ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「無数の可能性」 ②

2012-06-14 17:20:51 | 本を読んで
「たまたま観測した時にある現象が起こっているように見えるだけで、

本当に起こっているのはどの現象であるか、

無数の可能性があるわけです。

何かを選びとることは並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることにはなりません。

だから本当の因果律は存在しないんです」


これを簡単な例に置き換えて考えよう。

起こっているように“見える”のは、見たその人が“そう見ている”ということ。

例えば、Aさんが下を向いて一人で歩いていた(という現象)

ある人はそれを、Aさんは借金が多くて、

これからどうしようかと途方に暮れて一人歩いていたと見た。

ある人はそれを、Aさんは最近認知症になって、徘徊してると見た。

ある人はそれを、Aさんは財布を落としてずっと歩きながら探していたと見た。

ある人はそれを、Aさんは首を痛めて上を向くことが出来ずにそう歩いていたと見た。

ある人はそれを、・・・・本当に無数に書き出せる。

そして、これらの見解の前には、

この見解に繋がる、そうと見える現象があるので、こういう見え方になる。


「ある現象が起こっているように見えるだけで、

本当に起こっているのはどの現象であるか、無数の可能性があるわけです。

Aさんは徘徊していると、選びとることは、

並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることになりません」

うん、そう。

けど、日常、こういうことをしているけど、

選びとっているという自覚はない。

財布を落としたので・・云々という可能性は壊した・・なんて思ってない。

その瞬間はそうだ、と思い込んでいることが殆どだ。

「だから本当の因果律は存在しないんです」

・・・・うーん、これにどうして結び付くのか???

無数の可能性を壊していないのだから、因果律は存在していない?

選びとっているという自覚はないにしても、

実際はその見解を選んでいるということは、他の全てを壊しているのだから、

因果律は存在する??

続く・・・

「無数の可能性」 ①

2012-06-14 17:16:37 | 本を読んで
以下は福岡先生の言葉。(朝吹真理子さんとの対談の中で)

「現在では、この世界は多元的なもので因果関係は本当にはなく、

ミクロの世界に行けば行くほど、

原因と結果を結ぶ因果律のようなものはどんどん失われてゆきます。

さまざまなことが同時期に起こり、しかも、

たまたま観測した時にある現象が起こっているように見えるだけで、

本当に起こっているのはどの現象であるか、

無数の可能性があるわけです。

何かを選びとることは並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることにはなりません。

だから本当の因果律は存在しないんです。

すべてが同時的に並行的にあること、これが本当の『自由』だと思いますが、

人間は自由が恐いのです」以上。

この文章の一字一句全部を私はわかっていないだろうなと思ったので、

しつこく又引用して考えた。

以前はこの「観測」という言葉と「たまたま」の文字に、

強く反応した自分だったせいだろう、

全体を読み取れなかったのかと今は思っている。

ホント、一部に拘ると全体がわからなくなる。


「現在では」で始まっている。この文章は。

世界自体は現在もそれ以前の18世紀も15世紀も在り方は変わっていないと思う。

現在では・・と表現しているのは、このように今は解釈しています、

ということだろう。

続く・・・


脳の癖!?・・・

2012-06-14 16:14:46 | 本を読んで
福岡先生の言葉にこういう主旨のものが多くある。

「世界を秩序として捉えたいという脳の癖である」

「設計者がいなくて発生だけがある世界の中にいるにもかかわらず、

崇高な図式を求めてしまう、人間の営みはそういうもの」


・・・デザイナーが在るんじゃないか、ないんじゃないか、はともかくとして、

人間の営みとはそういうもの、脳の癖、・・・

そういうものが人間には在る、と福岡先生は云っている。

それは全く同感だ。

そして、そのことが不思議だ。

脳にそういう癖が在るとして、何故、在るのか?????

人間存在の在り方として、法則性を求めてしまう、そのこと。

何故、求めてしまうように“なっている”のか?????

何故人間の意識はそう“なっている”のか?

人間の身体や自然、宇宙は秩序が保たれているように“なっている”ように見える。

以前から書いているけど、

「意識」という存在自体は自然のもの、である。

明らかに人間が作ったものじゃない。

ロボットにまだ動き続ける心はないし、これからも無いだろうと思う。

止まっている情報をたくさん入れることは出来るけど、

創造することはきっと無理。


この自然(意識・こころ)がそう捉えてしまう・・・

秩序在るものとして世界、自然を観てしまうこと。

量子力学が意識(潜在、顕在共に)を扱ったものだということが、

明らかになった時に、その視点からも、

宇宙、自然、世界、人間界は秩序だって成り立っていることが、

わかるんじゃないだろうか・・・

・・と、意識が捉えてる。