あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

春の奏でる音楽

2025-03-21 14:06:00 | 日記
河北新報に連載されている「秀句の泉」の中から、心に残る俳句を紹介します。
永瀬十吾さんが選び、解説を担当された作品です。その解説を通して、俳句の向こうに
広がる世界や作者の思いが見え、俳句のすばらしさを改めて実感することができました。

河北新報「秀句の泉」より  3月18日付け

Pianissimoたとえば春の
池のふるえ
         菅原 はなめ

 
掲句から、オーケストラの指揮者の姿が思い浮かんだ。
音楽用語のピアニッシモは、「非常に弱く」を表す記号だ。
だからといって、ただ音を小さくすればいいわけではない。
指揮者は、具体的な情景にたとえて、演奏者たちに音楽のイメージを伝える。
「春の池のふるえ」から、まだ冷たい春の風や、舞い落ちてくる桜の花びらなど、
その小さなふるえをもたらした春ならではの世界も連想される。
小音であるがゆえの繊細で豊かな音楽が生み出される。 
  「むじな2024」より      (永瀬十吾)

ピアニッシモのアルファベットの表記が、印象的な俳句です。
明鏡国語辞典によると、ピアニッシモは、イタリア語の名詞で、【音楽の強弱標語の一つ。
「きわめて弱く」の意を表す】とのことです。
春の奏でる音楽は、ピアニッシモのかすかな響きとなって池をふるわせているのでしょうか。
それは、永瀬さんの解説にあるように、水面をふるわせる春の風でもあり、舞い落ちる桜の花びらでもあるのかもしれません。
また、春の訪れとともに動き始めた蛙やメダカなど池で暮らす生物がつくりだす波紋なのかもしれません。
そういったかすかな春の訪れを告げるピアニッシモの音楽が、フォルティシモに変わる時、空も風も花も木も春色に染まり、
生きとし生けるものの命が輝く春爛漫の季節を迎えたことを実感するのかもしれません。
移り行く春の変化を味わいながら、春の奏でる繊細で豊かな音楽のひとつひとつに、耳を澄ませていきたいものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの歌の季節に

2025-03-17 11:27:00 | 日記
 新聞を読んでいて目にとまった記事がありました。
「ひととき」の欄に寄せられた 渡辺雅子(79歳)さんの文章でした。
 交通事故で亡くなられた息子さんへの思いやその悲しみが綴られた文章でした。
 読んでいると、「思い出のアルバム」のメロディや歌詞が思い出され、それを保育園の友だちと声を合わせて元気に歌っている息子さんの姿も見えてくるような気がしました。

 以下、全文を紹介します。

   あの歌の季節に
                         
 3月は卒業の季節です。
 ラジオから流れてきた「思い出のアルバム」(作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿)を聴いて、涙があふれました。
 この歌は、息子の保育園の卒園式で初めて聴きました。「いつのことだか おもいだしてごらん」と、かわいらしい声を出して歌う
 園児たちの中に、息子もいました。保育園で楽しく過ごした日々が思い浮かびました。
 休日は親子で過ごすのですが、動き回る息子の相手でへとへとでした。保育園の先生方のご苦労に感謝するばかりでした。
 もうすぐ小学校入学。うれしさで胸がいっぱいになりました。
 あの卒園式から四十数年が過ぎているというのに、この歌を聴くと、そのたびに涙が止まらなくなります。
 息子は19歳のとき、交通事故でこの世を去りました。生きていたら、いま51歳になります。
 卒園式はもちろん、息子が19歳まで生きた日々の「あんなこと こんなこと」を、楽しく懐かしく思い出させてくれる歌なのです。
 また、この歌が流れる季節が巡ってきました。
 元気に歌う幼い息子の姿。いまも目に焼きついています。


 我が子に先立たれた親の悲しみは、決して消え去ることはないのだと思います。
 同時に、一緒に過ごした楽しかった思い出の日々やその時々の我が子の姿も。
 渡辺さんの心の中には、息子さんは変わることなく いまでも 生き続けているのだと思います。
 ふれることも 抱きしめることも できない 悲しみを抱えながらも、思い出の中に在る息子さんとともに
 どうぞ これからも 元気に歩んで行ってほしいと願っています。


      おもいでのアルバム  作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿

いつのことだか 思いだしてごらん      春のことです 思いだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう    あんなことこんなこと あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと    ぽかぽかおにわで なかよく遊んだ
いつになっても わすれない         きれいな花も 咲いていた

夏のことです 思いだしてごらん       秋のことです 思いだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう    あんなことこんなこと あったでしょう
むぎわらぼうしで みんなはだかんぼ     どんぐり山の ハイキング ラララ
おふねも見たよ 砂山も           赤い葉っぱも とんでいた

冬のことです 思いだしてごらん       冬のことです 思いだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう    あんなことこんなこと あったでしょう
もみの木かざって メリークリスマス     寒い雪の日 あったかい部屋で
サンタのおじいさん 笑ってた        たのしいはなし ききました

1年じゅう 思いだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
桃のお花も きれいに咲いて
もうすぐ みんなは 1年生
もうすぐ みんなは 1年生


1年生になった息子さんは、どんな学校生活を過ごされていたのでしょうか。
入学式、運動会、遠足など さまざまな行事や学校生活の中で たくさんの友だちと 楽しい思い出を
いっぱい つくられたのではないでしょうか。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治詩集「永訣の朝」を読みながら

2025-03-06 11:32:49 | 日記
二十四節季の「雨水」の日に、朝日新聞の「天声人語」の中で、宮沢賢治の詩「永訣の朝」が取り上げられていました。雪が雨に、氷が水に変わる季節を迎え、最愛の妹の為に雨雪を取りに行くこの詩が思い浮かんだのかもしれません。詩にふれてある箇所だけを取り出して次に紹介します。

宮沢賢治とトシとは、2歳違いの兄妹だった。
トシは二十四歳で夭折した。賢治は詩集「春と修羅」に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。
蒼鉛色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようもない悲しさに、深く包まれた詩である。
 <あめゆじゅとてちてけんじゃ>。びちょびちょと沈むような雨雪を、病床のトシはとっきてほしいと頼む。
賢治はさもいとおしげに、彼女のその方言を詩の中で4度、繰り返す。
 松の枝から雪をもらい、トシは言った。
<Ora Ora de shitori egumo> 
私は私で一人でゆくね。詩のなかで、ここだけが英字で表記されている。
やさしい兄は妹が不憫でたまらなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか。
…(略)

この英字で書かれたことについて、皆さんはどう考えますか。
次に詩の全文を紹介します。

    永訣の朝
              宮沢 賢治
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはみょうに明るいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)  ※①
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかを飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちゃびちゃ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりとした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち ※②
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora Ora de shitori egumo)  ※③
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
ああこのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる)
 ※④
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って ※⑤
やがてはおまえとみんなとに
清い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう

※①あめゆきとってきてください
※②氷と水との二相になっているみぞれ
※③じぶんは、じぶんひとりでゆきます。
※④こんどうまれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないようにうまれてくる。
※⑤天にあり、将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒菩薩が暮らすとされるところ。

 妹トシは、日本女子大を卒業後、母校の花巻高女で教鞭をとっていたが、大正十一年(一九二二年)に結核のため二十四歳で亡くなる。心優しく豊かな教養の持ち主で、賢治にとってはこの上ない理解者であり、最愛の妹でもあった。賢治にとって妹の死は辛く悲しい別れであり、この「永訣の朝」を含め、「松の針」「無声慟哭」は、臨終の日に書かれた詩である。
 

 この詩の中の英字で書かれた部分について、皆さんはどう考えますか。

 妹トシの言葉は三つあり、一つは方言のまま<あめゆじゅとてちてけんじゃ>とひらがなで書かれ、詩の中に四度登場します。
二つ目が英字で書かれた<Ora Ora de shitori egumo> で、三つ目が<うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなぁよにうまれでくる>です。
 それぞれの言葉が、賢治にとっては忘れることのできない最期に残したトシの言葉だったのでしょう。
 ただ、一つ目は、あめゆじゅをとってくることで叶えられる依頼であり、三つ目は、病で苦しむことのない健康な体で生まれてきてほしいと賢治も共感する願いでもあったのだと思います。
 しかし、英字で書かれた二つ目の言葉は、一番辛く悲しい響きを持った言葉として記憶されたのではないでしょうか。
 一人で旅立っていくことを決意(覚悟)したトシに、どうこたえてあげたらいいのか、返す言葉が見つからないほどの悲しさが、英字の表記に結びついたのではないでしょうか。

 雨雪を求める妹の優しい心遣いを汲み取り、死後の安らかな眠りと幸いを込めて、ふたわんの雨雪を差し出す賢治の切々とした思いが しみじみと心に伝わって来ます。それを口にし天に旅立っていくトシの行く末が、さいわいに満ちたものであることを賢治と一緒に心から祈りたいと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の訪れを感じながら

2025-02-16 10:00:10 | 日記
      卵たちのゐ(い)る風景
                      草野心平

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

雪があった。そして今は班(は)雪(だれ)もない。ゆるんだ空気の中に櫟(いちい)が一本
しんとたっている。藍と白とのするどい縞とほ(お)い山脈(やまなみ)は嶮(けわ)しかった。いま
はもう遥かにぼうっとかすんでゐ(い)る。羊雲がうごくともなく動いてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

田ん圃の土手の食パン色の枯草には。生ぶ毛をはやした新芽の青もかほ(お)
を見せ。春の魁(さきが)けいぬのふぐりは小さいコバルトの花をひらいた。その
コバルトのさかづきに天の光を満たしてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

草野心平の詩集「蛙」に収められている印象的な詩です。
中学生の頃だったと思いますが、この詩を初めて読んだ時の感動が、絵のように描かれた春の情景とともによみがえってきます。

小川のぬるんだ水、キラキラと光り輝く水面、もうすぐ生まれる蛙の卵たちの様子、雪解け水が勢いよく流れ、その水面に雲が写りその雲までが流れるように動いていく。
遠くに見える雪を抱いた山と嶮しい山脈。
その頭上をゆっくりと流れていく羊雲。
田ん圃の土手には枯れ草の中に新芽の青も顔を見せ、日当たりのよい所ではオオイヌノフグリのコバルトブルーの花がひらき、花の一つ一つに天の光が満たされたように青く輝いている。

若かりし頃見ていた 春の訪れを告げる 故郷の景色の一つ一つが、鮮やかに心に浮かんできます。
時の流れとともに、故郷の景色も少しずつ変わり、その時の感動も 記憶の彼方に去っていくような印象がありましたが、改めてこの詩を読み返すことで、かっての自分に戻ったような気がします。

心に残る詩は、読み返すことで その詩と出会ったときの自分とまた新たに出会う機会ともなるのですね。
春の訪れを素直に喜び、姿・形を冬の装いから春へと変えていく自然の営みに心を動かされる 柔らかな感性に、またふれることができたように感じます。

もうすぐやって来る春の景色を、若かりし頃のハートに戻って ゆっくりと見守っていきたいと思います。
どんな春に再会できるのかと 期待し・楽しみながら…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川さんの詩「平和」を読みながら

2025-02-09 16:57:19 | 日記
   平和
         谷川俊太郎

平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい 
   
(そんなあたりまえの日常の中に、意識することもなく平和があり、自分がいる)

平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えればいい 

 (退屈だと声に出す必要もなく、その中に浸る自分に、耐えればいい)

平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから

(平和は、ただとりとめもなく書かれる散文のように心を引かれることもなく、素気ないもの。
そこには祈るべき神はおらず、祈ることさえ必要としない。)

平和
それは花ではなく
花を育てる土

(平和は、ながめる花ではなく、それを育てる土であり、その上に私たちの日常はある。
その花を育てる役割は、私たちの日々の営みの中に…)

平和
それは歌ではなく
生きた唇

(平和は聞こえてくる歌ではなく、日々の生活の中で語られ、伝え、感じられるもの)

平和
それは旗ではなく
汚れた下着 

(平和は、掲げるものではなく、繰り返し肌で感じ、身に付けてきたもの)

平和
それは絵ではなく
古い額縁 

(古い額縁の中には、それぞれの人生を通して見つめてきた 日々の暮らしと、
過ごして来た平和な景色がある)

平和を踏んずけ             
平和をつかいこなし           
手に入れねばならぬ希望がある    
平和と戦い           
平和にうち勝って           
手に入れねばならぬ喜びがある 
   
(だからこそそんな平和の中に埋没することなく、その時間を大切につかいこなし、
平和の向こうにある希望を求めていきたい。
与えられたあたりまえの平和に安住することなく、うちかって、希望と喜びに満ちた
真の平和を手に入れたい。)

 連の終わり書いた( )内の言葉は、詩を読んでの私のつぶやきです。

「(平和は)願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、
人びとの身を養うもの、だからなくてはならぬもの」
 これは、朝日新聞連載の<折々の言葉>に書かれた鷲田さんの言葉です。
 それだけ平和は、何気ない日常の中にあって、あたりまえのように感じられる 空気の
ように人々の身を養う なくてはならぬものだと感じます。
 同時にこの詩には、最後の連の言葉にあるように、あたりまえのように感じる平和に埋
もれたままでいいのか。それをただ無意識に待ち続けるだけでいいのか。世界には、この
あたりまえの平和さえ手にすることのできない人々がいるのではないか。
 そんな問いも投げかけられているように感じます。

「平和はそこに安住するのではなく、自らの手でつくり出していくもの」「そしてその先にこそ 
真の希望や喜びがある」 というメッセージが、込められているような気がしてなりません。
 平和の心地よさに惑わされず、平和を創っていくことの意味や大切さ、真の平和を求めている
人々の思いも感じながら、日々の平和と向き合っていきたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする