2024年も、今日が最後の1日となりました。
振り返ると 何か大切なものを落としてきたような 失ったような そんな気がし、谷川さんの詩が 頭の中に浮かんできます。
かなしみ
谷川俊太郎
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
おとし物は、ひとつのかなしみでもあり、それは 時の流れの中で いつかは 消えてゆく寂しさでもあるのかもしれません。
前に進むことで、人は誰でも 後ろに残るかなしみに 気づくことがあります。
そして そのかなしみの向こうには、二度と会うことのできない大切な人や後悔する出来事が見え隠れします。
谷川さんの「何かとんでもないおとし物」は、何だったのでしょうか。
「かなしみ」は、第一詩集「二十億光年の孤独」の中に収められ、その前に置かれた詩が「祈り」です。
この詩の中に、「おとし物」について 手がかりとなるような言葉が見つかるのではないかと考え、読み直してみました。
祈り
谷川俊太郎
一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)
主張の解明のためにこそ
僕等は学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕等は営んできたのではなかったのか
稚い僕の心に
(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
(宇宙の中の無限小から
宇宙の中の無限大への)
人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう
(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう
一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている
そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる
「祈り」では、「無限の時の突端に始まり 今もそれが続いている 一つの大きな主張」の前で、「無数の提案をもって その主張にむかおうとする」 ことが叶わず、「今は祈りのみが信じられる」 とあります。
さらに最後の連には 「… 一つの小さな祈りは 暗くて巨きな時の中に かすかながらもしっかり燃え続けようと 今 炎をあげる」 と書かれています。
この詩の中の「一つの大きな主張」は、谷川さんの心の内に在る神の語る言葉であり、求める理想の世界でもあったのではないでしょうか。その実現のために今できることは、ただ祈ることだけ。そこに留まっている自分に対し、「とんでもないおとし物」をしたと感じ、「遺失物係の前で余計に悲しくなった」のではないでしょうか。
しかし、この「かなしみ」を抱えた谷川さんだからこそ、理想を実現するための無数の提案をたくさんの作品に込めて発表されてこられたような気がしてなりません。
私にも、時を重ねても変わらずもち続けてきた小さな理想や夢があります。それだけは決して「おとし物」にすることなく、「かすかながらもしっかり燃え続ける」炎を 心の内にもち続けながら 新たな年を迎えたいと思っています。
振り返ると 何か大切なものを落としてきたような 失ったような そんな気がし、谷川さんの詩が 頭の中に浮かんできます。
かなしみ
谷川俊太郎
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
おとし物は、ひとつのかなしみでもあり、それは 時の流れの中で いつかは 消えてゆく寂しさでもあるのかもしれません。
前に進むことで、人は誰でも 後ろに残るかなしみに 気づくことがあります。
そして そのかなしみの向こうには、二度と会うことのできない大切な人や後悔する出来事が見え隠れします。
谷川さんの「何かとんでもないおとし物」は、何だったのでしょうか。
「かなしみ」は、第一詩集「二十億光年の孤独」の中に収められ、その前に置かれた詩が「祈り」です。
この詩の中に、「おとし物」について 手がかりとなるような言葉が見つかるのではないかと考え、読み直してみました。
祈り
谷川俊太郎
一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)
主張の解明のためにこそ
僕等は学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕等は営んできたのではなかったのか
稚い僕の心に
(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
(宇宙の中の無限小から
宇宙の中の無限大への)
人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう
(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう
一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている
そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる
「祈り」では、「無限の時の突端に始まり 今もそれが続いている 一つの大きな主張」の前で、「無数の提案をもって その主張にむかおうとする」 ことが叶わず、「今は祈りのみが信じられる」 とあります。
さらに最後の連には 「… 一つの小さな祈りは 暗くて巨きな時の中に かすかながらもしっかり燃え続けようと 今 炎をあげる」 と書かれています。
この詩の中の「一つの大きな主張」は、谷川さんの心の内に在る神の語る言葉であり、求める理想の世界でもあったのではないでしょうか。その実現のために今できることは、ただ祈ることだけ。そこに留まっている自分に対し、「とんでもないおとし物」をしたと感じ、「遺失物係の前で余計に悲しくなった」のではないでしょうか。
しかし、この「かなしみ」を抱えた谷川さんだからこそ、理想を実現するための無数の提案をたくさんの作品に込めて発表されてこられたような気がしてなりません。
私にも、時を重ねても変わらずもち続けてきた小さな理想や夢があります。それだけは決して「おとし物」にすることなく、「かすかながらもしっかり燃え続ける」炎を 心の内にもち続けながら 新たな年を迎えたいと思っています。