今朝は、起きると、暖かいのか、寒いのか、よくわからない日でした。
早朝の積込みの仕事は、庇はありますがトラックのプラットホームでの仕事。
寒いと動きが鈍くなるので、着ていくものにもちょっと工夫したりします。
布団から出たばかりだから、暖かく感じるのかなぁ、どうかなぁ、と、
最終的には、天気予報頼りです。
「昨日より、低いでしょう」の天気予報を聞き、
「そうか!」ともふっとした袖無しフリースを着ました。
はやく、薄着で作業する日が来ないかなぁ〜。
計算を教えられていない幼児でも、数を足すことはするそうで、
そのやり方にはだいたい、5種類のやり方があるそうです。
例えば、
2つのりんごと
4つのりんごをみせられて、
「全部で、いくつある?」と聞かれ多場合。
a 最初の2つのりんごを「12」と数えて、あとのりんごを「1234」と数えて、
全体を「123456」と数えるやり方。
b 最初のりんごを「12」と数えて、あとのりんごを「3456」と数えるやり方。
c 最初のりんごを数えずに「2」と唱えて、あとのりんごを「3456」と数えるやり方。
d ふたつのりんごの集合を見比べて、数が多い方を「1234」と数えて、
次に、数が少ない方を「56」と数え足すやり方。
e ふたつのりんごの集合を見比べて、数が多い方を数えずに「4」と唱えて、
次に「56」と数えるやり方。
『子どもは数をどのように理解しているのか』という本によれば、
小学校に入学する前の幼児は、程度の差はあれ、誰に教えられるわけでもなく、
日常の生活の中でこんなに高度なたし算のやり方を獲得しているそうです。
幼児の中でも、eのやり方を自分のものにしている子にとっては、
小学校に入って教えてもらう、最初のたし算は自分がとっくの昔に通過したもので、
そんなの知ってる〜と生意気な口もききたくなるわけですね。
このようなやり方を子どもが習得していく過程では、
「どんなに小さい幼児でも、なるべく簡単に速くできる方法を常に追い求め」、
「一見単純な技能にも、そうした常に前進していく幼児の姿が、反映されているようである。」と
述べられていました。
こんな一見すると、りんごの集合の全体数を求めるようなものでも、
そんな合理的なやり方を幼児が求めて、突き進んでいこうとすることに驚きます。
小学校の支援員をしていたときに、同じ1年生でも計算問題などで、
如何に、早く、合理的にやっていくかに全精力を注ぐ子どもがいました。
そんな子どもにとっては、数の合成やら10の合成なんぞは、
本当に朝飯前で、プリントを配られて、一斉にスタートするまでに、
見ながらで、3,4問くらい解けてたのが、この本を読んで納得することでした。
そして、幼児がこうやって独自に数を足すやり方を身につける中には、
どっちが多いか、と比較することや目で見たものを頭の中で数えること、
数えたものの数を記憶しておくこと…等々色々な認知能力が関わっていることが、
ざっとみても想像できます。
算数に限ったことではないのでしょうが、
学校での勉強の窓口は、日常の生活と地続き、特に低学年の頃はそうではないかなぁ、と
思いながら、本を読みすすめているところです。
早朝の積込みの仕事は、庇はありますがトラックのプラットホームでの仕事。
寒いと動きが鈍くなるので、着ていくものにもちょっと工夫したりします。
布団から出たばかりだから、暖かく感じるのかなぁ、どうかなぁ、と、
最終的には、天気予報頼りです。
「昨日より、低いでしょう」の天気予報を聞き、
「そうか!」ともふっとした袖無しフリースを着ました。
はやく、薄着で作業する日が来ないかなぁ〜。
計算を教えられていない幼児でも、数を足すことはするそうで、
そのやり方にはだいたい、5種類のやり方があるそうです。
例えば、
2つのりんごと
4つのりんごをみせられて、
「全部で、いくつある?」と聞かれ多場合。
a 最初の2つのりんごを「12」と数えて、あとのりんごを「1234」と数えて、
全体を「123456」と数えるやり方。
b 最初のりんごを「12」と数えて、あとのりんごを「3456」と数えるやり方。
c 最初のりんごを数えずに「2」と唱えて、あとのりんごを「3456」と数えるやり方。
d ふたつのりんごの集合を見比べて、数が多い方を「1234」と数えて、
次に、数が少ない方を「56」と数え足すやり方。
e ふたつのりんごの集合を見比べて、数が多い方を数えずに「4」と唱えて、
次に「56」と数えるやり方。
『子どもは数をどのように理解しているのか』という本によれば、
小学校に入学する前の幼児は、程度の差はあれ、誰に教えられるわけでもなく、
日常の生活の中でこんなに高度なたし算のやり方を獲得しているそうです。
幼児の中でも、eのやり方を自分のものにしている子にとっては、
小学校に入って教えてもらう、最初のたし算は自分がとっくの昔に通過したもので、
そんなの知ってる〜と生意気な口もききたくなるわけですね。
このようなやり方を子どもが習得していく過程では、
「どんなに小さい幼児でも、なるべく簡単に速くできる方法を常に追い求め」、
「一見単純な技能にも、そうした常に前進していく幼児の姿が、反映されているようである。」と
述べられていました。
こんな一見すると、りんごの集合の全体数を求めるようなものでも、
そんな合理的なやり方を幼児が求めて、突き進んでいこうとすることに驚きます。
小学校の支援員をしていたときに、同じ1年生でも計算問題などで、
如何に、早く、合理的にやっていくかに全精力を注ぐ子どもがいました。
そんな子どもにとっては、数の合成やら10の合成なんぞは、
本当に朝飯前で、プリントを配られて、一斉にスタートするまでに、
見ながらで、3,4問くらい解けてたのが、この本を読んで納得することでした。
そして、幼児がこうやって独自に数を足すやり方を身につける中には、
どっちが多いか、と比較することや目で見たものを頭の中で数えること、
数えたものの数を記憶しておくこと…等々色々な認知能力が関わっていることが、
ざっとみても想像できます。
算数に限ったことではないのでしょうが、
学校での勉強の窓口は、日常の生活と地続き、特に低学年の頃はそうではないかなぁ、と
思いながら、本を読みすすめているところです。