「たまたま観測した時にある現象が起こっているように見えるだけで、
本当に起こっているのはどの現象であるか、
無数の可能性があるわけです。
何かを選びとることは並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることにはなりません。
だから本当の因果律は存在しないんです」
これを簡単な例に置き換えて考えよう。
起こっているように“見える”のは、見たその人が“そう見ている”ということ。
例えば、Aさんが下を向いて一人で歩いていた(という現象)
ある人はそれを、Aさんは借金が多くて、
これからどうしようかと途方に暮れて一人歩いていたと見た。
ある人はそれを、Aさんは最近認知症になって、徘徊してると見た。
ある人はそれを、Aさんは財布を落としてずっと歩きながら探していたと見た。
ある人はそれを、Aさんは首を痛めて上を向くことが出来ずにそう歩いていたと見た。
ある人はそれを、・・・・本当に無数に書き出せる。
そして、これらの見解の前には、
この見解に繋がる、そうと見える現象があるので、こういう見え方になる。
「ある現象が起こっているように見えるだけで、
本当に起こっているのはどの現象であるか、無数の可能性があるわけです。
Aさんは徘徊していると、選びとることは、
並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることになりません」
うん、そう。
けど、日常、こういうことをしているけど、
選びとっているという自覚はない。
財布を落としたので・・云々という可能性は壊した・・なんて思ってない。
その瞬間はそうだ、と思い込んでいることが殆どだ。
「だから本当の因果律は存在しないんです」
・・・・うーん、これにどうして結び付くのか???
無数の可能性を壊していないのだから、因果律は存在していない?
選びとっているという自覚はないにしても、
実際はその見解を選んでいるということは、他の全てを壊しているのだから、
因果律は存在する??
続く・・・
本当に起こっているのはどの現象であるか、
無数の可能性があるわけです。
何かを選びとることは並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることにはなりません。
だから本当の因果律は存在しないんです」
これを簡単な例に置き換えて考えよう。
起こっているように“見える”のは、見たその人が“そう見ている”ということ。
例えば、Aさんが下を向いて一人で歩いていた(という現象)
ある人はそれを、Aさんは借金が多くて、
これからどうしようかと途方に暮れて一人歩いていたと見た。
ある人はそれを、Aさんは最近認知症になって、徘徊してると見た。
ある人はそれを、Aさんは財布を落としてずっと歩きながら探していたと見た。
ある人はそれを、Aさんは首を痛めて上を向くことが出来ずにそう歩いていたと見た。
ある人はそれを、・・・・本当に無数に書き出せる。
そして、これらの見解の前には、
この見解に繋がる、そうと見える現象があるので、こういう見え方になる。
「ある現象が起こっているように見えるだけで、
本当に起こっているのはどの現象であるか、無数の可能性があるわけです。
Aさんは徘徊していると、選びとることは、
並行する別の可能性をすべて壊さないと選びとることになりません」
うん、そう。
けど、日常、こういうことをしているけど、
選びとっているという自覚はない。
財布を落としたので・・云々という可能性は壊した・・なんて思ってない。
その瞬間はそうだ、と思い込んでいることが殆どだ。
「だから本当の因果律は存在しないんです」
・・・・うーん、これにどうして結び付くのか???
無数の可能性を壊していないのだから、因果律は存在していない?
選びとっているという自覚はないにしても、
実際はその見解を選んでいるということは、他の全てを壊しているのだから、
因果律は存在する??
続く・・・