ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

世界をどう見るか

2012-06-02 20:03:34 | 本を読んで
福岡伸一さんの「せいめいのはなし」の最後に、

世界をどう見るかでは、大きく言うと二通りあると彼は言っている。

ひとつは世界の成り立ち、宇宙の原則、生命の仕組みの裏には

非常に美しい隠れた秩序があって、明確な摂理や因果関係があるというもの。

アインシュタインや湯川博士はきっとこの立場だったのだろうと思う。

もう一つは世界は止まっておらず、動的なもので、

常に運動しているものだという見方。

秩序に近づくこともあるし、遠ざかることもある。

その運動の中にこそ美しさはあり、

世界の成り立ちの面白さもあるという動的な立場。

彼は後者の立場をとるという。

私はこの二つとも両立するんじゃないのかなぁ、なんて思う。

彼は幾何学的な構造が物事の背後にあるという考え方に純粋化すると、

その生命のずれとか、生物が本来的に持っているという遊びとか、

サボリとか許し、寛容さというものを見失ってしまうのではないかと思うとあった。

「秩序」とか「明確な摂理」とかに対する彼の解釈が、

彼にこんなふうに思わせるのかと生意気にも思ってしまった。

動いているそのこと、寛容さそのこと、許しそのことが、

秩序であり摂理なんじゃないのかなぁと思う。

それはこの上なく優しく美しい柔軟なシステムなんじゃないかな。

人間には見い出されていない理は無数にあるだろうと思う。

システム、仕組みを完全に人間がわかることはないのかと思う。

けれど、生命の動的な多元的なプロセスのひとつひとつはそれなりの必然の動きと思う。

どういう必然なのか何故そうなのか、人間にわからないけど、

たまたまや偶然でどんなことも起こらないと思う。

今の人間から見て、偶然としか思えないだけの話だ。


許しやサボリも偶然では起こらない。

わからないことを偶然と決めてしまってはいけない。

わからないことは無数にあり、それはわかる日が来ないかもしれないけど、

わかっていないということを知っていたら、

偶然だと切り捨てて、それで終わりにする事も出来ないし、

傲慢にも、偏屈にもなれないんじゃないかなぁと思う。




暗いので目がなくなる・・

2012-06-02 15:30:49 | 本を読んで
読みたいと思ってた福岡伸一さんの対談集「せいめいのはなし」をざーっと読んだ。

まだ読み込んでない感じはあるけど、

養老先生との対談のところで面白いのがあった。

両生類の一つが洞窟の中で暮らすようになって、長い年月で目がなくなる。

こういうのを「退化」というらしいが、

そこが暗いので目が要らなくなる、のではないかと普通云われているが、

光の届かない暗い所で見ようとするのはその動物にとって、

とても大変なことで、見ようとすると疲れるから、目がなくなったのではないか、

・・と養老先生は考えたらしい。

なくなることで“有利になる”状態でないと、

目がなくなることはないのではないか。

疲れることがなくなるのはその動物にとって有利なこと。

・・・その通りなんじゃないかと思った。

そして、次にそれは果たして「退化」なんだろうか?が浮かんだ。

もしかしたら「進化」ともいえるんじゃないかと思った。

光のある所で生きている人間の見方から見ると、

目がある方が進化の階段では上にあって、

なので、目がなくなるのは「退化」と観るのだろうけど、

真っ暗な洞窟の中で暮らすようになった生き物にとっては「進化」だろう。

目がなくなったことで、他の感覚はそれ以前よりずっと性能は良くなったと思う。

それならそれでと動的平衡状態が起こったに違いない。

環境がそれならそれで、私はこうしましょうって。

この目のなくなり方もなるべくしてなっている、という今西錦司さんの進化論のようだ。

多くの時空を経たプロセスはあきらかじゃないんだろうけど、

方向は常に快適にという方向だと思う。

それでこそ進化だ。生命は不愉快になりたいわけがない。

養老先生は有利という言葉を使っていたけど、

不利より有利の方が顕在意識のない動物も状態としては快適だろうと思う。

東京の母

2012-06-02 14:11:35 | 実例体験観察
もう6年も前になるけど、

私がここに住むようになって二ヶ月経った時、

実家がある東京に行った。

いろんな日程の都合で、実家へ行ったのはここを出て三日目だった。


母は会うなり「家を出たのは三日前だったそうじゃないかっ!

なんで一番にここに来ないっ!」と言った。


「しょうがないでしょっ!私だっていろいろ都合があるんだからっ!」

と売り言葉に買い言葉・・。


まぁ、親子だし、すぐになんということもなく、

一緒に出かけたりして、時は過ぎ・・

翌朝、なかなか起きてこないと思って母の部屋に行くと、

ベッドの傍で母は倒れていた。


それきり、母とは話も出来ず、寝たきりの介護度5の人になり、

意思の疎通が出来ない。


謝りたいと思った。

倒れてからすごく後悔した。 反省した。

倒れる前の日のあの言葉「なんでここに一番に来ないっ!」は

「早くお前に会いたかったよ」という思いの

母なりの表現だったんじゃないか・・・。


その前に、母と電話で話したとき、

私が「今度帰るから」と言ったら、

そっちのお義母さんの面倒を見るんなら、こっちにも

「一日おきに帰って来い」と笑いながら言っていたことがあった。


倒れる前の日の、母の言葉の奥にあるもの、

それに気付かなかった自分だった。

倒れたその晩、それを思って泣けた。

知ってること

2012-06-02 11:05:28 | ひとの幸福
地球が回転していながら、太陽の周りを回っているらしいが、

その事が人にわかった以前から、地球は回っていたのだろう。

人がわかった直前に回りだしたわけじゃないだろう。

ニュートンが万有引力を発見する以前から、

りんごは落ちていただろう。

アインシュタインが相対性の理論を発見する以前から
(詳しい事はわからないが)

この世界は相対的だったろう。

コロンブスがアメリカ大陸を発見する以前から、

そこには大陸があったろう。


知っていることしか知らないのに、

自分の持っているほんの少しの知識で判断しようとする。

知らないことは知りようが無い。

わからない に尽きる。


自分のごく少ない知識以外のことを聞くと、

そのことを拒否しようとする。


以前は、神とか霊とか宇宙エネルギーとか宇宙人とか、聞くと、

聞くだけで拒絶反応が起きた。

それが何なのか何もわからないのに。


今はそういうことについて自分がわからない

・・とわかっている。