人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

母が好きだった《どんこう》の旅

2016-11-30 17:01:51 | 80はミステリーゾーン
母親はがんで死んだが、治療前は小旅行を楽し
んでいた。急行とか、特急よりも各駅停車の
「どんこう」がいいと云っていた。

そうだよね。年をとってなんで先を急ぐ。
北陸線とか山陰本線のどんこうに乗ると、土地の
人が乗って来る。通学の高校生が乗って来る。

どんこうは土地そのものが乗って来る。
乗客たちの言葉がいい。

私も、災害で辛うじて運転した北陸線、旅で乗った
山陰線に思い出がある。

私は金沢の出身だから、金沢弁は知っている。福井
武生に勤務したから、福井弁を聞いていた。

「こっちこられ」は富山県、「きまっし、よるまっし」
と石川県、福井県は語尾に特徴あり。

NHKの朝のテレビで、能登半島の言葉が生々しく出て
いた。

しかし、現実で若者は標準語が普通。

母は京都へ来るたびに「これで見納め」と何回云った
ことだろう。

京都駅へ母を迎えに行ったはいいが、混雑の中会うのに
難儀した。当時携帯がなかった。

いつも見てるところが、ミステリーだった。

今乗りたいローカル列車は、青森県の五能線、新潟県の
飯山線だ。

まだ足が動いているうちに旅にでなくては。
独居老人には一人旅がふさわしい。
尾羽打ち枯らした老旅がらす。

破れ三度笠を見たら、それは私でござんす。




禁酒で半減、早期食道がんの再発

2016-11-30 05:24:46 | 80はミステリーゾーン
裏返せば、早期がんで治ったと思っていても、酒を
飲んでいたら、再発するよ。

新聞を読むなり、身を正した。
やはり。孫娘の結婚式で久しぶりに少量ながらシャ
ンパンやビールの味を確かめた。

うまかった。長い間、酒は飲んでいないが舌や喉は
覚えている。

食道がん治療中に、ビールを飲んでいることを外科
部長に云って叱られたことがあった。「アルコール
でがんになったんでしょう」

記事によると、内視鏡で治療を受けた330人に、
治療2年後飲酒した人、しなかった人の再発結果を
みると。
禁酒ししなかった人16%、禁酒した人で9%だった。

ほかの条件も含めて、全体の傾向をみると、禁酒し
た人の再発リスクは、しなかった人に比べ53%低
かった。

私の食道からがんを取り除いてくれたのは、外科部
長でなく消化器内科の先生だった。

先生は半年ごとの検査を受けるように指示し、毎回
口の中から食道全般を診てくれている。

お陰で、再発の兆候はみられない。

酒について、「少しぐらいならいいだろう」との甘い
考えが吹き飛ぶニュースであった。


冷蔵庫 奥に行くほど ミステリー

2016-11-28 14:30:11 | 80はミステリーゾーン

これが、私には分からん。
いつ買ったか覚えがない食品が冷蔵庫に陣取
っている。かちかち、ぶにょぶにょ。

折々のことばに奥様を題材にした川柳選が登
場した。

口に入る食品を川柳の題材にするところまで
いいが、かちかちの状態になるまで放置する
主婦がいるのか。笑えんなー

タンスの中の衣類は大丈夫?







今日のお昼は牡蛎入り味噌うどん

2016-11-28 13:53:18 | 80はミステリーゾーン
台所の仕事一切できないという友人がいる。
友人は奥さんを亡くしてから、食事に苦労した
と言って高い有料老人ホームに入ってしまった。

全部奥さんにおまかせの人生を送っていると、
奥さんに亡くなられると、お手上げ状態と聞く。

料理と考えるから、面倒くさくなる。自分が
食うのだから、かっこつけなくていい。
でも、栄養のことは考えよう。でないと、妻を
失った男は短命と言うからね。


今日はお昼に、「牡蛎入り味噌うどん」をつく
って食べた。

鍋で湯をわかし、白菜、シイタケ、細切りの人
参、牡蛎とうどん、味噌をといていれて、ひと
煮えさせれば食べられる。

味噌は目分量。多ければお湯を足せばいい。

冬にこの鍋はだれが作っても失敗なし。うまい
ことこのうえなし。しんの底から暖まる。

独居老人のずぼら料理。ほかにもたくさんある。


独居老人が家で動けなくなった時

2016-11-27 23:10:06 | 80はミステリーゾーン
足裏(太もも)が寝ている時に痛みが出て、立てなった。
その後、家の中でもぞもぞ動いているうちに歩けるよう
なった。

独り暮らしで、動けなくなったら、どうする。

這いずってでも動けるようだったら、電話があればなん
とかなる。

前日、米を含めて一週間籠城しても持つくらいの食料を
買ってあった。

問題は、朝ごはん用のパン、牛乳。やはり3日間分しか
もたない。

かつてうどん屋があって、電話をかければ持ってきてく
れた。
いまは出前は寿司屋くらいか。

生協が配達してくれる。そんな電話があった。

手足がしっかりしておれば、車の運転ができる。自転車も
同じだが、ふらつくと危険だ。

いろいろ、考えているうち足の痛みは去った。
これで終わりではないだろう。

その時また、考えるか。地震が起きた時も同じような場面
だろうし。


足の裏がつっぱって歩けない

2016-11-26 15:12:17 | 80はミステリーゾーン
朝、目を覚ますと、両足の裏がつっぱっていた。
近くの机にすがって立ち上がった。

昨日、新京極へ行った時はなにごもなかったの
に。

ネットで調べるとやはり老化現象らしい。
でも、歩けなければ生活に支障がでる。

日頃、年をとって一番気をつけなければならない
のは風邪と足の怪我。風邪はこの間、ようやく治
ったばかりだ。次は足の故障か。

大相撲を見ていたら、「勝ち星がなかなか出ませ
んねえ」という力士がいた。

おれも同じや。不自由ながら、もそもそ動いてい
るうち、足がなんとか前に出るようになった。

新京極の「たらたら坂」とは

2016-11-26 14:19:07 | 80はミステリーゾーン
歩幅でたった11歩の坂が修学旅行生で
賑わう新京極と三条通りの間が坂でつな
がっていた。名は「たらたら坂」という。

新京極は北の端は三条通りにぶつかる。



坂の勾配は角家の床下を見れば分かる。



ここはシネコンがあるからよく通るところ。
いわくがあるとは知らなかった。

秀吉の時代、鴨川に三条大橋が作られた。
鴨川の河原に堤防状の道路を作った。それが
三条通りで、両側に斜面ができた。

それが、ただ一つ残る「たらたら坂」だが、
名称の意味はこの歴史が書いてあった新聞
にはなかった。なお、筆者は《京都高低差崖
会の会長》だった。





赤とオレンジに染まる東福寺

2016-11-22 19:35:15 | 80はミステリーゾーン
自宅から自転車で15分くらいで東福寺に行ける。
途中、伏見稲荷大社に吸い込まれそうになりなが
ら車の一方通行を縫いながら東福寺の山門に至る。

東福寺の紅葉は盛りを過ぎようとしていたが、人の
並みは延〃続く。

400円の通天橋・普門院庭園の拝観料を払って列
につく。そこは赤とオレンジの色彩に包まれていた。











通天橋は逆回り。最後の行程になっていて、「撮影は
しないで、止まらずに進んでください」とアナウンス
があるが、聞くものなし。
一番の絶景を写真で収めずに帰られようか。

いうほどの混雑はなし。
それも、境内の広いことから、各所に分散しているから
だろう。

今日は天気が良かったから、写真にも反映した。


秋色に彩られた美しい街、かなざわ

2016-11-21 17:07:34 | 80はミステリーゾーン
孫娘の結婚式で金沢に来た。
週末とあって、金沢駅はすごい人。

その晩はホテルに泊まって、翌日友人に会うために
香林坊へ出かけた。

香林坊には2度の転勤で8年通った。

いまではすっかり様変わりしてしまって、骨格は同
じでも姿形は昔の面影を見つけることはできない。

交差点はかつて電車が走っていた。









さらに、風景が変わったのは、広坂通りと左手に広がる
かつての四高辺りだろうか。

繁華街のすぐそばに四高記念館・近代文化交流館、そして
緑の広場。その奥に金沢城、兼六園へとつながる。

かつて勤務していた時は、パチンコ屋、映画館がある繁華街
であった。いまは街そのものが絵画。

香林坊の裏手に柿木畠という町がある。用水に面して寿司の
「蛇の目」、学生時代の写真にある喫茶の「芝生」がある。






おでんの「高砂」も健在。

しばらく歩くと、高校、大学と親友であり、ご両親の店
があったビルがある。

すべて、記憶は頭の中。思い出すばかりの金沢。

香林坊下がったところのベーカリーで高校時代の友人と
待ち合わせていた。急がねば。