あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

谷川俊太郎さんを偲びながら その4

2024-12-23 12:29:20 | 日記
 12月21日に、「栗原ともに学び合う会」が開かれました。その中で谷川俊太郎さんの詩を紹介したいと考え、学び合いの資料を作成しました。これまでこのブログに書いた内容と重なる部分もありますが、その全文を次に取り上げ紹介したいと思います。
  
◇谷川俊太郎さんのプロフィール
1931年12月5日、哲学者で法政大学学長の谷川徹三を父として現在の東京都杉並区に生まれる。
1948年(17歳)から詩作及び発表を始める。
1950年には父の知人であった三好達治の紹介によって「文学界」に【ネロ他五編】が掲載される。
1952年年6月 第一詩集「二十億光年の孤独」が刊行される。
以降、詩を中心に作詞家・翻訳家・絵本作家・脚本家として多方面で活躍し、息子の谷川賢作さんが音楽を担当する親子共演の詩の朗読会にも取り組む。
主な受賞歴~第四回日本レコード大賞作詞賞・日本翻訳文化賞・読売文学賞・現代詩花椿賞・野間児童文芸賞・小学館文学賞・萩原
朔 太郎賞・毎日芸術賞・鮎川信夫賞・三好達治賞など多数。
主な作品~ 詩集「うつむく青年」「みみをすます」「どきん、少年詩集」「私」「こころ」など、
絵本・童話「ことばあそびうた」「これはのみのぴこ」など、
翻訳「マザーグースのうた」「かみさまへのてがみ」レオ・レオニ作「スイミー」「フレデリック」など。
作詞「鉄腕アトム」・合唱曲・フォークソング・校歌など数百曲に及ぶ。
その他脚本・対談集、※教科書「にほんご」の編集など、ジャンルを問わずたくさんの作品を発表している。
  2024年11月13日、老衰のため92歳で死去。

    ※「にほんご」は、谷川さんや詩人の大岡信さん、画家の安野光雅さん、児童文学者の松井直さんが編集委員となって作成さ
     れた教科書で、1979年に福音館書店から発刊されています。ことばと子どもたちとの出会いをどうつくりあげていくか、「読
     む・書く」よりも「話す・聞く」といった言語活動を大切にしながら編集された教科書です。 

プロフィールにありますように、谷川さんは詩だけではなく、絵本や童話、翻訳、作詞、脚本など さまざまな分野で活躍され、数多くの作品を発表してこられました。
今回は、その中の詩を読みながら 谷川さんが作品に込めた思いや願いを一緒に学び合っていきたいと思います。

東日本大震災以降、災害や事故、戦争などのため多くの人が亡くなるニュースを耳にするたび 私の頭に浮かんでくる谷川さんの詩があります。これまでの学び合いの中でも読んだ詩ですが、改めて取り上げたいと思います。

そのあと

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に

 この詩を読むにあたって、いくつかの問いを用意しました。

◇一連では、どんな人に対して「おわらないそのあとがある」と言っているのでしょうか。

◇二連にある「一筋に/霧の中へ消えている」から どんなそのあとの道を想像しますか。

◇「限りなく/青くひろがっている」から どんな道を想像しますか。

◇三連を読んで、そのあとの道は、日本だけではなく、世界中のどんな人がたどる道なのだと思いますか。

◇三連の結びに「ひとりひとりの心に」と表現していることに、谷川さんのどんな思いが感じ取れるでしょうか。

 改めて 詩を読み返し、それぞれの問いの答えを考えていただければと思います。

この詩は、東日本大震災後の2013年に朝日新聞出版から発刊された「こころ」という詩集に収められています。この詩を読むたび、東日本大震災や能登地震のことが思い出され、大切な人を失った人々の悲しみとそのあとの人生のことを想い、心が痛みます。同時に、「終わらないそのあと」の道を、被災された方々が悲しみを乗り越えて歩んでいくことを願い、その前途が「青くひろがる」開かれた未来であることを祈りたいと思います。
世界のいろんな場所や地域で、さまざまな災害・事故そして戦争が起こり、そのために大切な人を失い、悲しむ 人々がたくさんいます。そんな人々にとっても、そのあとに続くこれからの大切な人生があります。※フランクルが「夜と霧」の中で語っている言葉のように、「それでもそのあとに続く人生が、あなた方を待っているのです」 そんな思いも込めて、この詩は書かれたのではないでしょうか。詩の終わりに置かれた、「世界に そして ひとりひとりの心に」からは、日本だけではなく悲しみの中に在る世界中の「ひとりひとりの心」によりそう谷川さんのあたたかいまなざしを感じます。

※ヴィクトール・E・フランクル
 「夜と霧」は、ユダヤ人であるフランクルが 第二次世界大戦中にナチス・ドイツのホロ・コースト<ユダヤ人の大量虐殺政策>によって収容された施設での体験談をもとに書かれた本です。119104が、フランクルがモノのように収容所内で識別される番号でした。いつガス室へ送られるか、死と隣り合わせの絶望的で過酷な生活の中で、生きる意味を問い続けたフランクルでした。

このような詩を書く 谷川俊太郎という詩人は、いったいどういう人だったのでしょうか。

 19歳の時に発刊された第一詩集「二十億光年の孤独」で序文<序詩>を書いた詩人の三好達治さんは、この詩人の登場を序詩の末尾で 次のように表現しています。
「…ああこの若者は/冬のさなかに永らく待たれたものとして/突忽とはるかな国からやってきた」  
  ※突忽~突然 にわかに現れた
 谷川俊太郎という人は、永らく人々がその登場を待ち望んでいた はるかな国からやってきた 若者であり 詩人なのだと 三好さんはその登場を心から歓迎しています。

 この登場以来、谷川さんは数えきれないほどたくさんの詩を発表してこられました。
 谷川さんが亡くなり、新聞には追悼する記事が多く掲載されるようになりました。中でも印象的だったのは、谷川さんと交流のあった次の二人の詩人の言葉です。

◇11月24日 朝日新聞より 全身詩人の異名を持つ:吉増剛造さんの言葉

 …(谷川さんは) 宇宙の中に、ぽつんと浮かんでいる恒星のような。そんな印象を持っていました。遠いところにある、広大な光として見つめていました。「ひとりぼっち性」とも呼ぶべきものが谷川さんの詩には、いつもあった。それは「孤独」とも少し違う。原始的で、無邪気で、純粋な魂がそのまま表に出ているような。そんな幼心のようなものが、いつも詩の中心にあったと思います。
 …その詩からは、「骨の声」が聞こえます。頭ではなく、自然な、骨から出てくる声が。誰にも属せず、ひとりぼっちで「宇宙」のような広がりを保つ。その宇宙の中から、人間だけでなく、動物や植物、鉱物さえも感じられるような感覚が息づいた、「骨の声」が聞こえてくるんです。…

◇11月28日 河北新報より 二十九年も谷川さんと交流し、親友であった 田原<でんげん>さんの言葉

…優れた詩人には子ども性があると言われるが、谷川さんは普通の詩人以上に少年の心の持ち主だった。年齢を重ねても衰えず、俗世間にも汚染されず、純真な心を保ってきた。谷川さんの言葉を借りれば、「心に子どもの自分が宿っている。その子どもの自分が詩を書かせているのだから、詩心は枯れない」ということだ。
…横たわっている谷川さんに魔法をかけ、言葉を交わしたかった。そして、もう一度少年になってほしかった。 

 谷川さんに対するお二人に共通する思いは、その詩には幼心のようなものがあり、谷川さんは純真な少年の心の持ち主だったという指摘です。私も、谷川さんには透き通った心の持ち主である“永遠の少年”といった印象を感じています。
 第一詩集「二十億光年の孤独」から、そう感じた詩をいくつか取り上げます。 


ネロ
 --- 愛された小さな犬に

ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウイリアムスバーグ橋の夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと

ネロ
もうじき夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと

ネロ
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持までもが
今はっきりと僕の前によみがえる

しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

 愛するネロのいない夏をむかえることの切ない思いがひしひしと心に伝わってきます。それでも自分は、ネロのいないこれからの新しい夏を歩いてゆかなければならない。悲しみを乗り越えながら、「すべての新しいことを知るために すべての僕の質問に自ら答えるために」。傷つきやすい心を抱えながらも、これからの一歩をそんな思いで踏み出そうする純粋な谷川少年の姿に、心が打たれます。

 吉増さんが指摘した「宇宙の中に、ぽつんと浮かんでいる恒星のような」存在でもある谷川少年の姿は、次の詩からも読み取ることができます。

二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハラハラしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

 「万有引力とは 引き合う孤独の力である」という言葉が印象的な詩です。宇宙という広大な世界で 孤独であるが故に 仲間を求めようとする思いがこみあげてくるのかもしれません。孤独に耐え切れず思わずくしゃみが出たのでしょうか。その傷つきやすく不安な少年の心が、お互いに仲間を求め引き合う力になっているのかもしれません。

 この少年の心は、神様にも向けられます。

宿題

目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきりと目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題

 谷川さんが「少年の心」で見ようとした神様は、どんな神様なのでしょうか。
 1952年に「二十億光年の孤独」が発刊され、それから30年後の1982年に谷川俊太郎少年詩集の「どきん」が発刊されます。その詩集の中に、谷川さんが「宿題」にした答えと思える 神様らしい「そのひと」が登場する詩が掲載されています。

そのひとがうたうとき

そのひとがうたうとき
そのこえはとおくからくる
うずくまるひとりのとしよりのおもいでから
くちはてたたくさんのたいこのこだまから
あらそいあうこころとこころのすきまから
そのこえはくる
そのこえはもっととおくからくる
おおむかしのうみのうねりのふかみから
ふりつもるあしたのゆきのしずけさから
そのひとがうたうとき
わすれられたいのりのおもいつぶやきから
そのこえはくる

そののどはかれることのないふかいいど
そのうではみえないつみびとをだきとめる
そのあしはむちのようにだいちをうつ
そのめはひかりのはやさをとらえ
そのみみはまだうまれないあかんぼうの
かすかなあしおとへとすまされる

そのひとがうたうとき
よるのなかのみしらぬこどもの
ひとつぶのなみだはわたしのなみだ
どんなことばももどかしいところに
ひとつのたしかなこたえがきこえる
だがうたはまたあたらしいなぞのはじまり

くにぐにのさかいをこえさばくをこえ
かたくななこころうごかないからだをこえ
そのこえはとおくまでとどく
みらいへとさかのぼりそのこえはとどく
もっともふしあわせなひとのもとまで
そのひとがうたうとき

時や場所を超えて、そのひとの声は 世界の一人一人の心に届いているのかもしれません。人と人とが争うことのない世界、生まれてくる子どもや年老いた人、つみびとも、さまざまな境遇にいる一人一人が幸せに生きることのできる世界をいのる そのひとのうたが、耳を澄ませると聴こえてきそうです。
そのうた声は、吉増さんの語る谷川さんの心の内から発する「骨の声」でもあるのかもしれません。

少年の心の持ち主の谷川さんだからこそでしょうか。谷川さんは、少年詩集も書き、絵本もつくり、イギリスの子ども詩集「マザーグース」や「スイミー」などのレオ・レオニの絵本の翻訳にも取り組んでいます。

〇「マザーグースのうた」から

  うつくしいのは げつようびのこども
  ひんのいいのは かようびのこども
  べそをかくのは すいようびのこども
  たびにでるのは もくようびのこども
  ほれっぽいのは きんようびのこども
  くろうするのは どようびのこども
  かわいく あかるく きだてのいいのは
  おやすみのひに うまれたこども
  

〇「かみさまへのてがみ」から

かみさま
どうして よる おひさまを どけてしまうのですか?
いちばん ひつような ときなのに。
バーバラ 7さい
 
かみさま
  あなたは てんしたちに しごとは みんな やらせるの?
  ママは わたしたちは ママの てんしだって いうの。
  そいで わたしたちに ようじを ぜんぶ いいつけるの。
                  あいをこめて  マリア

〇絵本「フレデリック」 レオ・レオニ作 から
他の野ネズミたちは、冬に備えてえさ集めをしているのに、フレデリックだけは働かないで、おひさまのひかりやいろ、ことばを集めています。やがて長い冬がやってきてえさも話のタネもつきかけたとき、ネズミたちはフレデリックが集めていたものを思い出し、たずねます。フレデリックは、ネズミたちに目をつむってもらい、集めた太陽の暖かいひかりのこと、青いアサガオや黄色い麦、野イチゴの緑の葉っぱのいろのこと、集めたことばを詩のようにして語ります。ねずみたちは、ひかりやいろを想像し、ことばを楽しみながら幸せな気分で冬を越すことができます。

このフレデリックのように、谷川さんも色や光や言葉を集めていた詩人だったのではないでしょうか。


谷川さんは、朝日新聞の「どこからか言葉が」のコーナーに、毎月詩を寄稿されていました。亡くなって間もない11月17日に掲載された詩のタイトルは「感謝」で、その末尾には 「……感謝の念だけは残る」 と書かれていました。まるで亡くなることを予期していたかのような言葉で締めくくっておられました。

        
感謝

    目が覚める
    庭の紅葉が見える
    昨日を思い出す
    まだ生きてるんだ

    今日は昨日のつづき
    だけでいいと思う
    何かをする気はない

    どこも痛くない
    痒くもないのに感謝
    いったい誰に?

    神に?
    世界に? 宇宙に?
    感謝の念だけは残る

 この詩の四連には、感謝の対象として 一番目に「神に?」という問いが書かれています。それだけ谷川さんにとっては、心の内に在る神という存在が大切であり、その祈りに生涯に渡って耳を澄ませ、その声を詩にしてこられたような気がします。またその中に世界がこうあってほしいという谷川さんの願いも込められているような印象があります。

亡くなったことを知ってから図書館に出かけ、詩集のコーナーをのぞいてみました。
その中に谷川さんの「私」という詩集がありました。二〇〇七年 思潮社から発刊) 
谷川さんは、自分のことをどうとらえ、どんな詩にしているのだろうかと考え、借りて読むことにしました。その中でも印象的だったのが、「私は私」という詩でした。( )内の言葉は、詩から感じたことを対話するように綴った私の書き込みです。


    私は私

私は自分が誰か知っています
いま私はここにいますが
すぐいなくなるかもしれません
いなくなっても私は私ですが
ほんとは私は私でなくてもいいのです     (私という存在や私という枠を超えて在るのです)

私は少々草です
多分多少は魚かもしれず
名前はわかりませんが
鈍く輝く鉱石でもあります
そしてもちろん私はほとんどあなたです  (私という存在はあなたという存在と詩を通して向き合い、重なり合っているのです)
向き合い、重なり合っているのです)
忘れられたあとも消え去ることができないので   (言葉は消え去ることはないので)
私は繰り返される旋律です               (あなたが読み感じてくれることで)
憚りながらあなたの心臓のビートに乗って      (憚りながらあなたの心に沿って)
光年のかなたからやって来た               (二十億光年のかなたからやって来た)
かすかな波動で粒子です            (あなたの心にかすかに届く波動であり粒子です)

私は誰か知っています
だからあなたが誰かも知っています     (詩の言葉から通い合うものを通して)
たとえ名前は知らなくても
たとえどこにも戸籍がなくても       (どんな人にも 誰にでも)
私はあなたへとはみ出していきます     (私の思いがあなたの心の内まで届いていきます)

雨に濡れるのを喜び              (ともに喜び)
星空を懐かしみ                 (ともに懐かしみ)
下手な冗談に笑いころげ           (ともに笑いころげ)
「私は私」というトートロジーを超えて   (私であるという存在を超えて)
私は私です                   (あなたとともに在ることで 私はやはり 私なのです)


この詩の中に出てくる「あなた」は、誰を指しているのでしょうか。
それは、この詩を読んでいる読者であり、言葉を入り口にして詩の世界を共有する「あなた」を指しているのではないでしょうか。

谷川さんは亡くなりましたが、その作品を読むたび 言葉の向こうで微笑む谷川さんに出会うことができ、その思いや願いにふれることができるような気がしています。


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