水口直樹 『僕は偽薬を売ることにした』図書刊行会 2019
世にプラセボ(プラシーボ)効果というものがある。本物の薬の替わりに偽薬を飲んでも病人の症状が回復する現象である。ケースによっては本物の薬を飲ませたのと同じぐらいの効果がある。どうしてそんな事がおこるのか、庵主は前から不思議に思っていた。上掲の書は、これに半分くらいは答えてくれているので紹介する。著者の水口直樹氏は1986年生まれ。京大大学院薬学科修士課程修了後、製菓会社に就職し研究開発に携わる。2014年にプラセボのための偽薬製造会社を設立したユニークな人物である。
ラテン語のPlaceboは「人を喜ばす」という意味だそうだ。一般的には偽薬効果をさすが、偽手術の効果なども含むようになった。さらに、治療的環境や医療者の働きかけに患者が反応した結果としてのプラセボ反応がある。
プラセボの興味深い実証例がいくつもあげられているが、興味あるのは、1957年に報告された新薬クレビオゼンの話しである。この新薬の評価が新聞記事で変わるにしたがって、それを読む患者の症状が変化したというのである。さらに驚くべきは、偽薬であることをあらかじめ知らしめた患者に投与しても、治癒効果が認められたというのである(オープンラベルプラセボという)。もっともこの場合は、試験後に適切な加療がなされるという告知が心理的な効果を生んだ可能性がある。
最も印象的なエピソードは第二次大戦中のアメリカ軍の戦時病院でのエピソードである。そこでは、鎮痛剤のモルヒネが払底していた。しかたなしに、軍医は負傷兵に生理食塩水をモルヒネと言って注射した。これは苦肉の策であったが、多くの苦しんでいた負傷兵に沈痛効果をもたらした。
新薬や加療効果の検定には、このプラセボが常に問題になるので、二重盲検法による臨床研究がなされている。一般的に、医薬品の開発者はプラセボ効果を過小評価する傾向がある。
著者はプラセボ効果の創発においては要素論的な方法科学によっては証明不能としている。さらに、患者が虚数要素を含む複素数的存在とする哲学が展開されている。心(虚)身(実)二元論の延長であろうが、読者がこの部分をすっきり理解するのはなかなか難しい。
第4章「健康観のアップデート」では、医学界の与える健康基準や我々自身の健康観は間違っている事を明確に示してくれている。自分に備わった能力や感性を信じる事、自分という存在に対する信頼の度合いを高めることが重要としている。そして医療はそれぞれの人の個別性を重視する看護や介護こそが重要だとしている。先ほど述べたクレビオセンの患者のエピソードは、自己よりも他者による評価に依存しすぎた悪しき例であろう。
病気は「気」からと言うように、人の身体の生理的状況は脳が営む精神活動の影響を受ける。プラセボはその逆で「善い気」が関わっている。西洋医学はモノを対象にするが、このような「気」が関与する現象は、東洋医学の分野である。悪い「気」と、善い「気」を選別するのは人の生きるという意志の力である。プラセボとは意志の力のある主体者の表現といってもよいのではないか。
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