日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

あげたり、さげたり。

2017-02-09 17:18:35 | 日記
明日は雪マークがついている、鹿児島の天気予報。職場で、「ちょっとでも、雪がチラついたら、来ないから!」と宣言してきました。

去年、雪で乗り合わせて、ドキドキしながら行ったけど、荷物は来ないし、判断は遅いしにうんざりしたからです。でも、用意周到に宣言すると、降らないのが雪だよなぁ、と思うことです。

仕事から帰り、朝の情報番組をポチっと入れたら、「子どもを褒める!」というこということをいっていて、「社会に出たら、何やってんだ!と言われることが多いのだから、親は全部認めてあげて!」というようなことを番組のシメの質問コーナーで言っていました。

こういうのは、いつも私は白けた気持ちで見てたり、聞いてたりします。それは、私が親に「あんたは、ほんとうに!」という厳しいことも言われて育ったからだろうし、同時に、一番私を認めてくれる存在でもあったからだろうな、と思います。

他人は気がつきもしないところだけど、私が一番苦心したところをピンポイントで「いいねぇ」と気がついてくれる存在だったなぁ、と私に対する感度の良い親で、ありがたいことだったと思います。

今は、マイペースでにこやかにえぐるようなことをいう夫が、たまに取れる素人のひくおいしい出汁のような存在を醸し出しています。この塩梅も私にはちょうど良い感じです。

厳しくいうことは、他人に任せるような感覚って、何だろうな、とテレビのような発言を聞いていると、不思議な感じがします。どこに出しても、本人が困らない子に!と叱咤も激励もするのが親なんじゃないのかなぁ、と思うのです。がんばったね、でも、がんばりが足りなかったね、と。あなたはがんばったから、いいのよ!むぎゅ!だけでは人として弱すぎる、と思うのは、もう時代遅れなのかなぁ、と隔世の感じを抱くことです。

辛辣でも本当のことを言ってくれる身近な人が、常に近くにいる私は幸せ者だなぁと思うことです。
コメント
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