雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(32」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/142(2020/7/13/月】カミサンは今週末から母(小生にとっては義母)の三回忌で奄美大島に帰郷する予定だったが、コロナ禍が終息していないので中止になった。
大島と言っても半日もあればのんびりドライブできる小さな島で、人口はわずか4万人強しかない。ちょっと歩けば同級生などに出会うという、一種の閉塞された町村である。面識がない人でも知人の知人あたりで共通項がめでたく見つかる世界だ。
風俗嬢にでもなれば一日で島中の話題になり、2日目には周辺の小島でも話題になる。だから風俗嬢はすべて本土からのワケアリ移民、出稼ぎだ。そういう島。
現在の島での最大の話題はコロナである。感染した島民は数人ととても少ないが、いずれも遊漁船、飲食店関係者で、本土から来島した客から移されたとか。
そうなると最低でも2週間は商売できない。風評被害で1か月、2か月は開店休業もあり得る。
島民は高齢者がとても多いためもあって50%ほどが生活保護を受けており、義妹に「島の景気はどーよ?」と聞くと、「景気がいいという体験をしたことがないから・・・ずーっと今のまま」。名産の大島紬がほぼ壊滅し、それに代わるこれという産業もなく、国の支援による公共事業でまあまあ暮らしている感じだ。
そういう暮らしにあってコロナ禍で休業を強いられたら、元々少ない預貯金はたちまち底を打つ。だから感染を恐れて近所の人でも寄ってこないだろう、まるで村八分状態ではないか。
へたをすれば村や街自体が忌避されかねない。島での暮らしはもともとが人間関係が濃厚でウェットだから、若者は息苦しさと就職難から外に出たがり、結局、濃厚度は高まるばかりかも知れない。孤立しては生きていけないのだ。
(若者が出て行ってしまうから親は否応なく生活保護に依存せざるを得ないというカタチ。これが完全に根付いており、誰も疑問に思わない。思っても口に出せない)
孤立を招く感染を恐れる、菌を持ち込むのではないかと本土からの人を恐れる、法事でも万一感染となれば大変な人災になる・・・かくして土建会社の二代目である義弟は法事の中止を決断したわけだ。従業員や現場の他社の人たち、元請け、施主のことを考えればやむを得ない措置だ。
日本中、特に過疎地では、感染者が少なくてもコロナを恐れる気持ちは都市部の匿名社会とは比較にならないほど大きい。小生らができるのは“渡航自粛”ぐらいしかないが、それは観光産業を破壊することでもある。せめて政府の手厚い支援を願いたい。
なんとも二進も三進もいかないどん詰まりのようで、まるで膠着状態の戦争みたいだ。「進んで灯りをつけませう」・・・こんな話はどうだろう。
昨日、多摩川を渡った調布市でピカピカの「日活調布撮影所」を発見した。近くには古びた巨大な建物が2棟ほどあったが、これがスタジオ、つまり汗と涙の戦場で、ピカピカは表玄関、管理棟のようである。
<約4万5000平方メートルの敷地内に5つのスタジオと、編集室、スタッフルーム棟、大道具・小道具関連の建物が所狭しと建っており、かつて東洋一と謳われたスタジオの面影は薄れているが、現在でも膨大な数の映画・テレビドラマ・CMがこの地で作られている。
2012年には日活100周年に合わせてスタジオ全体の大幅な改修工事を完工し、慢性的な問題であった駐車スペースの拡充やスタッフルームの増設・食堂のリニューアルが行われた>(WIKI)
小生の世代だと、日活と言えば1971年からの「ロマンポルノ」であるが、社会人になりかけていたからあまり見ていない。大体、あれは見るものではなく、するものだ。
学生時代は高倉健、鶴田浩二、藤純子らの「昭和残侠伝」(東映)はそこそこ見た。大体、あれは見るもので、するものじゃない。その認識がなかったから転んで怪我したが、怪我の功名もなかったわけじゃないけれど・・・まあ、複雑な思いはするね。
映画好きの友は毎日のように映画館巡りをしていたが、面白かった、感動した、以外に得るものがあったのかどうか。勉強になった、人生が変わったとか、あるのだろうか。
小生が人生で一番影響を受けた映画は「アルジェの戦い」。1970年前後に見て「俺は革命のために無差別テロができるのか」とぞっとし、肌が粟立った。いくら大義があろうとも小生にはそれはできない。
しかし、除染の機会がなく、洗脳され続ければ、やがてオウムのように、日本赤軍のように実行したかもしれない。
暴走しかねない小生に友は何も言わなかったが「この本を読んでごらん」と共産主義の圧政に殺された人々の多くの物語を差し入れてくれた。義兄は殴りかからんばかりに強く諫めてくれた、「党の命令ならお前は親でも殺すのか!」と。
振り返れば多くの善意によって俺は生かされてきたのだと思う。愛してくれている人、心配してくれている人がいたから今の自分がある。有り難いなあと思う。何だかウルウルしてきた。除染が効いてきたのか。
今日はどうもチャラケタ話にはならなかったが、いよいよ昇天の前触れか。大岡昇平がジャングルの中でポツンと現れた少年のような米兵を撃たなかった、撃てなかった気持ちが少し分かってきた。(2020/7/13)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/142(2020/7/13/月】カミサンは今週末から母(小生にとっては義母)の三回忌で奄美大島に帰郷する予定だったが、コロナ禍が終息していないので中止になった。
大島と言っても半日もあればのんびりドライブできる小さな島で、人口はわずか4万人強しかない。ちょっと歩けば同級生などに出会うという、一種の閉塞された町村である。面識がない人でも知人の知人あたりで共通項がめでたく見つかる世界だ。
風俗嬢にでもなれば一日で島中の話題になり、2日目には周辺の小島でも話題になる。だから風俗嬢はすべて本土からのワケアリ移民、出稼ぎだ。そういう島。
現在の島での最大の話題はコロナである。感染した島民は数人ととても少ないが、いずれも遊漁船、飲食店関係者で、本土から来島した客から移されたとか。
そうなると最低でも2週間は商売できない。風評被害で1か月、2か月は開店休業もあり得る。
島民は高齢者がとても多いためもあって50%ほどが生活保護を受けており、義妹に「島の景気はどーよ?」と聞くと、「景気がいいという体験をしたことがないから・・・ずーっと今のまま」。名産の大島紬がほぼ壊滅し、それに代わるこれという産業もなく、国の支援による公共事業でまあまあ暮らしている感じだ。
そういう暮らしにあってコロナ禍で休業を強いられたら、元々少ない預貯金はたちまち底を打つ。だから感染を恐れて近所の人でも寄ってこないだろう、まるで村八分状態ではないか。
へたをすれば村や街自体が忌避されかねない。島での暮らしはもともとが人間関係が濃厚でウェットだから、若者は息苦しさと就職難から外に出たがり、結局、濃厚度は高まるばかりかも知れない。孤立しては生きていけないのだ。
(若者が出て行ってしまうから親は否応なく生活保護に依存せざるを得ないというカタチ。これが完全に根付いており、誰も疑問に思わない。思っても口に出せない)
孤立を招く感染を恐れる、菌を持ち込むのではないかと本土からの人を恐れる、法事でも万一感染となれば大変な人災になる・・・かくして土建会社の二代目である義弟は法事の中止を決断したわけだ。従業員や現場の他社の人たち、元請け、施主のことを考えればやむを得ない措置だ。
日本中、特に過疎地では、感染者が少なくてもコロナを恐れる気持ちは都市部の匿名社会とは比較にならないほど大きい。小生らができるのは“渡航自粛”ぐらいしかないが、それは観光産業を破壊することでもある。せめて政府の手厚い支援を願いたい。
なんとも二進も三進もいかないどん詰まりのようで、まるで膠着状態の戦争みたいだ。「進んで灯りをつけませう」・・・こんな話はどうだろう。
昨日、多摩川を渡った調布市でピカピカの「日活調布撮影所」を発見した。近くには古びた巨大な建物が2棟ほどあったが、これがスタジオ、つまり汗と涙の戦場で、ピカピカは表玄関、管理棟のようである。
<約4万5000平方メートルの敷地内に5つのスタジオと、編集室、スタッフルーム棟、大道具・小道具関連の建物が所狭しと建っており、かつて東洋一と謳われたスタジオの面影は薄れているが、現在でも膨大な数の映画・テレビドラマ・CMがこの地で作られている。
2012年には日活100周年に合わせてスタジオ全体の大幅な改修工事を完工し、慢性的な問題であった駐車スペースの拡充やスタッフルームの増設・食堂のリニューアルが行われた>(WIKI)
小生の世代だと、日活と言えば1971年からの「ロマンポルノ」であるが、社会人になりかけていたからあまり見ていない。大体、あれは見るものではなく、するものだ。
学生時代は高倉健、鶴田浩二、藤純子らの「昭和残侠伝」(東映)はそこそこ見た。大体、あれは見るもので、するものじゃない。その認識がなかったから転んで怪我したが、怪我の功名もなかったわけじゃないけれど・・・まあ、複雑な思いはするね。
映画好きの友は毎日のように映画館巡りをしていたが、面白かった、感動した、以外に得るものがあったのかどうか。勉強になった、人生が変わったとか、あるのだろうか。
小生が人生で一番影響を受けた映画は「アルジェの戦い」。1970年前後に見て「俺は革命のために無差別テロができるのか」とぞっとし、肌が粟立った。いくら大義があろうとも小生にはそれはできない。
しかし、除染の機会がなく、洗脳され続ければ、やがてオウムのように、日本赤軍のように実行したかもしれない。
暴走しかねない小生に友は何も言わなかったが「この本を読んでごらん」と共産主義の圧政に殺された人々の多くの物語を差し入れてくれた。義兄は殴りかからんばかりに強く諫めてくれた、「党の命令ならお前は親でも殺すのか!」と。
振り返れば多くの善意によって俺は生かされてきたのだと思う。愛してくれている人、心配してくれている人がいたから今の自分がある。有り難いなあと思う。何だかウルウルしてきた。除染が効いてきたのか。
今日はどうもチャラケタ話にはならなかったが、いよいよ昇天の前触れか。大岡昇平がジャングルの中でポツンと現れた少年のような米兵を撃たなかった、撃てなかった気持ちが少し分かってきた。(2020/7/13)