人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

80 ミステリーゾーンへ突入

2014-12-31 12:52:00 | こわいぞー
新年おめでとうございます。
寒い元旦ですが、皆様元気に新年を迎えられた
こととお慶び申し上げます。

今年も人生アラカルトを続けますので、よろし
くお願いします。

さて、もうすぐ80歳になります。
これまで、60,70になった時、人生の延長
線上に通過している目印くらいにしか感じてい
なかったのですが、平均寿命を通過するとあっ
て、これはえらいことだと、心底考え込まざる
を得ません。

人生仕上げの時期というより、収束の段階なの
ですが、私には80になればこその面白さも期
待できるのではないかとあがいています。

つまり、ミステリーゾーンなわけで、それはお
いおい書いて行きます。

昨年は信じがたい出来事に出くわし、驚きまし
た。その度合いは仰天の域に達します。

朝日新聞が地に落ちた数々の誤報?虚報?捏造?
報道事件です。

私は大学出たてのころ、何をしようかともがいて
いました。友人からの縁で突然、新聞記者になり
ました。

坊やが突然社会の、それも激流に投げ出されたも
同然状態でした。世の中を知らず、文章も下手な
記者でした。それを人間的に叩き直し、新聞記者
としての土台をつくってくれたのが、朝日新聞
でした。厳しい先生はいたるところにいて、特に
世話になった方々、多くがすでにこの世から去ら
れていますが、これら先輩たちを思うと頭が下が
ります。

昨年、世間中から非難や攻撃を受ける朝日新聞に
ついて明らかになることは、マスコミとして、新
聞社として、してはいけないことの羅列でありま
した。

してはいけないことの前に、報道はこうあるべき
としての模範を垂れるのは朝日新聞だといまでも
思っています。

それが虚像になり下がった。
実に情けない。

朝日で十分めしを食わせてもらったので、卒業し
たのでわしは知らんと、言いません。
誠に申し訳ないこと。えらいことをしてくれまし
た。

急に出て来た不祥事でなく、知らず知らずの
うちに出て来た病いのようなものだけに、ことは
深刻です。

新聞全体は凋落の道を様相を見せています。落ち目
なのにその足を引っ張るとは。申し訳なしです。

朝日はつぶれるのではないかと、最初思ったのです。
過去に全国紙がこけた事例があったからです。あれ
よあれよという間に部数を減らしていったのを思い
出します。記者クラブでその新聞社の記者が「社の
電話がまだ通じるだろうか」と心配顔でした。

朝日は、問題を起こして部数を減らしているものの、
まだつぶれていません。

これからがんに蝕まれてじわじわ弱っていくかも分
かりませんが、朝日は土台まで腐っていないと思い
ます。

えらいことをしてくれましたが、いま気が付いてよか
った。外の方々にもお願いして、素直に悪いところは
治して行きましょう。必ず社会に役立つ新聞に立ち直
ることでしょう。

社員の人たちへの風はきついでしょう。
でも再生へ向かって踏ん張ってください。
obたちも応援していますから。

では、皆様のご多幸、ご無事を祈ります。

死ぬまでの目標が見つかった

2014-12-28 16:41:12 | 音楽療法
年末にコンサートはないものか、とネットであちこち探したら
あった。

コンサートではなく、音楽教室の発表会。しかも伏見の近くの
文化会館であった。
ピアノとフルートの生徒さんが朝から夜まで、日頃の練習の成果
を発表していた。

幼児から大人まで年齢層は幅広いが、白髪のご老人がホルスト
の「木星」を演奏した。御同輩とあって、演奏後年齢を尋ねる
と84歳で、フルートを始めたのが70歳、というではないか。

私は69歳から始めている。いますねえ。いい年をして同じ趣味
を持つ人が。

実力は。これはいわんとこ。

84歳で、真剣に音の世界に立ち向かう姿はなんともいえない。
私もあんな姿なんだろうか。

教室は多くの生徒がいて、3部に分かれていたが、2部の最後に
演奏した青年はドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」であっ
た。
これは見事であった。

生徒さん? 演奏会後係りの人に聞いたら、発展途上のミュ
ージシャンだった。
やるもんじゃ。

これで、80の目標が決まった。

84歳の舞台を見たし、素人でもドップラーが吹ける。
私にはとても無理な難曲だが、死ぬまでに、演奏会を開くぞ。

被害者には、申し訳ないがもうちょっと待っていてくれ。


便利になったプリンター

2014-12-28 03:47:24 | お勧め
壊れたわけでもないが、新しいプリンターを
購入した。色が褪せてきたように感じたから
選手交代を命じた。

年賀状を刷っているとき、プリンターに不都
合が起きると、イライラする。

これまでもリンターの交代時期は年賀状がう
まく刷れない時であったあったように思う。

最近の電気機器は調子が悪くなったら、買い
換えた方が無駄な苦労がはぶけてよいみたい。

プリンターはキャノンを使っている。
とくにいいから使用しているわけでなく、残
っているインクを使い切るため。
カメラも昔からキャノンだが、レンズがキャ
ノンだから。余計な話だった。

で、新しいプリンターは性能がよくなったの
はもちろんだが、値段札が重なっていたので
めくると1万円は安くなっていた。

パソコンでも半年ごとに新製品が出るので、
前の機種はぐんと値段が落ちる。

老人が新しさを求める姿はお笑い。半年は
おろか1年前のでも結構。また無駄話。

新しいプリンターはどうだったか。
wi-fiに対応しているから、無駄なコードが
一本ない。配紙トレイなんかも自動で開いて
くれる。

他にも、スマホを意識した使い勝手が宣伝文
句だが、私はパカンのガラケーだから関係な
し。

印刷に文句はなし。年賀状はたちまち完成し、
あとはポストに運ぶだけであった。




年賀状をやめると、どうなる

2014-12-25 10:16:12 | 判断は勝手
年末の仕事に年賀状作りがある。
と、思っていたら最近はスマホですませる
人が多いという。

年賀状がつまらないと不評を買うケースに
決まりきったパターンがある。「賀正」
「謹賀新年」とだけ。

同じものを毎年出す人もいる。

だから、「来年から年賀状をやめます」
と宣言した人を何人か知っている。


やめた人は慣習から離れてせいせいして
いるだろう。

もらう方からすると、年に一回のやりとり
から抜けるから、どうしても相手の影が薄
くなる。

習慣から抜け出すのは容易でない人は死ぬ
まで送り続ける。

私は1年間撮り続けた写真の中から10枚ほど
選んで、はがきに押し込める。

写真が毎年変わるので作業は面白さが加わ
る。写真が撮れなくなるまで、続けるつも
りだ。


「がんもどき理論は仮説」という意見

2014-12-19 06:41:49 | がん治療
「がんもどき」は本物と違い転移のないがんなので
放置してよい、との近藤医師の本を3冊持っている。

最初の胃がんとき、初めて読んで「ほ、ほー」と思った。
2度目の胃・食道がんの時また買った。

しかし、先生の理論に従って自身のがんを放っとく気
持ちになったことはなかった。

高血圧治療はいらない趣旨の本も読んだ。こっちも納
得がいったが、今朝も薬を飲んでいる。

いつものように血圧計で血圧を計り、数字を書き連ね
いる。これは半分継続を好む性格によるものだと、思
っている。

高血圧の範囲がどんどん低くなっている疑問はその通
りだと納得しているが、それに反論する本がまだ見つ
からないからでもある。

胃を切った人ための情報誌の12月号で「がんもどき理
論は仮説だ」と、理論を真っ向反論する論文が出た。

患者の中には理論を受け取り、がんを放置した結果、
初期がんが進行がんになった例が多数あるという。

結果、死んだ患者もいると書いてあった。

え?がんもどき理論を信じてしまった人もいるんだ。

こっちは、医学を知らぬ素人。
一つの理論が大手を振って歩いているのに、ストップ
をかける声が小さい。お医者さんは無視が多いように
思う。

がん患者は、すがる思いで治る方法を見つけようとし
ているのだ。

がんもどき理論はおかしいと反論する意見がもっと出
てもよいのではないか。








一人暮らしお年寄りの安全について

2014-12-13 20:57:51 | お勧め
団地の理事会で一人暮らしのお年寄りの安全に
ついて話題になりました。いくつか安全を確か
める案など出ましたが、実行するにはいまひと
つです。

一人暮らしの老人になにか身体的に危急なこと
が起こった場合… 自分で携帯を含め、電話さ
え掛けることが出来れば救えます。

心筋梗塞? 脳梗塞? 自分で危急を知らせる
ことができない場合、残念ながら救いようがあ
りません。親しい人が住宅内に多くいても、い
ざという時に役に立ちません。

しかし、救うことばかりが問題になりますが、
救われる側にも自助努力が必要です。

先ず住宅外に肉親者がいれば定期的に毎日メー
ルで「元気」だけでも報告。とにかく近所の人
と仲良くする。自分の存在を示す。メールアド
レスを教える。旅行するときは役員にひと声か
ける。

そして常日頃自分の健康状態を掴んでおくこと
が最低限の対策でしょうか。

だから?の答えの一つ

2014-12-07 07:38:33 | お勧め
年をとって、あまり人が大勢出るのはよしなさい。
という声を聞いた。
だから?

答えを新聞や本から見つけようとした。

あった。
与謝野馨さん、76歳。こちこちの自民党かと思っていたら、
民主党時代に経済財政政策担当を務めた。
与謝野さんはがんで声を失った。
だが、今では「声を選ぶ、生き方を選ぶ」という題
で講演をしている。

政治家が声を失うことは一番の武器を失う。
それでも、シャント法という発声の仕方を見つけて
講演までしている。

86歳のご婦人は毎朝、新聞のコラムの一つを英訳をして
いる。

やる-

年をとって外へ出ることは危ないから、といって炬燵に
入ってテレビを見てばかりでは能がない。
認知症へまっしぐらではないか。    だから?


嵐山へ行って”腰が抜けた”

2014-12-07 07:06:26 | 雪害
ニュースは大雪に見舞われる被害に集中している。
自動車が身動きがとれず、雪中に取り残された。そ
れが北の話ではなく、四国だからほぼ日本国中寒波
にある。

先月末、嵐山に紅葉を撮りにいってえらい目にあった。
翌日、脚が動かなくなったのだ。まるで腰が抜けた状
態であった。

としを忘れて、人が殺到した観光地へ行くからや、との
声が聞こえてくるよう。

腰抜け状態は10日ほどで治った。
金沢での法事にも行って来た。

あれはなんだったんだろう。

いやいや、年をとるとなにが起こるか分からない。

だから?

じっとしとれとか。

          それはできないこと。
だから?

おじさん、おばさんの意見は貴重

2014-12-06 22:35:45 | 行ってみて
金沢の弟が住職しているお寺で、E叔母さんの一周忌
があった。金沢は冬の訪れで冷たい雨が降っていた。

法事には従妹夫妻や姪、その子、叔母さんからひ孫に
あたる可愛い女の子も来ていてにぎやかだった。

お昼に寿司屋で久しぶりにおいしい寿司を頂いた。
その時に献杯の挨拶をしてほしいとのこと。

瞬間に思い付いたのは、〈おじさん、おばさん〉という
存在について。

私の父親は私が高校生にのころ、病気で亡くなった。
以来、一周期のおばさんと先に亡くなったおじさんにい
ろいろお世話になった。

私が子供のころから、叔父叔母とは親しくしていたので
親父代わりの存在であった。

進学、就職、結婚と人生の折り目、折り目で意見をもらっ
たような気がする。

とくに結婚の折に私は親から見れば、とんでもない女性を
選んだものだから、母にせっつかれてわざわざ関東から金
沢へ意見をするためやってきた。

おじさんは親と違っていきなり反対するわけでないし、子
供のころから私という人間を知っているので、諭すのがさ
ぞ難しかったであろう。

おじさんから何をいわれたか、すっかり忘れた。
私は周りの反対を押してその女性と結婚した。しかし、あ
とあとおじさんとは有難いものだと思った。遠路はるばる
私の将来を考えてやってきてくれた。

親ではない、友人とも違う。しかし、事情はよく知ってい
る。それがおじさん、おばさんだ。

こんな人の意見は貴重なのだ。