ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

お喋り、楽しかった♪

2012-06-16 20:44:05 | 日々の暮らし・思い出
昨夜、娘の友人と電話でお喋り♪楽しかった。

なんと85分くらい話していた。

その瞬間瞬間の関心が向くままに言葉を発し合った。

それが響き合った。そんな感じだった。

彼女とは時々こうして話すようになった。

会ったことがあるのは数回。それも会釈程度なんだけど。

前の電話で彼女から「動的平衡」を読んでいると聞いて、

それがキッカケで私も読むという展開になった。面白い。

こういう場合、「たまたま彼女がその話しをした」という表現をする場合もあるんだろうけど、

その本を読んでなかったら勿論その話をしなかったろうし、

話しの流れの中で彼女はそれを読んでいる事を話したく“なった”のだと思う。

もしかして、違う本や雑誌やなんかも読んでいたかもしれないけれど、

流れの中で、そのことを(あ、話そう)という意識状態に“なって”、

そうした展開になったのかもしれない。

以前、ベンジャミン・リベットの脳の動き実験みたいな経験をしたと書いたことがあるけど、(12月14日だった)

そんなふうに、意識には流れがある。

このブログでいくつも自分の意識体験の観測例を出しているけど、

意識の流れは川の流れのようだ。

川の流れのようにどこもプッツンと切れてはいない。

繋がっている。

話しの流れの中で、私が(今どんなの読んでるの?)と言った。

その日の話しの流れで、その時に、

(私の意識の状態)がその言葉を発したいと“なった”。

発したいと“思った”、という表現は相応しくない。

意識の“状態”がそう“なった”のである。

そして、それを止める意志はその時働かなかったので、それを発した。

その言葉を聞いた彼女も、その日の話しのそれまでの流れを経て、

コレコレを読んでいる、と発したくなり、

それを止める意志はなかったので、それを発したのだと思われる。

非局所的に存在していたその意識が、その日その瞬間の観測(関心)によって、

波動関数の収縮という現象が起こり、

その場その時という局所的な場に出現した、という現象が、途切れることなく、

流れていた。

その日の電話の後も途切れることなく、意識は流れ続けている。

その流れで「動的平衡②」を読むようになり、

「動的平衡」を読むようになり、「せいめいのはなし」を読むようになり、

その日その日のブログを書くようになり、

意識は途切れることなく流れ、過ぎてゆく。

ご飯を食べ、洗濯をし、お使いに行き、夫や義父と話し、

友と温泉に行き、笑い、娘と電話で話し、そういう現象の意識の流れも、

川の流れのように過ぎてゆく。


瞬間瞬間、動的平衡という状態が作られ、壊され、作られ、壊され、

そのサイクルの川が流れている。

彼女も私も、世界中の誰もが、その川の流れを生きているのかと思う。

その川は全世界全宇宙に繋がっているし、

宇宙や地球が生まれてからの全ての時間に繋がっている。

七面倒くさくて、全く下手糞な表現だけれど、

なんとか意識にあるものを現わしたくて書いてみた。

コメント
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