夜道はヤバイね。


辿り着いたは「夜の街」、脂粉と酒でその気になって、骨の髄までしゃぶられて、財布は空っぽ、おまけはコロナの禁足令、夜の新宿、なみだ恋・・・


何百年、何千年あるいは何万年もかけて自然にできた、概ね路地のような道は大体がクネクネしており、行き止まりも多い。実に歴史を感じさせてくれ、昔はこんなところを歩いていたんだなあ、とか、「あっ、立派なお寺、こんな所に丸山教本庁があるなんて!」などと発見することも多い。


人も車もあまり見かけない路地や路地裏、迷路や古道、栄耀栄華の面影・・・失われゆくものへの親しみ、哀惜にどっぷり浸るチャリ散歩。


老化劣化が進んでチャリがダメでも電動カートがあれば間に合うだろう。肝心なのは「飽くことを知らない好奇心」ではあるまいか。


(それと地図&磁石! 昨日は津久井道探索の帰路に迷ってしまい、ちょっと心細かった。迷子の迷子の子猫ちゃん、そんな気分になれるのも面白いが・・・「どうされました?」「ボク、迷子になっちゃんたんです」(涙ポロリ)、かくして恋が芽生えたり・・・)


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。


<国際政治は古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキーであった。


強制執行力を持つ世界政府、世界立法院、世界裁判所、世界警察軍が一度も存在しなかった無政府状態だった。


米中露イスラエルのような核武装した軍事強国が、他国や民族に対して国際法違反の侵略戦争や戦争犯罪を実行しても、国連や世界の諸政府は犠牲者を保護する能力を持っていない。


2500年前も現在も、強力な軍事国が侵略戦争を始めると、誰もそれを止められないのである。


このように無政府的で不安定な国際政治状況を少しでも安定させるため、世界諸国は「勢力均衡」の維持に努める必要がある。


西洋では17世紀中頃から第一次世界大戦まで(19世紀初頭のナポレオン戦争を例外として)諸大国の外交家は「勢力均衡」の維持に努めた。そのために欧州諸国は大戦争の勃発を防ぐことができた>


例えば船。皆が一方、例えば舳先とか艫(とも)、右舷あるいは左舷に集中したら、ちょっとした波で沈没しかねない。現役時代「ドキュメント キャセイ航空の24時間」を取材した際、航空機の貨物搭載で行われているコンピュータ利用の作業には感動した。


<航空機は三次元を飛行する物体ですので、航空機のバランスには重量と同様に細心の注意が必要です。大体の航空機は主翼の付け根あたりに重心があるのですが、安全運航を行うために重心からどれだけ離れても安全飛行が可能となるという基準があります。


航空機重量とバランスを考えて安全飛行を行うための重量決定及び搭載物の搭載位置を決定するのが Weight & Balance です。日本の航空業界では"ウエバラ"と呼ばれていますが、各フライトで必ず行われ、出発前には機長の承認を得なければなりません>(「蒼空に近づきたくて」)


「重心位置移動許容範囲に収まるようコンテナ、パレットの重量の分布を操作」しているわけだ。


国際社会が迷走、失速、墜落しないように、それなりに戦力バランスをとって行こうというのがバランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)だということ。


日本が“イイコブリッコ”して「私は平和国家よ、他国に脅威を与えるような核兵器や攻撃力は持ちません、善意を信じてます」という戦略は、実は敵性国家を挑発するに等しく、平和どころか教唆扇動、戦争を使嗾する身勝手そのものだ。


餓狼の前でスッポンポンになって「ね、私は危険な武器は持ってないでしょ、だから手を出さないでね」。


これってほとんどバカかキチ〇イだ。年老いた狼だってムラムラして「ええい、ままよ! あっちが役立たずとも、舌技がある、イザ!」ってなるわな。


それを承知で「裸で歩け、できる限り薄着にしろ」という人々は、アカの走狗で、少なくとも中共、北の味方、赤色革命で美味しい思いをしたいというトンデモ人種、ケダモノ、獣、ムジナ、ウイルスの類だ。


同志諸君、縄張りを守るには抑止効果を高めなければならない、友好国と協力して戦力のバランスを図らなければならない。後の祭りと泣く前に「勢力均衡外交」を学ぶべし。アジアは日の出を待っている。(2020/7/22)



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(35」

2020-07-21 09:11:53 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(35」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/145(2020/7/20/月】近隣近郊を散策散歩冒険調査観察発見研究するのは肉体的精神的刺激が大きく、体と脳みその劣化を抑え、上手くすれば脳みそは活性化するのではないか――

などと考えながら、ほぼ毎日、ママチャリでシマを警邏し、シマの拡大に努めている。

まあ、暇つぶしだが、それを言っちゃあお仕舞よ。と、いうことで昨日は東京側の多摩川堤の裏通り(陋巷、迷路!)を下ったが、多摩川べりの広大な緑に囲まれた「砧(きぬた)浄水場」を発見した。草ぼうぼうで、そのまんま産業遺産みたいだ。

「どうなってるんだ、俺は知りたい!」、昔は痴的興奮好奇心、今は水気がなくなって枯れてきたので知的興奮好奇心だが、老いてますます執拗粘着質、血管が切れたりして。

「砧」はしゃれた字だが、布を叩いて柔らかくしたりシワを伸ばしたりする棒。北斎の娘、葛飾応為(おうい)の「月下砧打美人図」は秀逸だ。北斎が壁にぶつかって苦しんでいると、応為曰く――

「何事も“自分が及ばない”と、いやになる時が上達する時なのさ」

北斎も「まったくその通り」と感服したという。いやはや大した親娘だ。

嗚呼、名人、真打は遥かなり、せめて前座、二つ目、ただの変人奇人狂人でもいい、我、日出る処のトリカブトとなりて怨敵退散せばや!

都水道局のサイトで砧浄水場を調べてみた。

<明治時代を迎え、江戸から東京へと変わっても水道は依然として江戸時代のままでした。

しかし、上水路の汚染や木樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設を求める声が高まりました。さらに、明治19(1886)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。

こうして明治21(1888)年、東京近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されました。

この水道は、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場へ導いて沈でん、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水するもので、明治31(1898)年12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、明治44(1911)年に全面的に完成しました>

感染病は歴史を変える! 砧浄水場は大正時代に整備されたようだ。多摩川の伏流水を原水として水道水にするため浄水処理を行っている。

東京都の水道は利根川・荒川水系が80%、多摩川水系が17%、相模川水系が3%。小生は相模の川で産湯を使い、多摩の川で育ち、揚子江の治水神として果てなん、とか・・・

国益入り乱れ濁り多き国際社会。「浄水、濾過」、極端な場合は「民族浄化」で積年の恨みをきれいさっぱり、とか、募る野望を実現、とはいかないものだ。2度の大戦の教訓か。

懲りない人もいるが大方は「過去は過去、私たちは恩讐の彼方に永世平和の世界を創るのよ!」。EUの理念は崇高だったろう。

しかし、幾星霜、イタリアなどは「俺は縛られたくない、自由にこの世を楽しみたいんだ。デキル奴だけがオイシイ思いをし、俺たちデキナイ坊主は宿題ばっかり、説教ばっかり食らう。規則、規則、規則・・・もううんざりだ!」。

犬猿の仲だった独仏がどうにか踏ん張っているが、歴史的に見ても独は「俺が正義だ」意識が強いから(英のEU離脱ではまるでいじめっ子だった)、アバウトな伊西ギリシャがEU離脱するならば「好きにしたらいい、出戻りは許さないからね」となるだろう。

独の「中共好き(独裁好き?)と米国嫌い」もあってEUの明日は読めない。大統領選という内乱状態の米国も「失禁ジョーの駄々洩れ」(紫禁城の黄昏のギャグ)になれば弱体化は必至だ。日本は・・・

ドゴール曰く「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」。

中共の対日軍事攻勢、威嚇がどんどん露骨になっている今、日本ドースル連としては大いに心配だ。伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。

<冷戦後の米外交は顕著な失敗を繰り返して、国際的な支配力を失ってきた。しかも日本周囲の中露北は日米をターゲットとする核ミサイルを着々と増産してきた。

しかし日本の親米保守、護憲左翼の両陣営は、いつまで経っても1960年代と何も変わらぬ「対米依存ごっこ」「非核三原則ごっこ」「護憲ごっこ」を続けるだけである。

このように知的に停滞した日本を観察すると(上記の)ドゴールの指摘は100%正しかった」と思わざるを得ない。我々日本人がドゴールの外交思想と国家哲学から学べる教訓は多いのである>

貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(以下、勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。

勢力均衡外交を小生なりに紹介する。

世界には150ほどの国があるが、国らしい国はG20の20か国のようだ。「G20は世界のGDPの90%ほどを占め、貿易総額は世界の80%。加盟国の総人口は世界の3分の2ほどになる」(WIKI)から、世界の趨勢は20か国で決まるといってよい。

実質的に政治・経済・軍事で力があるのはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、カナダ、インド、オーストラリア、中共、ロシア、韓国だろう。

戦後世界は米ソの二極支配で始まり、今は米中二極になってきたようだ。米連合は日英加印豪あたり、中共は一国のみだが韓・北が従うかもしれない。仏独露は旗幟を鮮明にしないが、どっちつかずの怪しい第三極になりそうだ(クセが強くて友達にはなりたくないなあ)。

米中の2大勢力のガチンコは、どちらが勝とうが大変動をもたらす。

中共が勝てば(米国が負ければ)世界は中共独裁下に置かれる。暗黒時代になる。中共が負ければ(米国が勝てば)14億の難民が世界を覆う。

さらに米国は「自分の国は自分で守れ、俺は余裕がないんだ、世界の警察官は辞めた」となるだろうから、特に露を警戒して各国は備えなければならなくなり、金欠でこれまた暗黒時代になる。

だから米中対立は「中共経済封鎖」という冷戦が一番いい。

<トランプ政権は5月20日に「中国に対する戦略的アプローチ報告書」を発表した。2017年の国家安全保障戦略に基づくもので、「中国とロシアが米国のパワー、影響、国益に挑戦しており、自由で公正な経済に反対し、情報を管理し、社会を抑圧し、自国の影響を強めようとしている」と分析。

競争相手を国際制度とグローバルな貿易に包含すれば、善意の信頼できるパートナーになるという前提は誤っており、そうした前提に基づく政策は再考しなければならないと論じている>(産経など)

米日英加印豪が利益を共有して中共封鎖をすれば、仏独露はそれに反対して(米国陣営に敵対して)中共を支援することはない(利が薄い)、それよりポスト中共での再生利権をねらうだろう、だから米国陣営は中共封鎖に全力を挙げ、仏独露からは協賛金を引き出すのがいい。

中共は経済封鎖に耐えられるか。2008年のリーマンショックの時は50兆円のインフラ投資で危機を乗り越え、世界の称賛を浴びたが、当時は外貨準備が潤沢だったから、ゴーストタウンでも景気回復に役立った。今は国外への資本逃避もあって外貨準備は低迷しているという。

それでも習近平は世界制覇へ向けて「無意味」としか思えない軍事的な圧力を続けていくのか。党の実力者からも習近平への反発は高まっており、「完全にイカレテいる」という声もあるとか。

このまま習近平が暴走すれば、鉄のカーテンの中で支那人は大好きな派閥抗争をし、新たな秩序(10か国とかに分裂)を創ることになるかもしれない。

共産主義への親和性が高く五四運動や辛亥革命でも暗躍した仏独露は喜んで新生支那づくりに手を貸し、やがて乗っ取ったりして・・・

話を戻すと、「勢力均衡外交」とは、特定メンバー(グループ)の力が突出すると冒険的行動に出るから、それを抑制するためにみんなで力を合わせましょう、ということだ。

そのためには軍事力も高め攻撃力=抑止力を強化すべし、米国依存ではやがて亡国になりかねないよ、脳内ケンポーお花畑ではなく、リアルを見なさいという戦略、政策、理論、知見、智慧、良識、訓導である。

因みに今日、散歩がてらに書店を覗き、アインシュタインとフロイトの往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」を立ち読みし、「人間は本能的に戦争、殺し合いが好きなのだ!」と妙に納得した。野中幸宏氏の書評から引用する。

アインシュタイン曰く「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!

破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。

平和への努力にあらがうものは「権力欲」、そしてこの「権力欲を後押しするグループ」で、金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄ります。

彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。

私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。

なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです」

フロイト曰く「破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします。エロス的欲動が「生への欲動」をあらわすのなら、破壊欲動は「死の欲動」と呼ぶことができます。「死の欲動」が外の対象に向けられると「破壊欲動」になるのです。

人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない。ですから人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのです。

心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。

二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。

文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方──これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません」(以上)

知性は欲望を支配するが、攻撃的にもなるし、宥和的にもなる。そもそも社会の行動様式、生活様式、価値観などの文化は集団によって大きく、あるいは微妙に異なったりする。

それを一つにまとめることができないのなら、「勢力均衡外交」で「手を出したらアンタの負けだぜ」と圧力、威圧をかけ、暴走、挑発、攻撃を抑止するのが良策だということだ。

核兵器がない国が核保有国に圧力を加えることはできない。

小生が習近平なら「抗議」(いやよ、やめて、そばにこないで)しかできない日本を叩きまくり(核ミサイルで沖ノ鳥島をピンポイント爆撃すれば効果絶大、速攻で白旗が揚がり、尖閣も無血開城、米軍もビビる)、東シナ海、西太平洋を制覇し、それから南シナ海、インド洋へと縄張りを広げるがなあ。

圧倒的多数の危機感のない人は東海省になっても屁の河童、日中会話辞典を買って五星紅旗を降り、「ああ戦争が終わって良かった!」、そんなものである、現状は。二度目は喜劇。(2020/7/20)







雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(34」

2020-07-18 12:06:02 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(34」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/144(2020/7/18/土】1年振りに本屋を覗いた。出版界では昔から「悪書は良書を駆逐する」と自嘲的、自虐的に言われてきた。

「不本意ながらもよく売れる軽佻浮薄な本で稼ぎ、その儲けで3年で初版2000部をようやく売り切るというような学術的に価値のある本を出して矜持を保ちたい」という意味である。

今でも出版人は戦前の岩波書店のように「出版文化」を大事にしたいという思いは残っているのだ。「構想から30年、〇〇先生は鬼籍に入り、編集部の新人はいつしか白髪三千丈、今ここに初版を世に問うに至り、感慨無量の思い、云々」・・・そういう世界。

買って、読んで、本棚に収め、折に触れて再読する本を良書とするなら、書店の良書スペースは今や良くても1割だろう。

つまり良書志向(教養嗜好・知性思考)の人は1割。それ以外の9割は、

「面白ければすべて良し、それのどこが悪いんだ、偉そうに、くそヂヂイが!」

「うるさいわね、いい加減にしてよ、気分良く楽しんでいるんだからほっといて!」

という良書に縁がない人で、概ね話題の本とかタレント本を好む。

書店の本は書棚で売れるのを待っているだけではない。

「ちょいと、メガネのおヂイさん、チョンマゲの怪しい人、そう、あなたよ、どう寄ってかない、見るだけでもいいからさ、雨でしょ、それにコロナ、もう暇なのよ、ちょっとだけなら見放題、良かったら買って、ね、お、ね、が、い」

本は人を見てデンパを飛ばすのだ。♂本だと「おい、お前だよお前、暇そうだな、俺を読め、俺を・・・ちっとは脳みその肥やしにはなるぜ。スッポン、朝鮮ニンジン、バイアグラ、エディケア・・・あっちの効き目は保証できんが、脳細胞はピンピン、まるで青春だぜ。ボケが嫌なら買ってけ!」

というわけで幻冬舎を創業した見城徹著「読書という荒野」を手に取った。さすがプロだから帯(おび、業界では「腰巻」という)が上手い。「認識者から実践者へ。実践しなければ読書じゃない。本は、人生を切り開く最も身近で決定的な武器だ」

この方は小生と同学年、東大入試が中止になったので慶応へ。ブントで暴れたが、頭が良すぎて吉本隆明にかぶれ脱党したものの、出版人として大成功。

それでも青春不完全燃焼のためか「あしたのジョー」を目指してリングデビューしたいようだ。「真っ白な灰になりたい、完結したい」、そのローザン系バックトゥザパースト志向が面白そうなのでカゴに入れた。

その棚の裏側に回ったら新たなデンパ。「やあ、久し振り、ボクのこと覚えてる?」と声をかけてきたのは伊藤貫先生だ。小生より2個下、1953年生まれだ。

「新著出したよ、良かったらどーぞ」。で「歴史に残る外交三賢人 ビスマルク、タレーラン、ドゴール」もカゴへ。

伊藤貫氏の「中国の核が世界を制す」は14年前の2006年に読んで大いに勉強なったが、本書「歴史に残る外交三賢人」はコレラ禍直前の2月10日発行で、コレラ禍が世界の地政学を大変革する直前の論考である。

図らずも氏の新作はブスブス煙が上がり始めた千載一遇の激動期、新しい世界に投じられた「貫氏の兵法」だ。

小生は「中共殲滅、支那解放」で頭がいっぱいだが、「中共の後始末」、つまり中共後のソフトランディングまで考えなければならなくなった。

14億の面倒・・・自分一人の始末でも四苦八苦しているのに・・・

かくすれば かくなると知りながら やむにやまれぬ 大和魂(松陰先生)

大清帝国が阿片戦争でケチが付き始めたのが1840年、帝国崩壊は1912年。ふらふらしながらも72年も延命したのは大したもので、庶民は統治が緩んだのでそれなりに自由で、結構暮らしに満足していたようだ。

中共建国の1949年からは71年だが、ここ5~10年ほどで飢餓禍はようやくなくなったようだ。習近平も貫氏と同じ1953年生の67歳だが、習近平は絶滅したはずの毛沢東菌による人災を復活させ、パンデミックで世界を揺るがすつもりのようだ。まるで文革の戯画禍。

占いの生方吉子先生の昨年12月の見立てでは習近平の2020年は良くない。

「とかく厄介なことが起こり、思いどおりにならない、計画が頓挫するといったことが起こります。前厄のときは、良くも悪くも世間の注目を集めるときですが、習近平主席には「破」がついているので、どちらかと言えば、良くないことが発覚する可能性が高いようです。中国国内で習近平主席に対する評価に変化が起こるのかもしれません」

ネットにはこんな解説もあった。

<1953年(癸巳)二黒土星で巳(へび)年生まれの人は、とても努力家。アイデアマンで、計画力や企画力に長けて高い能力を発揮します。努力家のため、目上の人に引き立てを受けることも多いです。

猜疑心が強く、疑り深いタイプです。また、依頼心が強く、決断力に欠ける面も持っています。疑い深い気持ちが強く出過ぎると、信用を失います。また、人に合わせるのが苦手で、自分の考えを否定される事を嫌います>

当たるも八卦、当たらぬも八卦、みたいな・・・

中国共産党は来年、2021年に結党100周年だが、ロシア社会民主労働党(ボリシェベキの前身)は結党が1898年、崩壊が1989年、91年の寿命だった。

中共結党の翌年、1922年には日共も結党している。ロシア革命の実情が分からないままに世界中の初心な青年がマルクスボーイになってしまった。悲劇であり喜劇、レーニン、スターリン、やがて毛沢東に騙され、悲惨な目に遭う。

今でもアカはリベラル≒アカモドキとして堂々と生きている。不思議と言えば不思議なのだが、宗教と一緒で巨大な利権だから、いずこの国、特に先進国では「思想信条信教の自由」の手前、「邪教邪論だ!」と叩き潰すわけにはいかない。人口が半減してしまう。

コロナ禍で火がついた「中共殲滅支那解放」戦争、我々はいかに戦うべきか、伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から、共に学んでいこう、イザ!

<本書はリアリズム外交の実態を理解していただくために書かれた。リアリズム外交はバランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)とも呼ばれる。

国際政治において最も強力な覇権国をカウンター・バランス(塩梅)して、勢力均衡の状態を作ろうとするというリアリズム外交のパターンは、(記録の残る)古代ギリシャから現在までの25世紀間、基本的に変わっていない。

ビスマルク、タレーラン、ドゴールは、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を目的として、自国の外交政策と軍事政策を運営した人物である。個性的でダイナミックな人であり(≒孤立を恐れない変人奇人哲人)、知的、文化的にも洗練されていた。

3人とも頭が良くて討論能力に長けており、しかも深い思考力を持つ人物であった。彼らはしばしば同時代の「思想の潮流」や「圧倒的な世論」や「既成の政治勢力」に対抗してバランス・オブ・パワー外交を実践するために孤立を恐れず奮闘した勇敢な外交家であった。

読者が国際政治史を学ぶのに、最も役に立つのはビスマルクである。彼は歴史上初めて、常に数十、数百に分裂していたドイツ民族を統一した大政治家であり、建国後のドイツを欧州大陸の最強帝国に育て上げて、19世紀後半の欧州外交を牛耳ったのである。

欧州諸国が何故、20世紀に悲惨な世界大戦を二度も巻き起こしたのかという事情も、19世紀後半期のビスマルク外交を理解しなければ分からない。

現在の日本外交の苦境を理解するのに最も役に立つのは、ドゴールの外交思想と国家哲学である。「国際政治の一極構造や二極構造は長続きしない。国際政治は必ず多極化し、バランス・オブ・パワー外交が復活する」と1960年代から予言していた。

冷戦期の米ソ二極構造が1991年に終焉し、その後のアメリカ一極構造戦略が明らかに失敗してきたことを観察すると、ドゴールの先見性に驚かされる。ドゴールはさらに、

「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」と述べていた>

コロナ禍は「中共殲滅支那解放」戦争を四半世紀は前倒しした、「これは我らにとって千載一遇のチャンスだ、中南海を包囲すべし」と思う指導者がG7、G8、G20の半分、国民でも5%あれば勝てる。

上手くいけばソ連のように政権から将兵が続々と離反し(給料が払えない!)、民心もすっかり離れ(食い物がない!)、無血革命によるソフトランディングの可能性もある。

中共は派閥の国である。習近平が主席就任後に身辺警護のガードマンを一新したのは、警備員に暗殺される恐れがあったからだろう。軍は習近平の足を引っ張るような事件、騒擾をしばしば起こす。現在のインド挑発も、軍は孫子の兵法のように「西に向かって罵りながら東を叩く」戦術をそっくり真似ているように見える。

尖閣への執拗な挑発も、習近平を引きずり落とすために上海閥や共青団派が意図的に強行しているのではないか。

日米英印豪加台などの有志連合で包囲網を強めていけば、中共内の習近平降ろし勢力が勢いを得て宮廷革命を起こし、第二次辛亥革命(自由民主人権法治の政変)の可能性もある。

長谷川良氏「 ウィーン発 コンフィデンシャル」7/18、「創設百年迎える中国共産党の弱点」から。

<コロナの感染拡大と初期段階の事実隠蔽が発覚し、中共政権と国家のイメージは一段と悪化してきた。欧米諸国はここにきて中国包囲網を構築する一方、中国の人権問題にも積極的に抗議する傾向が出てきた。

それに対し習近平は、国民に愛国心を懸命にアピールし、その批判に応戦している。

中国国民は騙されてはならない。共産党政権が叫ぶ愛国心はあくまでも一党独裁政治を堅持するための手段に過ぎないのだ。

共産党政権は過去、中国本来の伝統的文化を破壊し、一党独裁の国家を樹立するために、多数の同胞を粛正してきた。その点、スターリン時代のソ連共産党と同様だ。

中共政権は今後、状況が厳しくなれば愛国心を国民にアピールし、中国を批判する政治指導者や欧米のジャーナリストに反中政治家、反中ジャーナリストの烙印を押して批判をかわそうとするだろう。

欧米諸国は今後、「我々は中国国民を支援する。国民の基本的権利を蹂躙する中国共産党政権を打倒しよう」と呼びかけるべきだ>

敵は中共であり、中国国民は我々の同志だ、友だ、敵を間違えるな、ということだ。それは分かるけれど、中国国民とは漢族であり、それ以外の民族を卑しい蛮族だと思っているのではないか。

我が長女の親友である漢族エリートは同じ漢族であっても庶民、貧乏人を下層階級どころか汚物のように嫌っている。事大主義で、強い方になびく、紅衛兵の暴れ方を見れば人権なんてお構いなしだ。

漢族の初期設定は蓄財蓄妾美酒美食、それこそが正義、倫理で、そこには「清く正しく美しく」なんてあり得ない。「古い友人」と言うのは私利私欲、ウィンウィンを飾っているだけである。

長谷川先生のような良識的なインテリは世の中は清らかな愛で動くべきだと思い、一方、ひたすら戦争を研究してきた地政学者は「嫌われようが非難されようが、どんな汚い手を使っても世界の安定はバランス・オブ・パワー戦略で行け」という。

世界はコロナ禍でお花畑妄想から目覚めつつある。バランス・オブ・パワー戦略などで新たな「中共後の世界秩序」「独立国家日本」を構築するのが今の我らの歴史的使命ではあるまいか。

全国3500万ヂヂババ同志諸君、夜明けは近い! イザ戦わん、あの世も近いぜ! 靖国で逢おう!(2020/7/18)





雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(33」

2020-07-16 08:36:11 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(33」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/143(2020/7/16/木】もうすぐ梅雨明けだが、「今年はよく降るなあ」とは毎年の嘆息だろうと思っていたら、例年の3~7倍も降っているという。あちこちで水害が発生して大変だ。


想定外 いつでもあるよ 覚悟しな 悔いているより まずは前進(修)


生きている、生かされている、這ってでも前へ進もうという気概を持ち続けるのは大変だが、大災難の体験者として自分と周囲を観察、記録しておく、それが天命だ、と思うこともいいのではないか。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」


鴨長明の「方丈記」1177~1185年の大火、竜巻、飢饉、大地震などの貴重な記録だ。この書によって我々は多くのことを学ぶ。転んでも、死ぬ目に遭ってもただでは起きないという根性、気概、好奇心、使命感は大事だと思う。


水害で溺れたという実に希少な経験をした小生は7歳だったからあまり覚えていないのは残念だった。


<狩野川台風(かのがわたいふう)は、1958年(昭和33年)9月26日に伊豆半島に接近し、翌27日に神奈川県に上陸して、静岡県伊豆地方と関東地方に甚大な被害をもたらした。


狩野川台風は、1951年の統計開始以降で死者・行方不明者数が3番目に、負傷者数が9番目にそれぞれ多い台風となり、さらに台風による浸水被害は統計史上1位の件数となるなど、日本における台風の歴史の中でも記録的な被害をもたらした>(WIKI)


川や雨は「恩恵>水害」で、コンクリートで固めるとまったく風情はなくなるので難しい。小生の愛する多摩丘陵(多摩区)は土砂災害特別警戒区域が136もあり、どう考えても崩れそうな斜面にマンションが建てられていく。


平地は洪水、斜面は崩壊・・・地震もあるし・・・絶対安全なんていう土地はないということだな、当たり前か。


梅雨になると田植えを思い出す。わが街は「稲田地区」とも呼ばれているくらい稲作は盛んだったが、今は水田はほとんど住宅地と化した。


<水田:主として水稲を栽培するために周囲にあぜをつくり,水をたたえることのできるようにした耕地。水稲の栽培は日本には縄文時代には伝来しており,最初河口などの湿地での無肥料,直播であったが,弥生時代中期には水田用のあぜや水路が存在したことが確認されている。


2014年現在日本の総耕地面積は 451万8000ha,うち水田は 157万3000ha。北海道・東北・北陸地方では水田単作であるが,東海以南の地方では多毛作を採用するなど,集約的な利用形態がとられている。


水田稲作は北緯 51°(ロシア極東なら樺太の中央、沿海地方あたり)から南緯 35°(豪州ならシドニーあたり)までの地球上の各地に普及しており,特に日本,中国,朝鮮半島,インド,ミャンマー,ベトナム,タイなどの東南アジア諸国と,米国のカリフォルニア州などで盛んである>(ブリタニカ)


ネットによると豪州のコメ生産は日本人が「種まく人」だった。WW2で豪まで攻め入ったのにも驚いたが、いやはやご先祖様は大したものだ。


<松山藩の武士の息子として育った高須賀穣氏は18歳で結婚し、その後松山市選出の帝国議会議員として活躍後、知人の影響で、オーストラリアに渡りました。


彼は広大な豪州の地で、米作りにチャレンジしようとしたのです。当時、オーストラリアには、米を作る農家はなく、設備も種もない中で、無謀ともいえる挑戦がはじまりました。


高須賀穣氏が政府から土地を割り当てられ米作りをはじめたのが1906年。家族で水路や田をつくり、米作りを試みるも羊が敷地に入る被害や、水不足や洪水、旱魃などさまざまな問題に直面し、何年もの間、失敗を繰り返しました。


洪水をコントロールする堤防をつくるなど、米を作るための努力を続けた高須賀穣氏が米の商業生産に成功したのは1914年。米作りの挑戦をはじめてから8年後のことです。


収穫した種子を、種子業者およびニュー・サウス・ウェールズ州農業省に販売。南オーストラリアで育成された米が商業販売されたのは初めてのことで、劣悪な環境下の中での偉業といえます。


高須賀穣氏の籾は、(シドニー近い)リートンで最初に試みた米作りに使用され、その後、ジャポニカ米の研究に力が注がれることになりました。10年後、リートンの米づくりは、オーストラリアの農業の中で最も成功を収めた米産業へと発展しました。やがて、オーストラリアの米産業は、他国へ輸出するまでに成功したのです>


氏は「豪州米の父」と呼ばれ、「穣」というブランド米も日本に輸出されている。それにしても豪の農家一戸の水田は400ha、日本の400倍だという。戦前の日本が満洲開拓に必死で励んだ気持ちが分かるなあ。


話を戻すと、孫の通う市立下布田小学校では校内の田んぼで田植えを体験する。


「泥の中で作業をすることにはじめは抵抗があったみたいですが、徐々に泥にも慣れJA職員指導のもと1本1本丁寧に真剣に田植えを行いました。普段当たり前に食卓に並ぶお米も作業の1つでもこんなに大変なものだと実感し、米作りの大変さとまた日々味わうことの喜びを改めて感じ取れた貴重な体験となりました」(JAセレサ川崎)


人口150万人の川崎市だが、農地面積は東京ドーム換算でたったの66個分しかない。豪州や米国なら農家1軒分にも満たない。果樹園(多摩川梨)と野菜畑がほとんどで、水田はまさに希少な「歴史遺産」だ。


わが街の東には奇跡的に水田が残っている。見に行ったら50m四方で中型マンションなら一つ分だ。小型コンバインで苗はすっかり田植えされ、20センチほどに育っており、合鴨のつがいがのんびり泳いでいた。


「川崎市生産緑地」に指定されているが、相続税(贈与税)納税猶予制度があるものの、地主には生産緑地はどうも人気がない。「公道へのアクセスが悪いからマンションは無理。とりあえず生産緑地にでもしておこう、俺の趣味にもなるし」という感じのようだ。


近くに豪邸があり、水田のオーナーかも知れない、違っても何か話が聞けるだろうと門前に行ってみたが、「来訪者お断り」的な雰囲気があったから止めた。わが街の地主は「土地を活用しませんか」の訪問者にうんざりしているのだ。


我が家の近くの生産緑地オーナーは小生が10年以上かけて手なずけたので、最近はようやくニコニコするようになった。もう5年もすれば土地は俺のものだ・・・とはならないけど、「このトマト、烏がつついちゃって売りものにならないから、良かったら持ってって」くらいにはなるだろう、小生が生きていれば。


この春に中姉が解離性大動脈瘤の手術を受けたが、介助されながら10分ほど歩くのが限界だという。一昨年は大姉が同じ病気で手術している。そういうDNAかも知れない。穏やかに暮らしていても一寸先は闇、知らぬが仏だな。


良き人も ダメな人でも 差別なし 天網恢恢 病魔は襲う(修)


やるべきこと、やりたいことは生き急ぐようにどんどんやっていった方がいい。心技体、気力・能力・風向きなどの充実を待っていたら、何もしないうちにエンディングだ。


走りながら考える、考えながら走る。自分の運命は他者をあてにせず自分で切り開く・・・連帯を求めるも孤立を恐れず、まずは自立した人間、自立した国家であることが大事、一丁目一番地だ。


戦後世界の「仁義なき戦い:国際編」を振り返れば――


1945年から米国組とソ連組の二大勢力の冷戦時代になった。1949年にはソ連の支援を受けて支那に中共組が結成された。


中共組は60年代には金欠のソ連組から離脱、70年代以降は金満の米国組をたらし込んで順調に軍事力、政治力を強めていった。


米ソの血を流さない覇権戦争は、核戦力など軍拡競争の果てに1989年、ソ連組は金欠でつぶれ、規模を縮小してロシア組に再編されたが、ひもじくても軍拡こそが国の柱だという民族性から軍事力強化を進めている。


中共組は「私はパンダ、大きいけれど無害よ、抱きしめて」と米国組にすり寄り、米国組はみなパンダハガーになった。尻の毛まで抜かれるという体たらく。


このままなら世界はそれなりに安定していたかもしれない。


「まあ、色々あるけどね、ケンカになると、それでなくても危ういオカラ工事、手抜き工事、土手より福祉、安全より見栄えのダムとか、俺らの極道世界でも積み木崩しが一気に起きかねないからね、隠忍自重とか見て見ぬ振りとかしておいた方がいいんでね」


(ダムと言えば、台湾は攻撃されたら某国の巨大ダムをミサイルでぶっ飛ばす覚悟とか。WW2でも英国はドイツのダム4か所を空爆、2か所で決壊に成功。操業不能に陥った軍需工場は125箇所に及んだという。要塞のように迎撃態勢が整っているのでダム攻撃は難しいようだ)


中共組に色々不都合はあってもとりあえずは日和見で・・・それはそれで一理か二理か三理はあるだろう。理想とは離れているけれど、地獄ではない、火種はあるけれど下手に水を掛けたら一気に燃え上がりかねない、今は警戒するだけにしておこう、と。それなりの平和的な安定ではある。


ところが好事魔多し、「歴史は銃口から生まれる、東風が世界を制す」という毛沢東原理主義の遅れてきた妄想性痴呆症紅衛兵・習近平と、「俺はボランティアの武装サンタじゃない!米国復活はタダ乗り中共バッシングと上納金をケチる組員叩きから」という怒鳴る人・トランプが、「戦後的疑似的それなり平和体制」に露骨に、遠慮なしに削岩機で穴を開け始めたのである。


ヘビー級1位が2位にジャブを当て、2位がコーナーに下がったところで武漢出身コロナ服の変な奴が現れて毒薬を撒き試合中断。


1位は組長選挙の真っ最中。2位は我が身が臨時組長選挙で引き吊り降ろされかねない不安に加えて、ライバルのインド組が敵意を募らせ、すこぶる怪しいロシア組がインドに秋波を送り、香港レイプで欧州からも非難されるという自業自得の緊縛状態・・・


米国のオンリーさんになって仁義なき戦いを「私は敗者、戦争はもうこりごり、愛に生きるの」とせっせと芸者フジヤマ、トランジスターガール、カー、ゲーム、マンガ、バラマキ援助資金で血を流さずに一国平和主義でやり過ごしてきた撫子ジャパン。


そういう時代は今、終わり始めた。第1ラウンドがたまたま中断しただけ、またゴングが鳴ってゲームは熱く燃え上がるだろう。


歴史は損得や理性ではなく概ね感情で動くのではないか。少なくとも二つの世界大戦は(ドイツ人の)気分、感情、発狂で始まり、最後は原爆という冷静冷酷な無差別大量殺人実験で終わった。


結婚は感情による。理性で結婚する人は稀である。一方で離婚する際は皆いろいろ損得などを勉強し、理性でする。一時的な感情で離婚する人はまずいない、目に一丁字もない人が「貰うものは貰う!」と「ニコニコ離婚講座」を真剣に読んだりして理性、勘定を働かす。


理性で冷静冷酷な対日作戦を練り、米の国民感情を盛り上げる・・・FDRルーズベルトは上手かった! 初心な日本はまんまと罠にはまった。この際だからオンリーになっちゃおうと決めた吉田茂も岸信介も大したものだ。えげつないリアリスト。


今、日本は大きな選択を迫られている。


米国から富岳級の中距離核ミサイルをレンタルして(あるいは独自に開発して)ハリネズミになって閉じこもるか、それとも核保有国として対中戦で米国組・英印豪加台とともに打って出るか。


世界は永世中立のスイス(銀行)を必要としているが、スイスだけで充分である。ハリネズミの巣ごもり戦略は戦勝国、敗戦国の双方から侮蔑されるからまず亡国になる。


即ち日本は抑止的核武装をして第一線で戦うのがベストだ。敗戦国から脱して列強の地位を取り戻し、少なくとも東シナ海の安全に大いに寄与すべきだ。


(スイスは全人口を収容できる核シェルターを備えている。覚悟が違う)


また、日本の何とも言えないアバウトな“多神教”、どこでも神、なんでも神、アンタも神、おいらも神という考えを広めれば世界はずいぶん天国に近づくのではないか。


宗教/神のために人間があるのではない、人間のために宗教/神がある、心の中のわが内なる神性を磨き、人間の幸福に寄与せよ、世界は一家、人類は皆兄弟姉妹、八紘一宇・・・いい教えだ。


戦争のない世界、恒久平和の世界へ。世界は日の出を待っている・・・100年、200年の長いプロジェクトだが、2000年も一つの国であり続けた日本ならできるだろう。(2020/7/16)