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さてさて
80年代には
雨後の筍のように
堰を切ったように
多くのアーティストが誕生し
ミュージックシーンに
なだれ込んできた
「そろそろ違うアーティストを聴いてみようかな」
なんて
よりどりみどり状態の需要と供給の
バランスが
逆転してしまった
ミュージックシーンだ
60年代〜70年代中盤は民衆から
求められて
その
オピニオンリーダー的
アーティストを探されてた
まだ若者の歌が確立されてない
自由と若者のための歌が…
歌の送り手側
いわゆる
歌を供給する側は
圧倒的に少なかった
需要はたくさんあったのだろうと思う
その時代
だから
素人上がりの
フォークアーティストなるものが
あの頃も
雨後の筍のように
出てきて
たくさんのスポットライトを浴びてきた。
若者が歌に渇望していた時代
そして
80年代は
出揃った環境の中で
選択、選別の時代へと
入っていった。
自分好みのアーティストを
探す楽しみと
歌を見つける楽しみ
数あるアーティストが
誕生した中
最近ふと
思い出した。
八田雅弘さん
1985年
尾崎豊さんが大きなうねりをつくっていて
脚光を浴びていた時期でもある
尾崎スタイル
が定着し始めていた時期。
1984年6月21日シングル
ミスター・ナーヴァス でデビュー
2枚目のアルバム
1985年
7月5日
「俺は人の海を櫂も持たずに船をこぐ」
というタイトルのアルバムをリリース
そのキャッチコピーが
また
キザでカッコいい
いかにも
80年代らしい!
打ちのめされるのは
怖いけど
身構えながら
生きては行けない
ここでひとつのけりつけるまで
この街の心臓めがけて
燃やし続ける
なかなか
骨のあるアーティスト?
そんな雰囲気をまとわせて
尾崎っぽい
作風が
受ける最短ではあるものの
その辺の色分けが
ないけれど
歌の溢れていた時代
聞き漏らしていた歌でもあった。
改めて
聴いてみて
なるほど
好みではあった。
八田雅弘さんに関して
また、続きを…
なかなか骨太の一曲。