はるみのちょっとTea-time

日々の暮らしのなかで感じたこと、市民運動のことなどわたしのことばで、つづります。

Cafeヨクバリージョから

2008-08-13 | 医療と健康関連

2008年8月13日(水曜日)
暑さにやられたのか、
今日もあまり元気の出ないはるみです。

朝日新聞のプレミアム(aspara)でステキな記事を
見つけました。
きょうはそれをはアップしてブログおしまいだぁ!

そうそう、夜は店に高校の時の同級生が
ご家族と顔をだしてくれました。
お互い、いろんな病気を抱えながらも
精一杯がんばってるんだなぁ・・・

わたしに顔を見るまで心配だった・・・なんて・・・
ウルウルになってしまいました。

それではCafeヨクバリージョをどうぞ!
山ちゃんこと、山田泉さんの名古屋での講演会の
お話です。
またまた、胸キュンになってしまったわたしです。

「Cafeヨクバリージョ」
働いているから、結婚したから、ママだから--と、
何かをあきらめるのではなく、
あえて欲張りになってみませんか。
そんなヨクバリージョ(欲張り女)応援の気持ちを込めて、
名古屋本社で働く女性たちがつづるブログです。

いのちの授業、名古屋で
【2008年08月12日(火)更新】
       名古屋報道センター 冨岡史穂

《プロフィル》
99年入社。この夏は、20代の学生さんと
山を歩く取材でヘトヘトに。
体力もエイジレスになりたい33歳。
五輪選手たちが苦しい練習で鍛えた
バネのような身体には頭が下がります。
絶賛発売中の写真集「地球異変」(ランダムハウス講談社)
名古屋大学とのヒマラヤ氷河共同調査も収録しています。

ひとびとの、様々な思いが交錯する中で
オリンピックが開幕しました。
聖火が赤々と北京の空を照らした同じ日付で、
グルジアであがった砲火のニュースが伝えられました。
「一つの世界」に息づく命それぞれの今を、
改めて考え直す夜でした。

そんなことを考えたのは、もしかしたら、
この方のお話を聞いたばかりだからかもしれません。
山ちゃんこと、山田泉さん(49)
=大分県豊後高田市在住の元養護教諭。

前々回の記事でご紹介した8月2日の講演会には、
約340人がご参加くださいました。
随所にユーモアが光る山ちゃんの「いのちの授業」と、
にわか生徒と化した参加者たちの涙と笑い声は、
8日付生活面(名古屋本社版)でお伝えしています。

そこで今回は、取材を担当した長谷川潤記者
(99年入社、34歳。ちなみに男性です)に、
取材後記を寄せてもらいました。
どうやら彼も、山ちゃんに「恋」しちゃったみたいです。

名古屋での講演の1週間前、
山ちゃんに会いに東京へ行きました。
彼女の著書2冊は読んでいましたが、
山田泉という一人の女性を少しでも理解してから記事を
書きたいと思い、無理を言って、
小さな集まりに参加させてもらいました。
 
「がんは、肺と肝臓に転移しています。
胸に水もたまって結構苦しいです」。
 
山ちゃんは、あっけらかんとした調子で
自分の病状から話し始めました。
ビデオ映像を使いながら、時折、笑いも交えた話に、
いつしかメモを取るのも忘れて引き込まれました。
完全に仕事を忘れていた私でしたが、
途中から、あることが気になりました。
  
山ちゃんが、立って話をするのです。
講演者が立って話すのは、よくあること。
でも、山ちゃんの場合は、ちょっと事情が違います。
抗ガン剤治療を続ける体は、常にだるさを抱えているはず。
胸にたまった水は、一言発するたびに呼吸を苦しくさせているはず。
そう思うと、いてもたっても居られず、
「どうか座って話してください」とずっと心の中で
叫んでいたのですが、当然、伝わらず。
結局、山ちゃんは、ビデオの上映中以外、
最後まで壇上に立ち続けました。

講演終了後、本へのサインを求める長い列を
かき分けて山ちゃんに近づき、質問してみました。

「いつも立ってお話されるのですか」

山ちゃんは、一瞬、手を休めて、
まっすぐこちらを見て言いました。

「学校では、そうしていたんです。
子どもたちに、絶対伝えたいと思うときは、
いつもそうしていました」

この人は、先生なんだ。そう思いました。
そして、なぜだか、私の高校時代の恩師のことを思い出しました。

先生は、とてもまじめな人でした。
ラフな格好の同僚が多い中、一人だけいつもスーツ姿。
生徒の名は、必ず、君付け、さん付けで呼びました。
私生活でも、結婚する際、あたりまえのように女性が
男性の姓を名乗るのはおかしいと、ジャンケンでの決定を提案。
見事に負けて相手の姓を名乗る、そんな人でした。
堅苦しいまでの生き方の理由を問われると、
先生は、照れくさそうに言いました。

「関わりを持ってくれる相手に対して、
いつもきちんと向き合う自分でありたいと思っています」。

湾岸戦争が開戦した際、授業をつぶして生中継の映像を見ながら
「戦争は痛いんだ。血が出るんだ」と声を震わせた先生。
合唱祭の練習に遅くまでつきあい、優勝後のアンコールの舞台に
一緒に立って歌ってくれた先生。
言葉の通り、いつも私たちときちんと向き合ってくれた先生は、
元朝日新聞の記者でした。

先生にあこがれて、私が新聞記者になったのかというと、
必ずしもそうでは、ありません。
でも先生のことが好きで、何かしら影響を受けたのは、
間違いなさそうです。
きっと、山ちゃんの授業を受けた子どもたちのなかにも、
同じように感じる子がたくさんいるんだろうなと思います。
今は、はっきりわからなくても、まっすぐ、
全身で向き合ってくれた山ちゃんの授業は、
子どもたちの中に何かを残したはず。
そんなことを考えながら会場を後にしました。
 
「私、そんな風に呼ばれたことなくて。
みんな『山ちゃん』って呼ぶんです。私もそれがうれしいし」。

山ちゃんは、「先生」と呼ばれるたび、
そう言って照れ隠ししていました。
でも、あなたは、まちがいなく先生です。
「大分県教委は悪いことばかりしているわけではないんです」
と笑わせていましたが、本当にそうですね。
「いい先生も採用していたんだな」となんだか安心してしまいました。

講演中、ビデオを止めて、再び話をしようと立ち上がる瞬間、
一瞬、見せるキリッとした表情、とてもすてきでした。
みなさんが、あなたに惹かれるのがよくわかります。
そして、立ち上がると、一転してこぼれる自然な笑顔。
その瞬間、何だか教室にいるような感じがしました。

そして、僕もあなたが好きになりました。

あらら、正真正銘のラブレターですね。

そもそも山ちゃんは、8月1日からの性教協のセミナーで
上野千鶴子さんの講演を聴くために名古屋入りしたのでした。
「おひとりさまの老後」が売れまくっている社会学者の上野さんは、
山ちゃん2冊目の著書「いのちの恩返し」(高文研)の
帯にこんな推薦文を寄せています。

 がんになり方も山ちゃん流!
 まわりをすべて巻きこんで山ちゃん台風は行く。
 もらいつづけ、与えつづけて疾駆する。
 おーい、そんなに先を急がないでよぉ。

なんと、山ちゃん台風は、一面識もない状態で、携帯メールで、
上野さんに推薦文を依頼したのだそうです。
名古屋でついに対峙(!)したお二人でしたが、
まるで旧知の間柄のように、ときに過激な、
ときに優しさ溢れる話の花を咲かせていました。
去り際、上野さんは山ちゃんをしっかりとハグし、
「またね!」と手を振っていかれました。

その場にいた私には、「またね!」が、
とても大事な言葉に聞こえました。
今回は、上野さんにならって、このブログを締めたいと思います。

 山ちゃん、またね!
そして、山ちゃんの講演会に来て下さったみなさんも、またね!
コメント (6)
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