ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

可愛げ ②

2012-06-06 14:54:47 | テレビを見て
勝っても負けても、帰る姿がそれほど変わらない力士もいる。

そういう姿だけ見ても、その人の心境はわからない。

勝ち負けに拘っていないのか、

ホントは負けて悔しいが、そういう顔は見せたくないのか、

勝って嬉しいが、あまり子供っぽくそれを表現するのは恥ずかしいのか、

勝ち負けにうんと拘るのはプライドが許さないのか、

他いろいろ・・・

・・・本当に、他人の心境はわからない。

よくわかるのは自分の心境のみかな、と思う。

可愛さ

2012-06-06 13:32:44 | テレビを見て
相撲の高見盛が十両に落ちてからずいぶん経つ。

この人の姿はなんだか可愛らしかった。

勝つとふんぞり返って帰り、負けるとしょぼんとして帰る。

自分の気持ちに正直なのかなと思う。

小さな子供みたいで可愛らしい。

勝って嬉しい、負けて悔しい?寂しい?・・そういう姿について、

良い悪いの判断とか、

かっこいい、かっこ悪いの判断がないのかなと思う。

それで見ていて気持ちがいいのかなと。

こういうのを「ストレート」と表現する人もいるかも。

「可愛げがある」っていう感じも持つなぁ。


小さな子供が「おじいちゃん、いつ死ぬの?」

なんていう言葉を発することがある。

そういう自らの発言に善悪の判断が無いので、

湧き上がった気持ちそのままを表現するのだと思う。

こういうのを邪気がないというんだろう。

それを聞いても、誰も怒らないし、ムッともしない。笑う。

ということは、聞く側もその気持ちを

そのまま聞ける状態にある、ということかな。

邪気がないということが自然にわかるんだろうな。

その言葉の意味を聞いているんじゃなくて、

その心、邪気の無さを聴いているんだろうなぁと思う。


「そういうことは言うべきではない」というような常識も、

この子供には通用しない、ということがわかっている状態とも言える。


こういう常識というものが万能ではない、

真理ではないということがわかる。

真理というのは、いつでもどこでも、誰にでも通用するもんだと思うもんで。


ホントの真理じゃない常識をこれ見よがしに振り回したりするのは、

した自分がその瞬間、快適じゃない。

自分が機嫌がいいのが望みなんで、

考える、ことをしてる。



オール5

2012-06-06 11:00:48 | ひとの幸福
私は小学一年生を終える時、

成績がオール5、(今ならなんというか知らない)じゃなかった。

一年生の時に学び、理解するべき課程を

完璧にマスターすることは出来ずに、

わからないことがたくさんあるまま、二年生になり、

又オール5などとてもとれず、

わからないことたくさん持ったまま進級した・・・。

けど、今、小学一年生の勉強をしたら、

オール5の成績をとれるかなぁ???

わからないことをそのとき、わからないままにしていたけど

今はわかっている・・・多分・・


聖書に「全てのことに時があり・・云々」という言葉があるようで、

このこともそういうことだろうと思う。


なので、人それぞれ。場合それぞれ。

その時わかっても、わからなくても、

どっちでもいいかなって思う。

ただ、自分がそのことを「わかってない」とわかっていればいいのかと思う。

わかってないとわかれば謙虚になれる。