あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

春の訪れを感じながら

2025-02-16 10:00:10 | 日記
      卵たちのゐ(い)る風景
                      草野心平

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

雪があった。そして今は班(は)雪(だれ)もない。ゆるんだ空気の中に櫟(いちい)が一本
しんとたっている。藍と白とのするどい縞とほ(お)い山脈(やまなみ)は嶮(けわ)しかった。いま
はもう遥かにぼうっとかすんでゐ(い)る。羊雲がうごくともなく動いてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

田ん圃の土手の食パン色の枯草には。生ぶ毛をはやした新芽の青もかほ(お)
を見せ。春の魁(さきが)けいぬのふぐりは小さいコバルトの花をひらいた。その
コバルトのさかづきに天の光を満たしてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

草野心平の詩集「蛙」に収められている印象的な詩です。
中学生の頃だったと思いますが、この詩を初めて読んだ時の感動が、絵のように描かれた春の情景とともによみがえってきます。

小川のぬるんだ水、キラキラと光り輝く水面、もうすぐ生まれる蛙の卵たちの様子、雪解け水が勢いよく流れ、その水面に雲が写りその雲までが流れるように動いていく。
遠くに見える雪を抱いた山と嶮しい山脈。
その頭上をゆっくりと流れていく羊雲。
田ん圃の土手には枯れ草の中に新芽の青も顔を見せ、日当たりのよい所ではオオイヌノフグリのコバルトブルーの花がひらき、花の一つ一つに天の光が満たされたように青く輝いている。

若かりし頃見ていた 春の訪れを告げる 故郷の景色の一つ一つが、鮮やかに心に浮かんできます。
時の流れとともに、故郷の景色も少しずつ変わり、その時の感動も 記憶の彼方に去っていくような印象がありましたが、改めてこの詩を読み返すことで、かっての自分に戻ったような気がします。

心に残る詩は、読み返すことで その詩と出会ったときの自分とまた新たに出会う機会ともなるのですね。
春の訪れを素直に喜び、姿・形を冬の装いから春へと変えていく自然の営みに心を動かされる 柔らかな感性に、またふれることができたように感じます。

もうすぐやって来る春の景色を、若かりし頃のハートに戻って ゆっくりと見守っていきたいと思います。
どんな春に再会できるのかと 期待し・楽しみながら…。

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谷川さんの詩「平和」を読みながら

2025-02-09 16:57:19 | 日記
   平和
         谷川俊太郎

平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい 
   
(そんなあたりまえの日常の中に、意識することもなく平和があり、自分がいる)

平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えればいい 

 (退屈だと声に出す必要もなく、その中に浸る自分に、耐えればいい)

平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから

(平和は、ただとりとめもなく書かれる散文のように心を引かれることもなく、素気ないもの。
そこには祈るべき神はおらず、祈ることさえ必要としない。)

平和
それは花ではなく
花を育てる土

(平和は、ながめる花ではなく、それを育てる土であり、その上に私たちの日常はある。
その花を育てる役割は、私たちの日々の営みの中に…)

平和
それは歌ではなく
生きた唇

(平和は聞こえてくる歌ではなく、日々の生活の中で語られ、伝え、感じられるもの)

平和
それは旗ではなく
汚れた下着 

(平和は、掲げるものではなく、繰り返し肌で感じ、身に付けてきたもの)

平和
それは絵ではなく
古い額縁 

(古い額縁の中には、それぞれの人生を通して見つめてきた 日々の暮らしと、
過ごして来た平和な景色がある)

平和を踏んずけ             
平和をつかいこなし           
手に入れねばならぬ希望がある    
平和と戦い           
平和にうち勝って           
手に入れねばならぬ喜びがある 
   
(だからこそそんな平和の中に埋没することなく、その時間を大切につかいこなし、
平和の向こうにある希望を求めていきたい。
与えられたあたりまえの平和に安住することなく、うちかって、希望と喜びに満ちた
真の平和を手に入れたい。)

 連の終わり書いた( )内の言葉は、詩を読んでの私のつぶやきです。

「(平和は)願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、
人びとの身を養うもの、だからなくてはならぬもの」
 これは、朝日新聞連載の<折々の言葉>に書かれた鷲田さんの言葉です。
 それだけ平和は、何気ない日常の中にあって、あたりまえのように感じられる 空気の
ように人々の身を養う なくてはならぬものだと感じます。
 同時にこの詩には、最後の連の言葉にあるように、あたりまえのように感じる平和に埋
もれたままでいいのか。それをただ無意識に待ち続けるだけでいいのか。世界には、この
あたりまえの平和さえ手にすることのできない人々がいるのではないか。
 そんな問いも投げかけられているように感じます。

「平和はそこに安住するのではなく、自らの手でつくり出していくもの」「そしてその先にこそ 
真の希望や喜びがある」 というメッセージが、込められているような気がしてなりません。
 平和の心地よさに惑わされず、平和を創っていくことの意味や大切さ、真の平和を求めている
人々の思いも感じながら、日々の平和と向き合っていきたいものです。

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