鷲田小彌太(1942~)が書いた「学者の値打ち」(ちくま書房)と云う本は、文系研究者の悪口で溢れている。鷲田は鷲田でも大阪大学学長をしていた鷲田精一氏(1949~)とは無関係(類縁関係なし)のようである。面白いことに、ご両人とも専門は哲学で、小彌太氏は阪大の哲学を卒業し専門はマルクス、ヘーゲル、スピノザ。一方、精一氏の方は京大の哲学を卒業し、フッサールを研究しておられた。
この書「学者の値打ち」では現存・物故によらず実名であまたの研究者・学者の評価がバサバサされている。大学や研究所とは無縁の吉本隆明、高橋亀吉などのフリーの評論家や文筆家を含んでいる。すさまじいのは、{表6}の大阪大学哲学科メンバー(および出身者)にたいする評価である。沢寫久敬、伊藤四郎、相原信作、田畑稔などとともに、公正を期すためか、著者の鷲田小彌太氏もリストに並んでいる。ここでは、例えば相原信作は研究評価(B)、教育評価(B)、人格(A)、業績(C)、総合(B)などとなっており、自身はそれぞれ、B、C、B、B、Bだそうだ。小林秀雄なんかは、C,C,C,B,Cになっているので、まだましな方なんだろうが、これをみた関係者はどう思っているのだろうか?
「学者の値打ち」は、どう考えても、その成し遂げた研究業績・成果でもって判断する外ない。哲学は世界(宇宙、自然、社会と人間)の正しい認識の仕方を提示する学問であろう。どのようなオリジナルな事や概念を発見あるいは思いついたか、そしてそれをどれだけ、きっちり発表したかが絶対基準となる。人格や教育は良いにこしたことはないが、2次的なものである(だいたい人柄の良い優れた哲学者など聞いたことがない)。本書は、各対象者をその皮相面からするどく批判はしているが、業績視点での批評はあまりない。そもそも日本の哲学でオリジナルなものはあるのだろうか?
追記(2024/11/07)
梅原猛の「山川草木悉皆成仏」の思想も文芸の世界の話で体系的な哲学とはいえない。
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