2008年8月30日(土曜日)
少女の笑顔の向こうにあるのは死・・・
大きな瞳を輝かせ崇高なまでに美しい少女が
見つめる未来は死・・・
これが慟哭というものだということを
わたしの全身全霊が瞬時に悟っていた・・・
空っぽになった心が鳴き叫びだす・・・
突き上げてくる怒りと、悲しみがわたしを覆う。
森住卓さんの「イラク・湾岸戦争の子供たち」の写真パネル展。
アメリカ軍の劣化ウラン弾は、子どもたちを死へいざなう。
わたしたちの豊かな生活を維持するために、
産みだされ続ける核のゴミは、冷徹で無残だ。
写真はわたしから、言葉を奪ってしまった・・・
泣くことしかできないわたしのふがいなさを呪った・・・
あまりにも無知でちっぽけなわたし自身に
怒りを覚えた・・・
ブログに向かいながら、書き連ねる言葉さえ失っているわたし。
ラプソディーは狂詩曲・・・
津軽三味線の太棹が、かき鳴らす調べは心をかき乱す。
津軽の海岸に打ち寄せる荒々しい波・・・
静かな大地に吹き荒れるヤマセ・・・
そこで暮らす人々を狂わせるのは自然の脅威ではなく
六ヶ所村再処理工場なのだ。
わたしの町でつくりだされた原発のゴミの行く先と
決められた六ヶ所村・・・
何も考えず、何も見てこなかったわたしたちが
残してゆくツケは、あまりにも大きい。
敦賀市民こそが、見ておくべき映画が
「六ヶ所村ラプソディー」だった。
哀しいかな、観客はあきれるほど少なかった・・・
お隣の滋賀県での上映会には、毎回600人を超す観客で
会場が埋まったと聞いている。
夜には監督の鎌仲ひとみさんと、
我が家(というか健さんの店)で
お会いするという奇跡に巡り合えた。
失ってしまった言葉は、まだ行方不明のままだが、
不思議な縁でつながっていた
鎌仲さんとの出会いが、元気を取り戻してくれた。