ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

選択

2012-06-25 18:49:20 | ひとの幸福
彼女は独身で、私は子供が二人いて、二回目の結婚をしている。

彼女が「私は結婚も子供を持つという経験も出来なかった」というような事を言った。

その時に「私は結婚しないという経験も子供を産まないという経験も出来なかったよ」

と、話した記憶がある。

そういう動きをしたというプロセスと、そうじゃない動きをしたというプロセスを

比較することなど出来ないのは無論。

自分が選んだ方ではない選択肢を選んでいないということは、

そのプロセスが無いということなのだから。

比べる対象が無い。

味わったことのない饅頭と、今食べてる饅頭とどっちが美味しいかと聞かれても、

何とも言えないのと一緒だ。

自覚しているしてないに限らず、

私たちは自分が味わった人生しか食べたことがない。

丸いボールと四角い箱 ②

2012-06-25 16:06:53 | ひとの幸福
ひとは 幸福で居たいとする呪縛からは逃げられない。

存在がすでにそう“なっている”ので。

どの瞬間も人間はそういう状態になっている。

植物の種は、種から成長するどの時点でも(次に繋げ、成長しろ)という意志を忘れていない。

子葉が出ようとする時、本葉の一枚目が出ようとする時、

二枚目が出ようとする時、三枚目が出ようとする時、

花が散って、実になる時も・・・

どの瞬間もその在りようだからこそ、そう“なる”

私たちは幸福で居たい存在で、(次に繋げ、成長しろ)という意志を忘れない存在なので、

頭痛の時に(なんでこんなに頭が痛く“なる”んだろ?・・)が浮かび、

経験したくないことを経験した時に(なんでこう“なって”しまったんだろう?・・が浮かび、

辛い時に、早く忘れてしまいたいと願ってしまい、

イライラしてる時、怒った時、ひがんでいる時、憎んだ時・・なんかに、

不愉快に“なって”しまうのは、

(次に繋げ、成長しろ)という存在の意志を忘れていない証なのかもしれない。

この意志は顕在意識の意志とは全く違うもの。

存在の性質とでもいう・・存在の本質・・人間の本質なんじゃないのかな。

牛糞を頂きに ④

2012-06-25 15:09:44 | 日々の暮らし・思い出
(まだかまだか)があるのと、それが無いのとでは実際に時間に差が出るのだろうか?

という疑問が生まれたので、

そういう実験のことを考えたんだけど・・・

時間に差が出るかという実験があるんだろうか・・?

待たないで下さいと言っておいたチームは待たないでいるだろうか・・・

実験でそう言われたチームの人は何かを(そうか、待たないのか・・)と最初は思うかもしれない。

じゃあ、待たないことにしよう・・と思って・・

その部屋で(まだかまだか、がない)チームは・・

何を待たないんだっけ?・・・えーっとなんの実験だっけ、これ。

そうか、何かが来るのをまだかって待たないって言ってたな・・

何にも来ないんだな、いや、来るけど待つなって言ってるのか・・・

暇だなぁ・・この実験早く終わらないかな・・・まだかなぁ・・!?


観測効果から行くと、観測される側も観測してしまうという現象が起こってしまうんじゃないか・・・

実験はいつも何かを“するもの”だ。

するということがない、こういった実験は不可能なんじゃないかと思う。

意識は実験が可能なんだろうか?

実験は誰がしても同じ結果になることを目指している。

古典的な物理学がそうなんだろう。

けれど、「誰がしても」の、その「誰」かの意識がどうしても介入せざるを得ないのが

観測なんだろう。

意識は止まっていない、それをそこに留まろうと意識すると、

留まろうとする観測から又影響を受けてしまう。

実験でまだかまだかチームと

まだかまだかが無いチームとを比べることは出来ない・・んじゃないかと思う。

えーっと、何を考えているのかというと・・・?


牛糞を頂きに ③

2012-06-25 12:56:02 | 日々の暮らし・思い出
まだか、まだか、とその時を待っている意識と、

まだか、まだか、とその時を待たないでいる意識を比べることって出来るんだろうか。

実験で、こちらのチームには何かが来ますが、「まだかまだかと待っていて下さい」と指示し、

もう一方のチームには「まだかまだかと待たないでいて下さい」と指示する。

そして、一つの部屋にその人たちを座らせる。


待たないで下さいと言っておいたチームは待たないでいるだろうか・・・

時間がかかる(牛糞を頂きに②)

2012-06-25 11:42:04 | 日々の暮らし・思い出
そう観ない状態より、沸くのが遅いという現象になる量子ゼノン効果と似てる。

帰りは(まだかまだか)が浮かばない。

帰り道は(まだかまだか)と観ていない。

沸くのが(遅い)。時間が(長く感じる)どちらも感覚だ。

沸くのが遅い の「遅い」は人から観て、

対象の事実の在りようを表現している言葉じゃなく、

遅いと感じた という人の感覚には違いない。

遅いという事実は無い。

早く着かないかなぁと思っているので、遅いと感じるのであって、

そういうことを思わない子供だったら、遅いとは感じないかもしれない。

けど、途中でつまらなくなって、遊びたいとなる子供はまだぁ?と思うかもしれない。

どちらも何らかの願いがあるから、そう“なる”


(牛糞をくれる所)は、まだかまだかと思っている、と表現するけど、

(牛糞をくれる場所に着く時)はまだかまだかと、感じているわけだ。

その時が来ないと感じている。

待つ、というのがそれだ。

待ち人が他の場所にいる状態からここにいる状態に変化して欲しい。

その変化を待っている。

それは時間が過ぎるのを待っているとも言える。

時間、時、というものは人の観念だとついこの前書いた。

太陽の周りを地球が一周したという動きを、1年と呼ぼう。

地球もくるくる回りながら、そうしているようなので、

そのくるくる回っているその1回転の動きを1日と呼ぼう。

太陽を一周する間に何度くるくる回っているか数えたら365回・・だったんだけど、

そうすると、宇宙の動きとぴったりしないので、

余りはこうしよう、と「うるう年」を考え付いた。

どれも人間がそうしましょう、そう呼ぼうと決めたこと。

絶対のものじゃない。相対から生まれた観念。

なんでそう決めたかというと、

人の動きや自然の動きを表現する術が欲しかったんだろうと思う。

表現や認識というものは“分ける事”を必ず求めるものだから、と思う。

一日と二日、おとなと子供、男と女、右と左、上と下、東と西、美と醜、善と悪・・・

コレはアレと違う、咲いた花と散った花・・・

そういう物の違いや変化を人は認識する。

そしてそれを表現するのに人は言葉を生み出した・・・

「“昨日”咲いてた花がもう“今日”は散っている」とか。

動き、変化を認識する人間は「時」という概念を考え付いた。

時 は そのものの動きや変化を表わすのに使う“考え”だと言える。

時間という人の“考え”は絶対なものじゃない。相対的なもの。

続く・・・

牛糞を頂きに・・

2012-06-25 11:36:02 | 日々の暮らし・思い出
近所の人に牛糞を貰いに行かないかと誘われ、昨日の午後出かけた。

牛糞は畑に入れるととてもいいので、普段ホームセンターで買っている。

それをタダで下さるところがあるという。

どこへ行くのか私たちは知らない。彼等の車の後を走った。

途中今まで通ったことの無い道も走った。

林の中の細い道に入ると、あ、もうすぐかなと思う。

牛糞は幹線道路のすぐ傍にはないだろうから。

その細い道を抜けると、又幹線道路になった。

あそこじゃなかったんだ、ただ、近道をしていたんだなと納得。

前の車の後を追って、右へ曲がり左に曲がり・・・走っていた。

その最中、(まだか、まだか・・)が頭に浮かんでいた。

夫もそうだったようだ。後で聞いた。


結局50分くらい走った所に古ぼけた大きな建物があった。

そこが牛舎だった。その並びに牛糞が置いてある背の高い建物がある。

以前買った牛糞の袋をたくさん持ってきたので、それに入れる作業を夫とペアでやった。

袋を持つのとスコップで入れるのとを、

腰が痛くなったり、腕が重く感じたりするので、その度に交替。

軽トラにほぼ一杯。膨らんだ袋が45個。疲れた~

これを畑の物置に又、エンエンと運ぶ作業が残っていると思うと、

疲れが増したような感じ。そんな先のことが頭に浮かばなければ、

(あ~、疲れた)でおしまいなのになぁ~。

(今ここ)だけに生きていれば、こういう羽目になることはないね~

ま、いいか。

結局その場所はよく通る幹線道路からしばらく走った地点だったので、

帰りは彼等の後は追わず、勝手に帰って来たんだけど、

その早いこと早いこと・・・

早く感じたということなんだけど、(まだかまだか)と思っていると、

本当に遠く感じる。時の経つのを遅く感じる。

知らない土地に行く時、そこが頭では何県、何市とわかっていても、

行く時はとても遠く感じる。時間がかかったように感じる。

家へと戻る帰りは行く時ほど時間がかかる感じがしない。

こういう感覚は他の人からも聞いたことがある。

いつもそうなので、この(感覚)はどういうことなんだろ・・?があった。

まだ沸かないか、まだ沸かないか、とヤカンを観てると、

そう観ない状態より、沸くのが遅いという現象になる量子ゼノン効果と似てる。

帰りは(まだかまだか)が浮かばない。

(まだかまだか)と観ていない。

続く・・・