雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(37」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/147(2020/7/24/金】フロンティアを目指す、開拓するというのはとても楽しい。小生のシマに「カリタス学園」と「洗足学園」が加わった。
カリタスは40年ほど前、長女を幼稚園に入れるために面接を受けたが、「宗教をどう思うか」と問われたので、「鰯の頭も信心から。好きなようにしたらいい。人はそれぞれ、けなすは野暮よ。そもそも」と本論に入ろうとしたら面接官が「もういいです」。結局、不合格になってしまった。
当たり前だろうが「ナンカナー」という思いがあるので、以来、訪ねたことはないが、小生が大学に入ったら小姉(2年上)の中学の友達だったKさんがいて、容姿端麗、頭脳明晰、思わず声をかけてしまった。彼女はできたばかりのカリタス女子高等学校の一期生か二期生なのだ。
カリタスはカナダ・ケベック州の「カリタス修道女会が教育活動の一環として戦後の日本に設立したカトリック学校」。
ケベックはガチのフランス語州で、先行した英国プロテスタント系移民からフランス・カトリック系移民は二等民族扱い(「赤毛のアン」にはその様子がしばしば描かれている)、1963~1970年には「勢力均衡外交」のドゴールが「自由ケベック万歳!」とカナダからの独立運動を煽ったことでテロ続発、死屍累々。
ドゴールの狙い通りに(?)カナダ政府はケベックに譲歩し独立運動は下火にはなったが、先輩曰く「ケベックの公用語はフランス語だけになったから英語はご法度。無視されるから、片言でもフランス語を覚えておいた方がいい」。
フランスの田舎を取材した際に Je veux parler Français, mais je ne peux pas bien parler Français.(フランス語で話したいのですが、フランス語は上手に話せません)とほぼネイティブ並みの発音で挨拶したら大喜びされたっけ。
フランス人はフランス(語)に大きな誇りを持ち、日本人は訳の分からないカタカナやアルファベットが大好きだ。
パンデミック、フェーズ、インフォデミック、スーパースプレッダー、クラスター、オーバーシュート、ロックダウン、コロナチャレンジ、ゲートウェイ、ビックサイト、トラッシュ、イレーサー、ワイズスペンディング、プレミア、リミテッド、ステーション、〇〇ヒルズ、スカイライン、〇〇ライン、インターバル、サーキュレーター、フォーカス・・・
ほとんどクレージー、もとい狂気、アウフヘーベン、もとい止揚すべし、Go To Hell!もとい地獄へ堕ちろだよ、ウッタク。
才色兼備のKさんは大学でもフランス語を専攻し、横浜美術館・主席学芸員などを務め、2015年にはフランス政府から芸術文化勲章を授与されている。「長谷川潔の世界」 (横浜美術館叢書)という著書もある。
そいうわけでカリタスは小生にとって嫉妬と崇敬の複雑な思いから永らくアンタッチャブル(不可触、接近禁止)だった。今のカリタス学園キャンパスは昔の開放的な面影はなく、テロの影響もあってか、周囲は塀に覆われて中の様子はうかがえなかった。
1週間ほど前にカリタスと反対側の東部フロンティアをチャリ散歩していたら、音楽ホールのような、博物館・美術館のような、宇宙望遠鏡の天体測候所のような、ガメラレーダーような、ほとんどシュールな建築物あるいはオブジェを発見した。
「タローもびっくりだろうなあ、見学したいなあ」と佇んでいたら、小生みたいなチャリ爺さんが警備員に銃を突き付けられていた。よく見ると今流行りの体温計らしい。キョロキョロ見回したらバス停に「洗足学園」の表示があった。
洗足学園キャンパスも以前はカリタス同様に見通しの良い普通の学校だったが、今はやはり周囲は壁で覆われ、これまたヒッキーの様子。今の学校は皆そうか。
以前、洗足学園は「裕福な家のトロい女の子が行く学校」というイメージだったが、カミサンに聞いたら「以前はそうだったけれど、今は結構、評価が高い学校になった」そうだ。同校のサイトから。
「洗足学園はミッションスクールではありませんが、創設者の前田若尾先生は敬虔なクリスチャンであり、「洗足」という命名にもそれが投影していると考えられるのです。
教学の大理想を、ヨハネの福音書にある「互いに足を洗い合え」というイエス=キリストの感謝と献身、犠牲と奉仕の信仰の中にうちたてられ、洗足学園はスタートを切ったのでした」
創設者が東京目黒区の「洗足」という地にひかれて開校、後に現在地に移転したわけだ。
「互いに足を洗い合え」とは、汝の欲するところを人にも施せ、とか、進んで灯りをつけましょう、ということだな。率先垂範、種まく人、炭鉱の最先端で採掘する切羽(きりは)、鶏頭になるも牛尾になるなかれ、時代の最前線たれ、とか。
Boys and girls, be ambitious、大いに結構だが、現実は大変だ。出る釘は打たれるし、それでも踏ん張って我が道を行くというのは並外れた意志、根性と能力が必要だ。
前人未到の頂上に立っても見返りが保証されているわけではない、振り返れば死屍累々、「それでも俺は這ってでも登るんだ」・・・
こういう“突破モン”は100万人、1000万人に1人とかで、教育や学問はそういう人材ではなく、まずは「市井の良き人々を育成する」のが義務教育、それからは理系とか文系の方向性を決め、専門分野の能力を高めるのが高等教育。
ここから先は社会勉強で、切磋琢磨して一人前になり、さらにリーダーとして人材、後進を育てていくことになる。
ここまでは努力すれば何とか到達できるだろうが、その先の「進歩」「先進」、さらに「革新」「革命」「人類史的発明発見」とかになると、コペルニクス、ワット、エジソン、キュリー夫妻、アインシュタイン、ゲイツ、コッホ、パスツールという、およそ常人を超越したような「天才、奇才、変人」のレベルであり、教育の範囲外、ほとんど狂気とか奇跡の世界だと思う。
国によっては(特に米国は)そういう突破モン育成(英才天才教育など)に熱心なようだが、IQが180以上とかだと世間的には「異常な人、変人」と見られ、仲間外れになる、イジメに遭うなど嫌な思いをすることが非常に多いようだ。
ストレスや疎外感から精神を病んだりすることも珍しくないとか。
米国にはゲイツのように時代を変えるほどの発明などで巨富を得た天才も多いだろうが、米国民は今も火付け、強盗、窃盗、殺人で暴れまくっている。
天才が驚異的な発明をしたところで、国民が潤ったり生活が改善するわけではなく、むしろ単純作業が少なくなって就業機会が減り、幸せどころか格差拡大、嫉妬、憎悪、不満たらたらで、ちっとも幸福になったようには見えない。「努力する気力能力=才能」がないのだから澱んでいるだけのような気がする。
前述のように義務教育は「市井の良民を育成する」ことと小生は思うのだが、人間は金太郎飴ではないから、この義務教育段階でも知的レベルは甲乙丙丁・・・できる子からできない子まで差は生じ、拡大する。
できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。
子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなくても)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。
こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・次回もこの問題を考えてみたい。
同じ環境にあっても個体差はピンキリ。ならば国家や民族となれば自然環境から習慣、肌の色、言語、性質、宗教、嗜好、価値観までピンキリどころか千差万別である。そもそも「世界が仲良くなれる、みんなハッピー」というのは夢の話ではないか。
伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範、価値判断、道徳基準は、一度も存在しなかった。
どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか? それを判断できるのは「神」「仏」のみであり、「自民族中心思考」の人間には不可能である。
従って諸国は、自国・自民族の価値観で、他国に内政干渉や軍事介入すべきではない。そのような行為は、国際政治における「バランス・オブ・パワー/勢力均衡」の維持を困難にするだけである。
国際政治にアメリカ中心主義、グローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、八紘一宇、中華文明の優勢などの独善的な理念を持ち込むべきではない。
リアリズム外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である。
国際法、国際組織、国際的紛争処理機関、軍事同盟、集団的安全保障などの信頼性・有効性は「限られたものである」ことを常に意識して行動すべきである。
国際政治の行動主体は「国民国家」であり、国際機関や同盟関係ではない。
日本の外交と国防の主体は日本政府であり、米国大統領ではない。もっともらしい外交理論を並び立てる国連安保理やワシントンDC の政治家の行動が、日本という国民国家による主体的な行動の代わりになるわけではない。
自助努力、自主防衛の努力を怠る戦後日本のような国は、いずれ国際政治の急変事態において、脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。
以上がリアリズム外交、バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交の重要なコンセプトである>
貫氏が勢力均衡外交の最も優れた政治家として推奨するのは1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルクである。
1873年3月、日本を出発して1年半後、岩倉具視遣欧使節団はドイツに到着し、ビスマルクは使節団になんと「勢力均衡外交」をアドバイスしているのだ。
「日本では、目下、国際法の導入を議論しているようだが、弱い国がそれを導入したからといって、権利が守られるとは言い難い。まず、日本は強くなりなさい」
使節団は「外交とは戦国時代そのもの、禁じ手のない殺し合い、奪い合い、エゲツナイものだ」と目を開かれた思いだったろう。(つづく)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/147(2020/7/24/金】フロンティアを目指す、開拓するというのはとても楽しい。小生のシマに「カリタス学園」と「洗足学園」が加わった。
カリタスは40年ほど前、長女を幼稚園に入れるために面接を受けたが、「宗教をどう思うか」と問われたので、「鰯の頭も信心から。好きなようにしたらいい。人はそれぞれ、けなすは野暮よ。そもそも」と本論に入ろうとしたら面接官が「もういいです」。結局、不合格になってしまった。
当たり前だろうが「ナンカナー」という思いがあるので、以来、訪ねたことはないが、小生が大学に入ったら小姉(2年上)の中学の友達だったKさんがいて、容姿端麗、頭脳明晰、思わず声をかけてしまった。彼女はできたばかりのカリタス女子高等学校の一期生か二期生なのだ。
カリタスはカナダ・ケベック州の「カリタス修道女会が教育活動の一環として戦後の日本に設立したカトリック学校」。
ケベックはガチのフランス語州で、先行した英国プロテスタント系移民からフランス・カトリック系移民は二等民族扱い(「赤毛のアン」にはその様子がしばしば描かれている)、1963~1970年には「勢力均衡外交」のドゴールが「自由ケベック万歳!」とカナダからの独立運動を煽ったことでテロ続発、死屍累々。
ドゴールの狙い通りに(?)カナダ政府はケベックに譲歩し独立運動は下火にはなったが、先輩曰く「ケベックの公用語はフランス語だけになったから英語はご法度。無視されるから、片言でもフランス語を覚えておいた方がいい」。
フランスの田舎を取材した際に Je veux parler Français, mais je ne peux pas bien parler Français.(フランス語で話したいのですが、フランス語は上手に話せません)とほぼネイティブ並みの発音で挨拶したら大喜びされたっけ。
フランス人はフランス(語)に大きな誇りを持ち、日本人は訳の分からないカタカナやアルファベットが大好きだ。
パンデミック、フェーズ、インフォデミック、スーパースプレッダー、クラスター、オーバーシュート、ロックダウン、コロナチャレンジ、ゲートウェイ、ビックサイト、トラッシュ、イレーサー、ワイズスペンディング、プレミア、リミテッド、ステーション、〇〇ヒルズ、スカイライン、〇〇ライン、インターバル、サーキュレーター、フォーカス・・・
ほとんどクレージー、もとい狂気、アウフヘーベン、もとい止揚すべし、Go To Hell!もとい地獄へ堕ちろだよ、ウッタク。
才色兼備のKさんは大学でもフランス語を専攻し、横浜美術館・主席学芸員などを務め、2015年にはフランス政府から芸術文化勲章を授与されている。「長谷川潔の世界」 (横浜美術館叢書)という著書もある。
そいうわけでカリタスは小生にとって嫉妬と崇敬の複雑な思いから永らくアンタッチャブル(不可触、接近禁止)だった。今のカリタス学園キャンパスは昔の開放的な面影はなく、テロの影響もあってか、周囲は塀に覆われて中の様子はうかがえなかった。
1週間ほど前にカリタスと反対側の東部フロンティアをチャリ散歩していたら、音楽ホールのような、博物館・美術館のような、宇宙望遠鏡の天体測候所のような、ガメラレーダーような、ほとんどシュールな建築物あるいはオブジェを発見した。
「タローもびっくりだろうなあ、見学したいなあ」と佇んでいたら、小生みたいなチャリ爺さんが警備員に銃を突き付けられていた。よく見ると今流行りの体温計らしい。キョロキョロ見回したらバス停に「洗足学園」の表示があった。
洗足学園キャンパスも以前はカリタス同様に見通しの良い普通の学校だったが、今はやはり周囲は壁で覆われ、これまたヒッキーの様子。今の学校は皆そうか。
以前、洗足学園は「裕福な家のトロい女の子が行く学校」というイメージだったが、カミサンに聞いたら「以前はそうだったけれど、今は結構、評価が高い学校になった」そうだ。同校のサイトから。
「洗足学園はミッションスクールではありませんが、創設者の前田若尾先生は敬虔なクリスチャンであり、「洗足」という命名にもそれが投影していると考えられるのです。
教学の大理想を、ヨハネの福音書にある「互いに足を洗い合え」というイエス=キリストの感謝と献身、犠牲と奉仕の信仰の中にうちたてられ、洗足学園はスタートを切ったのでした」
創設者が東京目黒区の「洗足」という地にひかれて開校、後に現在地に移転したわけだ。
「互いに足を洗い合え」とは、汝の欲するところを人にも施せ、とか、進んで灯りをつけましょう、ということだな。率先垂範、種まく人、炭鉱の最先端で採掘する切羽(きりは)、鶏頭になるも牛尾になるなかれ、時代の最前線たれ、とか。
Boys and girls, be ambitious、大いに結構だが、現実は大変だ。出る釘は打たれるし、それでも踏ん張って我が道を行くというのは並外れた意志、根性と能力が必要だ。
前人未到の頂上に立っても見返りが保証されているわけではない、振り返れば死屍累々、「それでも俺は這ってでも登るんだ」・・・
こういう“突破モン”は100万人、1000万人に1人とかで、教育や学問はそういう人材ではなく、まずは「市井の良き人々を育成する」のが義務教育、それからは理系とか文系の方向性を決め、専門分野の能力を高めるのが高等教育。
ここから先は社会勉強で、切磋琢磨して一人前になり、さらにリーダーとして人材、後進を育てていくことになる。
ここまでは努力すれば何とか到達できるだろうが、その先の「進歩」「先進」、さらに「革新」「革命」「人類史的発明発見」とかになると、コペルニクス、ワット、エジソン、キュリー夫妻、アインシュタイン、ゲイツ、コッホ、パスツールという、およそ常人を超越したような「天才、奇才、変人」のレベルであり、教育の範囲外、ほとんど狂気とか奇跡の世界だと思う。
国によっては(特に米国は)そういう突破モン育成(英才天才教育など)に熱心なようだが、IQが180以上とかだと世間的には「異常な人、変人」と見られ、仲間外れになる、イジメに遭うなど嫌な思いをすることが非常に多いようだ。
ストレスや疎外感から精神を病んだりすることも珍しくないとか。
米国にはゲイツのように時代を変えるほどの発明などで巨富を得た天才も多いだろうが、米国民は今も火付け、強盗、窃盗、殺人で暴れまくっている。
天才が驚異的な発明をしたところで、国民が潤ったり生活が改善するわけではなく、むしろ単純作業が少なくなって就業機会が減り、幸せどころか格差拡大、嫉妬、憎悪、不満たらたらで、ちっとも幸福になったようには見えない。「努力する気力能力=才能」がないのだから澱んでいるだけのような気がする。
前述のように義務教育は「市井の良民を育成する」ことと小生は思うのだが、人間は金太郎飴ではないから、この義務教育段階でも知的レベルは甲乙丙丁・・・できる子からできない子まで差は生じ、拡大する。
できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。
子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなくても)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。
こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・次回もこの問題を考えてみたい。
同じ環境にあっても個体差はピンキリ。ならば国家や民族となれば自然環境から習慣、肌の色、言語、性質、宗教、嗜好、価値観までピンキリどころか千差万別である。そもそも「世界が仲良くなれる、みんなハッピー」というのは夢の話ではないか。
伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範、価値判断、道徳基準は、一度も存在しなかった。
どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか? それを判断できるのは「神」「仏」のみであり、「自民族中心思考」の人間には不可能である。
従って諸国は、自国・自民族の価値観で、他国に内政干渉や軍事介入すべきではない。そのような行為は、国際政治における「バランス・オブ・パワー/勢力均衡」の維持を困難にするだけである。
国際政治にアメリカ中心主義、グローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、八紘一宇、中華文明の優勢などの独善的な理念を持ち込むべきではない。
リアリズム外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である。
国際法、国際組織、国際的紛争処理機関、軍事同盟、集団的安全保障などの信頼性・有効性は「限られたものである」ことを常に意識して行動すべきである。
国際政治の行動主体は「国民国家」であり、国際機関や同盟関係ではない。
日本の外交と国防の主体は日本政府であり、米国大統領ではない。もっともらしい外交理論を並び立てる国連安保理やワシントンDC の政治家の行動が、日本という国民国家による主体的な行動の代わりになるわけではない。
自助努力、自主防衛の努力を怠る戦後日本のような国は、いずれ国際政治の急変事態において、脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。
以上がリアリズム外交、バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交の重要なコンセプトである>
貫氏が勢力均衡外交の最も優れた政治家として推奨するのは1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルクである。
1873年3月、日本を出発して1年半後、岩倉具視遣欧使節団はドイツに到着し、ビスマルクは使節団になんと「勢力均衡外交」をアドバイスしているのだ。
「日本では、目下、国際法の導入を議論しているようだが、弱い国がそれを導入したからといって、権利が守られるとは言い難い。まず、日本は強くなりなさい」
使節団は「外交とは戦国時代そのもの、禁じ手のない殺し合い、奪い合い、エゲツナイものだ」と目を開かれた思いだったろう。(つづく)