人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

夕日が沈む越前海岸の美しさ

2012-07-27 22:03:22 | 日本海
新潟に向かっています。
420キロのドライブ。
京都から上越までETCを使って、普通は名神ー北陸道
を走りますが、今日は京都から一般道の湖西から、
敦賀へ向かい、敦賀から北陸道に入ります。名神は湖東で大
きくえぐっていますから、湖西を走るのと時間的には差があり
ません。

いつも、思うことはハイウェーの通行料が高いこと。
京都から上越まで割引なしで走ると10000円近く取られます。
これは高過ぎます。民主党がETCを大盤振る舞いをしたことがあ
りました。
いつどこを走っても1000円。ただにせいとは言いませんが、
元を取った名神などは1000円の通行料がいいところではな
いですか。

それでは、JRが困る。瀬戸大橋が儲からない。船がやって
行けない。社会は皆つながっているのですねえ。
こっち良ければあっちが立たずです。

それで、年金生活の年寄りが頭を絞った高速料金3分の一
作戦はー

先を急ぎます。



どこのサービスエリアでも目立つのはゴーヤすだれです。
これは完全に強力な夏の日差しをシャットアウトします。
石川県のSAに尼御前があります。

ここの裏手は越前国定公園がきれいに広がっています。
ちょうど、夕日が沈む運に恵まれました。




店の中から美しい夕日が水平線に沈む光景が見られます。
敦賀から、徳光のSAで停車。ここに、温泉が近くにあります。
塩っぽいお湯です。

ここから、各SAで休み休み走り、12時前に上越到着。
12時の時報を確かめてから、ゲートを出ます。
3,350円でした。
夜間零時から4時まで高速道を利用すると4割安くなります。
京都を午後3時にでていますから、先を急がない12時間の
ドライブでした。





マスコミにあおられて、選手も大変

2012-07-24 15:50:41 | 不思議な話
嫌な予感がする。

力落ちたイチローが移籍することで、大騒ぎする
マスコミ。

それで、オリンピック。
ゴムの伸びきって落後していった選手と国民をあ
おったマスコミ。

また、シャーシャーとあおっている。

今夜から、女子サッカーが始まる。

でも、興味はあるがね。

日の丸は大好きなんだ。

亡くなった人と交信するには

2012-07-23 19:27:09 | 不思議な話
亡くなった人と交信したい、もう一度夢で会いたい。

その前に、親しかった人との思い出を再現しよう。
アルバムを引っ張り出す。
写真の情景は。

今年亡くなった親友の若いころだが、いつか分か
らない。かれの新築の家で、2人で撮った写真だ。
じっと、写真を見つめる。

こんなことをしゃべっていた。
お互いマスコミという道を歩いている。
新聞とテレビと報道の仕方は違うが、しんどいが
面白い世界だ。

先はさっぱり、つかめないが、それでいい。

いや、こんな真面目な話はしなかったはず。

彼とは大学で知り合った仲。
だが、真剣に学問について話したことがなかった。

彼も私も、新聞社や放送局に行くとは、試験を受け
るまで思いも及ばなかった。行き当たりばったり。

だから、全く知らない世界に2人とも驚くとともに、
苦労も一杯した。
多分、話すことはいっぱいあったはず。

じっと写真を見つめると、かれは微笑んで「そや」
と云った。「そんなだらな」とも云った。

これが、交信の始まり。

それから、何年もして私は金沢に転勤になった。
かれは、テレビ局の顔となって活躍していた。
彼が云う事、私がしゃべったこと、大体想像が
つく。

それは、親友だから。

彼と交信が続けられるとあとは簡単だ。

彼は意見を云うとふっと消える。


夢のなかで、亡くなった人が出てくる場合

2012-07-22 20:07:11 | 不思議な話
人は眠っているときに、父や母が出てくる夢をみる。
「最近はよく親父の夢を見る」とか。

その夢の中では、生前と同じように故人と同じよう
に生活をしているから妙だ。


目が覚めれば「なんだ夢か」で終わってしまう。

考えれば、亡くなった人のことをなんにも思って
いなかったら夢に出てこないはず。
なにか、思うところがあるから出てくる。

時には、大学時代の恩師が出来たり、会社でお世
話になった先輩が出てきたりする。

このことは、あなたは大変幸せな人生を送っている
証拠なのだ。あなたを大事に思ってくれる人が沢山
いた、またはいるのだから。

ところが、昨日の夢をまたみたい。また、先輩に
会いたいと念じても、先輩は出てこない。

そんな時は、どうする。

テレビなら、ここでコマーシャル。




偲ばれる人になるということ

2012-07-20 03:41:24 | 不思議な話
5歳で亡くなった姉のたきちゃんは、暖かく私の心に
甦っている。

一枚の姉と弟が写った写真が作用しているのだ。

一番年が近い私ですら、たきちゃんのことを偲ぶ
ことはなかった。たきちゃんとの思い出が全くない
から。

ただ、人間は空想ができる。今頃、たきちゃんが生
きていたらーいろいろ、楽しいことを思えばいい。

あ、そういうことか。供養するということは。
5歳で亡くなった姉とも交信ができるのだ。

まして、妻や両親など肉親。そして親しかった人たち。
世話になった友人、目にかけてもらった大学の恩師、
会社の上司。懐かしいが、「どや、ちゃんとやって
るか」と、いまも見ていてくれるこわい存在でもある。


どんな人も死んだらおしまいや、いうのはうそ。
自分が死ぬまで、横にいてくれる人たちなのだ。


自分も偲ばれるには。

いつも、しゃんとせなあかんのと違う?

夏に絶品 スイカに梅干しのジュース

2012-07-19 20:41:12 | お勧め
新聞のべた記事のレシピを見たら、「すぐできる」
が見つかった。

《スイカと梅干しのジュース》
スイカの種を取り、少量の梅干しとともにマジックブレット
(ジューサー)で撹拌するだけのジュース。

①冷たくして、そのまま飲んでもいい。
②切ったスイカにかけて食べる。
③目玉焼きにかけてもgood

大体出来あがりは想像つくでしょう。
梅干しはそれこそ、塩梅してね。

マジックブレットは手のひらに大きさで、後の洗いが
簡単。強力なモーターがついており、いろいろなこと
ができて大変便利です。



パー、グー、チョキ《》グー、チョキ、パーの戦い

2012-07-19 00:12:29 | お勧め
一人ジャンケンをする。

右手でグー、左手はパー。
左手の勝ち。

右手でグー、チョキ、パー
左手でパー、グー、チョキ

これを同時にしたら、どうなるか。

2,3回練習すれば、だれでもこれくらいは楽々。
オール左手の勝ち。

進んでー
右手と左手が違う動作が出来れば、ピアノが弾ける

暑いのが「祇園祭」の売りでっせ

2012-07-17 20:00:26 | 京都の名所
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祇園祭は真夏の太陽が京都を照り付ける。
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祇園祭の主役は先頭を切る〈長刀鉾〉だ。
鉾の天井を飾る長刀がキラリ刃先を光らせる。

長刀鉾は毎年「くじとらず」として必ず巡行の先頭を行く。
囃子方の前に座る稚児はしめ縄を真剣で切りスタート。
笛と太鼓が「こんちきちん」 屋根には「屋根方」が2人。
地上から屋根まで8メートル。
一番暑い役を引き受ける。
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動く美術館とはよく言ったものだ。
大きさといい、美しさといい、そして品格。
まさに都大路にふさわしい主役と言えよう。
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この日、京都は36.4度だった。
河原町、お池の通りに16万人が詰めかけた。
目立つのはツアーの団体、それに外国人観光客だ。
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鉾や山を弾く男性たちに外国人も多く参加しているという。

「暑い」「暑い」と観客たちは木陰を求めていた。

暑さが、祇園祭のエネルギーを生んでるのでっせ。


祇園祭、宵宵山は日曜日と重なって

2012-07-15 23:37:57 | 京都の名所
すごい人の波でした。
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去年、祇園祭をつぶさに見たものだから、今年は出かけるのを
よそうかと思っていたが、夕方になると、足がむずむず。

地下鉄で烏丸四条を降りて四条通りを出て、「・・・」
通り一杯に人、人、人。

鉾に上がれるとあって、長い行列が出来ています。
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烏丸通りの次の南北の室町通りは、人が詰まっていて
入れません。
仕方ないので、四条烏丸から烏丸通りを上に上がって
東西の錦小路へ行こうとすると、一方通行となっていて
これも入れません。
このまま、お池通りを北へ上がって蛸薬師通りへ。
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子供たちがちまきを売っています。
女性ばかりで、華やかな店ですね。
でも、人の群れに圧倒されてしまい、この夜は早々に地下鉄
で逃げ帰りました。

亡くなった”姉のたきちゃん”と私

2012-07-10 22:46:08 | 日本海
金沢の叔母の一周忌に兄弟姉妹4人が集まるブログ
を書いたが、法要は先日日曜日に営んだ。
そのとき、東京から来ていた従姉妹が持参した
1枚の写真に、私は驚いた。
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遠い遠い昔の写真。5歳で亡くなった姉のたきちゃん
と私が写っている。

たきちゃんは肺炎で急死したと聞いている。
見ての通りの可愛さだ。

たきちゃが亡くなったとき、母が嘆き悲
しんだ。一周忌の叔母からそう聞いていた。

父はお坊さんである。
「たきちゃんはどこへ行ったの?」 黙ってい
る父に何度も聞いたそうだ。

幼いわが子が亡くなった事実を認めたくない母。
その横で訳もわからず私ははしゃいでいたそうだ。

この写真を見ると、いかに私たちが愛され、大事
に育てられていただろうことが、伝わってくる。
可愛いかっこうをさせて、金沢の写真館で写した
記念写真である。

あれから75年の年月が経った。
がんになんども冒されながらも、私はまだ生きて
いる。

それに比べてたきちゃんは、学校も行かずに死ん
でしまった。

やはり不幸だ、不孝だ、たきちゃん。

写真を見ながらなんどもなんども姉の名を呼んだ。
親に代わって呼んだよ。

たきちゃん