あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

宮沢賢治詩集「永訣の朝」を読みながら

2025-03-06 11:32:49 | 日記
二十四節季の「雨水」の日に、朝日新聞の「天声人語」の中で、宮沢賢治の詩「永訣の朝」が取り上げられていました。雪が雨に、氷が水に変わる季節を迎え、最愛の妹の為に雨雪を取りに行くこの詩が思い浮かんだのかもしれません。詩にふれてある箇所だけを取り出して次に紹介します。

宮沢賢治とトシとは、2歳違いの兄妹だった。
トシは二十四歳で夭折した。賢治は詩集「春と修羅」に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。
蒼鉛色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようもない悲しさに、深く包まれた詩である。
 <あめゆじゅとてちてけんじゃ>。びちょびちょと沈むような雨雪を、病床のトシはとっきてほしいと頼む。
賢治はさもいとおしげに、彼女のその方言を詩の中で4度、繰り返す。
 松の枝から雪をもらい、トシは言った。
<Ora Ora de shitori egumo> 
私は私で一人でゆくね。詩のなかで、ここだけが英字で表記されている。
やさしい兄は妹が不憫でたまらなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか。
…(略)

この英字で書かれたことについて、皆さんはどう考えますか。
次に詩の全文を紹介します。

    永訣の朝
              宮沢 賢治
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはみょうに明るいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)  ※①
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかを飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちゃびちゃ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりとした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち ※②
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora Ora de shitori egumo)  ※③
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
ああこのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる)
 ※④
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って ※⑤
やがてはおまえとみんなとに
清い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう

※①あめゆきとってきてください
※②氷と水との二相になっているみぞれ
※③じぶんは、じぶんひとりでゆきます。
※④こんどうまれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないようにうまれてくる。
※⑤天にあり、将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒菩薩が暮らすとされるところ。

 妹トシは、日本女子大を卒業後、母校の花巻高女で教鞭をとっていたが、大正十一年(一九二二年)に結核のため二十四歳で亡くなる。心優しく豊かな教養の持ち主で、賢治にとってはこの上ない理解者であり、最愛の妹でもあった。賢治にとって妹の死は辛く悲しい別れであり、この「永訣の朝」を含め、「松の針」「無声慟哭」は、臨終の日に書かれた詩である。
 

 この詩の中の英字で書かれた部分について、皆さんはどう考えますか。

 妹トシの言葉は三つあり、一つは方言のまま<あめゆじゅとてちてけんじゃ>とひらがなで書かれ、詩の中に四度登場します。
二つ目が英字で書かれた<Ora Ora de shitori egumo> で、三つ目が<うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなぁよにうまれでくる>です。
 それぞれの言葉が、賢治にとっては忘れることのできない最期に残したトシの言葉だったのでしょう。
 ただ、一つ目は、あめゆじゅをとってくることで叶えられる依頼であり、三つ目は、病で苦しむことのない健康な体で生まれてきてほしいと賢治も共感する願いでもあったのだと思います。
 しかし、英字で書かれた二つ目の言葉は、一番辛く悲しい響きを持った言葉として記憶されたのではないでしょうか。
 一人で旅立っていくことを決意(覚悟)したトシに、どうこたえてあげたらいいのか、返す言葉が見つからないほどの悲しさが、英字の表記に結びついたのではないでしょうか。

 雨雪を求める妹の優しい心遣いを汲み取り、死後の安らかな眠りと幸いを込めて、ふたわんの雨雪を差し出す賢治の切々とした思いが しみじみと心に伝わって来ます。それを口にし天に旅立っていくトシの行く末が、さいわいに満ちたものであることを賢治と一緒に心から祈りたいと思います。


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春の訪れを感じながら

2025-02-16 10:00:10 | 日記
      卵たちのゐ(い)る風景
                      草野心平

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

雪があった。そして今は班(は)雪(だれ)もない。ゆるんだ空気の中に櫟(いちい)が一本
しんとたっている。藍と白とのするどい縞とほ(お)い山脈(やまなみ)は嶮(けわ)しかった。いま
はもう遥かにぼうっとかすんでゐ(い)る。羊雲がうごくともなく動いてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

田ん圃の土手の食パン色の枯草には。生ぶ毛をはやした新芽の青もかほ(お)
を見せ。春の魁(さきが)けいぬのふぐりは小さいコバルトの花をひらいた。その
コバルトのさかづきに天の光を満たしてゐ(い)る。

みづはぬるみ。みづはひかり。あちこちの細長い藻はかすかに揺れる。
ゼラチンの紐はそれぞれ黒い瞳を点じ親蛙たちは姿をみせない。流れる
ともなくみづは流れ。かは(わ)づらを。ああ雲がうごく。

草野心平の詩集「蛙」に収められている印象的な詩です。
中学生の頃だったと思いますが、この詩を初めて読んだ時の感動が、絵のように描かれた春の情景とともによみがえってきます。

小川のぬるんだ水、キラキラと光り輝く水面、もうすぐ生まれる蛙の卵たちの様子、雪解け水が勢いよく流れ、その水面に雲が写りその雲までが流れるように動いていく。
遠くに見える雪を抱いた山と嶮しい山脈。
その頭上をゆっくりと流れていく羊雲。
田ん圃の土手には枯れ草の中に新芽の青も顔を見せ、日当たりのよい所ではオオイヌノフグリのコバルトブルーの花がひらき、花の一つ一つに天の光が満たされたように青く輝いている。

若かりし頃見ていた 春の訪れを告げる 故郷の景色の一つ一つが、鮮やかに心に浮かんできます。
時の流れとともに、故郷の景色も少しずつ変わり、その時の感動も 記憶の彼方に去っていくような印象がありましたが、改めてこの詩を読み返すことで、かっての自分に戻ったような気がします。

心に残る詩は、読み返すことで その詩と出会ったときの自分とまた新たに出会う機会ともなるのですね。
春の訪れを素直に喜び、姿・形を冬の装いから春へと変えていく自然の営みに心を動かされる 柔らかな感性に、またふれることができたように感じます。

もうすぐやって来る春の景色を、若かりし頃のハートに戻って ゆっくりと見守っていきたいと思います。
どんな春に再会できるのかと 期待し・楽しみながら…。

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谷川さんの詩「平和」を読みながら

2025-02-09 16:57:19 | 日記
   平和
         谷川俊太郎

平和
それは空気のように
あたりまえなものだ
それを願う必要はない
ただそれを呼吸していればいい 
   
(そんなあたりまえの日常の中に、意識することもなく平和があり、自分がいる)

平和
それは今日のように
退屈なものだ
それを歌う必要はない
ただそれに耐えればいい 

 (退屈だと声に出す必要もなく、その中に浸る自分に、耐えればいい)

平和
それは散文のように
素気ないものだ
それを祈ることはできない
祈るべき神がいないから

(平和は、ただとりとめもなく書かれる散文のように心を引かれることもなく、素気ないもの。
そこには祈るべき神はおらず、祈ることさえ必要としない。)

平和
それは花ではなく
花を育てる土

(平和は、ながめる花ではなく、それを育てる土であり、その上に私たちの日常はある。
その花を育てる役割は、私たちの日々の営みの中に…)

平和
それは歌ではなく
生きた唇

(平和は聞こえてくる歌ではなく、日々の生活の中で語られ、伝え、感じられるもの)

平和
それは旗ではなく
汚れた下着 

(平和は、掲げるものではなく、繰り返し肌で感じ、身に付けてきたもの)

平和
それは絵ではなく
古い額縁 

(古い額縁の中には、それぞれの人生を通して見つめてきた 日々の暮らしと、
過ごして来た平和な景色がある)

平和を踏んずけ             
平和をつかいこなし           
手に入れねばならぬ希望がある    
平和と戦い           
平和にうち勝って           
手に入れねばならぬ喜びがある 
   
(だからこそそんな平和の中に埋没することなく、その時間を大切につかいこなし、
平和の向こうにある希望を求めていきたい。
与えられたあたりまえの平和に安住することなく、うちかって、希望と喜びに満ちた
真の平和を手に入れたい。)

 連の終わり書いた( )内の言葉は、詩を読んでの私のつぶやきです。

「(平和は)願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、
人びとの身を養うもの、だからなくてはならぬもの」
 これは、朝日新聞連載の<折々の言葉>に書かれた鷲田さんの言葉です。
 それだけ平和は、何気ない日常の中にあって、あたりまえのように感じられる 空気の
ように人々の身を養う なくてはならぬものだと感じます。
 同時にこの詩には、最後の連の言葉にあるように、あたりまえのように感じる平和に埋
もれたままでいいのか。それをただ無意識に待ち続けるだけでいいのか。世界には、この
あたりまえの平和さえ手にすることのできない人々がいるのではないか。
 そんな問いも投げかけられているように感じます。

「平和はそこに安住するのではなく、自らの手でつくり出していくもの」「そしてその先にこそ 
真の希望や喜びがある」 というメッセージが、込められているような気がしてなりません。
 平和の心地よさに惑わされず、平和を創っていくことの意味や大切さ、真の平和を求めている
人々の思いも感じながら、日々の平和と向き合っていきたいものです。

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雪の詩を二つ 

2025-01-26 10:39:02 | 日記
大寒が過ぎても、暖かい日が続いています。
今年は雪が少なく、雪かきの用具を使うことなく1月も終わりそうです。
ただ地域によっては、例年になく降雪量が多いため、除雪作業や雪下ろしなどが大変な所もあるようです。
雪下ろしや屋根からの落雪で亡くなる人もおられるとのこと。
天から舞い降りる雪が、人の命を奪う雪害とならず 子どもたちが雪遊びを楽しむ程度に降ってくれることを願うばかりです。

降る雪を想いながら、雪の詩を二つ読んでみたいと思います。


  ゆき
       草野 心平

しんしんしんしん
しんしんしんしん

しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしん
しんしんしんしん

 ひらがなで書かれているので、その文字の一つ一つが、次から次へと空から舞い降りる雪の粒のように感じてきます。
 風はなく、雪は迷うことなく天から地へと舞い降りているのでしょう。
 時間は深夜のようにも感じますが、夜・昼の区別なく 雪は しんしんしんしんと 降り続いているのでしょう。
 すべての物音をかき消し、包み込むように 静かに静かにしんしんと降り続ける雪。
 二連があることで、ふりつもった雪の上にさらに新たな雪がふりつもり、休むことなく雪は降り続け、時の経過とともに 高く・深く・静かに ふりつもっていく雪の様子が 絵に描いたように見えてきます。


  つもった雪
      金子 みすゞ

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

 ブログでも何回か取り上げた私の大好きな詩です。
 積もった雪の向こうに 人それぞれの生き方や人生を みすゞさんは見つめていたのではないでしょうか。
     上の雪は 外のつめたさを一心に受け止め
     下の雪は 周りの人々を支え続け
     中の雪は 何も見えないさみしさを抱えながら
 それぞれの雪は、まるでこの世界に生きる人間のように さまざまな場所や立場で いろんな苦労や辛さに耐えながら、懸命に生きているのではないか。
 そんな人々の姿が みすゞさんの目には 積もった雪を通して 見えていたのではないでしょうか。 
 つもった雪を外から眺めるのではなく、内に在る思いにまで心をよせるあたたかいまなざしに、心が洗われるような気がします。
 つもった雪が春の訪れとともに消えて行くように、つめたさも重さもさみしさもやがては消え去り、それぞれの人生にもあたたかい春が訪れることを祈りたいものです。

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命の尊さ

2025-01-16 12:07:34 | 日記
 阪神淡路大震災や東日本大震災に関連する新聞記事を読みながら、大切な人を失った後の
家族の悲しみや祈りの中に、改めて命のかけがえのない尊さを感じます。

 幼くして亡くなった娘さんの 20歳になった着物姿を 絵に描いてもらった家族の思い。
 大好きな姉を亡くし、その死と向き合うことができず悲しみを抱え続けた妹さんの思い。
 姉が震災で亡くなり、残された難病の妹さんに二人分の愛情を注ぐ60代のご両親の思い。
 
 亡くなっても、大切な人と過ごした思い出の日々の中にその姿は在り続け、心の内に生き続
けているのだと思います。
 この思いは、谷川さんの書いた詩『そのあと』の中にある、「終わらないそのあと」の思い
でもあるのかもしれません。
 この思いの向こうには、亡くなった大切な人の命に寄せる変わることのない愛と祈りを感じ
同時に 命がどんなに大切で尊いものであるかを教えてくれているような気がしてなりません。

 
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