学生の時からアコースティックバンドを組んでいて
進学、就職
とそれぞれの道へ
流れていきながらも
何か
創作心それぞれ
失ってはなくて
ひっそりと
こっそりと
何か夏の爪痕を残そうと
その友人と画策していた。
僕たちは
あの夏
夏の日の少年だった。
少年期はとうに過ぎていて
青年…の終わりになっていたのかも
もう大人の扉の前に立っていた
そんな季節だった。
ハンディビデオを持って
車を走らせる
あの時流行っていた
MV(ミュージックビデオ)を
撮ろうじゃないかと
前の晩に絵コンテを書いて
シーンをコマ割りしながら
ロケ地を決めて
男二人
夏の日に
出かけて
もう、夏も終わりの頃だった
今なら
何もかも
若かったって
小っ恥ずかしい思い出だけど
映像の中の僕ら二人は
真剣に
その映像を撮っていた。
カッコいい
言い方をすれば
片岡義男の小説的な
少しキザで迷っている風な
青春を置き忘れた青年を
地でいくような
僕らを演じながら
つくる喜びを噛み締めながら
ゆく夏の海辺へと
車を走らせた
ナンパ目的でもなく
かと言って
目移りはしていても
何か詩人のような
物思いにふけた心を隠し持って
海をキザに観ていたり
ぶっちゃけ
なりきって
映像に収めていた
MVだから
あとは音楽をかぶせる
ミキシングするわけだが
特別凝ったものでなく
手作りで簡単に作ってしまった
アナログのMVひと夏の思い出だった
まさしく
夏の日の少年…
当時NOBODYが大好きで
ポップでファンキーな
彼らの音楽が一番僕ら世代には
引っかかってた。
今思えば
この歌を聴くと
その彼と撮ったMVの映像が
閉じた瞼にすべて映る。
もう、映像と音楽がリンクしてる。
これは
僕の記憶に塗り替えることのできない強固な印象として
へばりついている証拠。
良くも悪くも
逃げられない思い出として
恥ずかしい思い出として
酸っぱい思い出として
あの夏の日
少年に戻った
記憶。