河北新報に連載されている「秀句の泉」の中から、心に残る俳句を紹介します。
永瀬十吾さんが選び、解説を担当された作品です。その解説を通して、俳句の向こうに
広がる世界や作者の思いが見え、俳句のすばらしさを改めて実感することができました。
河北新報「秀句の泉」より 3月18日付け
Pianissimoたとえば春の
池のふるえ
菅原 はなめ
掲句から、オーケストラの指揮者の姿が思い浮かんだ。
音楽用語のピアニッシモは、「非常に弱く」を表す記号だ。
だからといって、ただ音を小さくすればいいわけではない。
指揮者は、具体的な情景にたとえて、演奏者たちに音楽のイメージを伝える。
「春の池のふるえ」から、まだ冷たい春の風や、舞い落ちてくる桜の花びらなど、
その小さなふるえをもたらした春ならではの世界も連想される。
小音であるがゆえの繊細で豊かな音楽が生み出される。
「むじな2024」より (永瀬十吾)
ピアニッシモのアルファベットの表記が、印象的な俳句です。
明鏡国語辞典によると、ピアニッシモは、イタリア語の名詞で、【音楽の強弱標語の一つ。
「きわめて弱く」の意を表す】とのことです。
春の奏でる音楽は、ピアニッシモのかすかな響きとなって池をふるわせているのでしょうか。
それは、永瀬さんの解説にあるように、水面をふるわせる春の風でもあり、舞い落ちる桜の花びらでもあるのかもしれません。
また、春の訪れとともに動き始めた蛙やメダカなど池で暮らす生物がつくりだす波紋なのかもしれません。
そういったかすかな春の訪れを告げるピアニッシモの音楽が、フォルティシモに変わる時、空も風も花も木も春色に染まり、
生きとし生けるものの命が輝く春爛漫の季節を迎えたことを実感するのかもしれません。
移り行く春の変化を味わいながら、春の奏でる繊細で豊かな音楽のひとつひとつに、耳を澄ませていきたいものです。
永瀬十吾さんが選び、解説を担当された作品です。その解説を通して、俳句の向こうに
広がる世界や作者の思いが見え、俳句のすばらしさを改めて実感することができました。
河北新報「秀句の泉」より 3月18日付け
Pianissimoたとえば春の
池のふるえ
菅原 はなめ
掲句から、オーケストラの指揮者の姿が思い浮かんだ。
音楽用語のピアニッシモは、「非常に弱く」を表す記号だ。
だからといって、ただ音を小さくすればいいわけではない。
指揮者は、具体的な情景にたとえて、演奏者たちに音楽のイメージを伝える。
「春の池のふるえ」から、まだ冷たい春の風や、舞い落ちてくる桜の花びらなど、
その小さなふるえをもたらした春ならではの世界も連想される。
小音であるがゆえの繊細で豊かな音楽が生み出される。
「むじな2024」より (永瀬十吾)
ピアニッシモのアルファベットの表記が、印象的な俳句です。
明鏡国語辞典によると、ピアニッシモは、イタリア語の名詞で、【音楽の強弱標語の一つ。
「きわめて弱く」の意を表す】とのことです。
春の奏でる音楽は、ピアニッシモのかすかな響きとなって池をふるわせているのでしょうか。
それは、永瀬さんの解説にあるように、水面をふるわせる春の風でもあり、舞い落ちる桜の花びらでもあるのかもしれません。
また、春の訪れとともに動き始めた蛙やメダカなど池で暮らす生物がつくりだす波紋なのかもしれません。
そういったかすかな春の訪れを告げるピアニッシモの音楽が、フォルティシモに変わる時、空も風も花も木も春色に染まり、
生きとし生けるものの命が輝く春爛漫の季節を迎えたことを実感するのかもしれません。
移り行く春の変化を味わいながら、春の奏でる繊細で豊かな音楽のひとつひとつに、耳を澄ませていきたいものです。