コンサート インつま恋 4
第2部 の登場は
『夏休み』から 始まって
『せんこう花火』でいったんフルバンド
が引き上げ、
拓郎さんひとりの
弾き語り
「されど私の人生」で
第2部が終わる。
落ち着きを取り戻し
ペース配分も戻しつつも
それでも
どこか怯えながら恐怖と戦いながらの
ステージだったと想像するも、
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本来拓郎さんはMCが面白いのに、
語りがほぼなしで
歌うことに集中する姿勢がわかり、
いつものコンサートの雰囲気とは
全然ちがったこの日のステージ。
二部のステージはアコースティック系のアレンジ曲が選曲の中心、アットホームな雰囲気が
伝わっていた。
松任谷正隆グループとのステージは
スチールギターや、ストリングスが効果的で
カントリー系の雰囲気でゆったりと聞けるものが多かった。
久しぶりに歌った 『結婚しようよ』
は
帰れ帰れの引き金となり得ないか、不安を抱えての歌という認識をもってたので
勇気のいる選択の中で
当時 のMCでこう言ってる。
「じぁねぇ〜 次は、古〜い歌を 歌います」
というMCのあと
バンジョーのイントロから始まる
『結婚しようよ』の歌い出しが分かると
観客の悲鳴のような歓声があがった。
緊張から笑みが漏れた歌い方
に終止した、
一番を歌い終わったあと
緊張が緩み
拓郎さんはオナラをしたようだ。
笑い声をあげて照れ隠しで間奏になって。
この歌で
必要以上の緊張はする必要はないと悟ったのか
本来の拓郎さんのペースとなったような気がする。
映像で見た第2部のステージ
そして音源
当時を知らないものとしては
ステージ三回分には匹敵する
この日のコンサートインつま恋。
はそれを思っても
大変貴重だし、羨ましい限りなのである。
たしかに75年の拓郎さんは
このコンサートインつま恋一本で
ほかのツアーとか
ライブは一切やってない
よほどここに、全てをかけるつもりだったようで
男の散り際、
ケジメの付け方、
作品を通して吐き出す歌と言葉は
1970年から1975年までの 総括として、
もはや 観客対吉田拓郎
との時間無制限一本勝負の様相かもしだしていた。
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