東北大震災から10年です。
私は震災3年後に石巻市に行って
来ました。
あれからもう7年。多くの児童の
その後の裁判を経て学校側の情勢見
誤りがはっきりしたものの、遺族に
は多くを失った事実は消えないまま
です。
津波の恐ろしさは現場を見ればは
っきりします。津波が児童たちに
かかってきたとき、学校のそば
にすぐ逃げられるのに、児童たち
は校庭でにじっと待機していた。
そこへ校舎を乗り越えて津波が襲
い掛かった。説明をきく度に児童
たちがかわいそうで涙がでます。
石巻市内では、浸水の現場となった
海岸べりと、市内との高低差による
被害のありなしがはっきりしていま
した。
市内の道路わきには児童のお地蔵さん
が学帽をかぶっていました。私はいく
つかの地蔵にお経を挙げてきました。
7年前、石巻は震災工事の真っ最中でし
た。元気なうちに東北大震災地を訪れて
犠牲者を悼んでよかったと思っています。