少年の日は長く、老人の日は短いという経験則を「ジャネの法則」と呼ぶ(19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネによる)。大脳生理学者の塚原仲晃(つかはらなかあきら)はこれを次のように説明している。「少年期には成人より可塑性が著しく大きく、多くの出来事が記憶に残りやすいのに、老人ではそれが低く、出来事を経験してもそれがすぐ消えてしまい脳に残ることが少ない」。すなわち脳に蓄積された記憶の量が過去の時間感覚のパラメーターであるということである。脳内メモリーが赤ん坊のときの0から死ぬまでに増加するのが、過去と未来の非対称性、即ち意識的なレベルでの時間の流れであるという説もある。これは長期の時間感覚と思えるが、短時間でも時間の感覚の相違がどうして出現するのか説明できない。短時間感覚は別の機構があるに違いない。
物理的時間と生物的時間以外に、心理的時間があることも我々の経験から確かなことである。例えば車を運転中に、急に尿意を催すと時間の経過を長く感じる。早く目的地について用を足したいのに、信号の時間間隔がやけに長く、目の前を横切る車の動きがノロく感じられる。生理的緊張でもって代謝が高まったせいか、短周期の体内リズムの周期 (τ)が短くなり、相対的に外界の運動が遅く感じるのだろうか。
加齢によって体内のクロックの周期が長くなる(単位時間の周波数が少なくなる)だけ、相対的に世界における運動や時間が早く感じられる。すなわち年寄りにとって1年の経過は早くなり、反対に生理的に活発な子供のクロックは周期が短かく1年を長く感じる。すなわち心理的時間感覚 T = k x (1/τ)(τは体内リズムの周期)で表される。これと概日リズム(約1日のリズム)との関係はよくわからないが、ショウジョウバエでは交尾の求愛振動 (msec 単位)と相関があるという報告がある。
同じような話がK.J. ローズ著『からだの時間学』にも書かれている。インフルエンザで高熱を発した患者が、時間の経過を普段より長く感じたり、60秒カウント数が正常より多いという例をあげ、生理的過程の速度が心理的時間に影響しているのだと述べている。たしかに緊張しているときはアドレナリンが分泌されて代謝系は促進される。ただ「陽気に楽しく騒いでいるときには、時間がたちまち過ぎ去ってしまう」のは何故だろう? こういう場合は代謝系は促進されず、測時のリズム周期はリラックスして遅くなるのだろうか?病気の時には持続した意識を伴う内的時間を持ち、彼女といるときは外的時間を持つ(内的時間を持たない)ので時間の感覚が違うとも考えられる。ロバート・レビーンは、これを次のように説明している。すなわち、脳の記憶部分に、その場の情報が、どれだけ要領よく蓄えられるかに依存して、時間感覚が変わるという。楽しい一時では記憶はすばやく整理されてメモリーに蓄えられるが、退屈でいやな作業や会議では、記憶がギクシャクと詰め込まれるので時間の経過を長く感ずる。
参考図書
中島義道 『時間を哲学する』講談社現代新書 Y660 (1996)
ロバート・レビーン 『あなたはどれだけ待てますか』忠平美幸訳 草思社 2002
K.J. ローズ著『からだの時間学』(青木清訳) HBJ出版社 (1989)
付記:(2019/07/22)
高島俊男のエッセイ『長い長い1秒』(『お言葉ですが第11巻 連合出版 2006)に時間を引き延ばして「1秒を10秒」にする話が載っている。寺田寅彦の天文観察、空中殺法、川上哲治の打撃感覚などの例が紹介されている。
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